NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

2016/11/30 1:49 地域活動支援センターにFAX

ろくに文章なんか書ける体調体力はないので力を振り絞って書いた、地域活動支援センター宛てのFAXの内容。
 
伏せ字にすべき所がきちんとなっているか確認しきれていると思うのだが。
とにかく内容はこのままなので、そのまま引用というか転載する。
 
利用者の●●●です
 
支援、特にヘルプサービスと全然かみ合わずかなり無理した結果具合悪くなり過ぎて相談電話もできない状態です

動いたり考えたりできませんが無理矢理やって来て

私はアスペルガーです
文章だけは無理すれば書けますが他は何もできないのです

できないというのは嫌いで克服することばかりがんばってきましたが全部裏目に出て

誰も病状の深刻さを理解せずに軽視します
ただ簡単な会話ができて文章力があること、解決策を考えたり努力すること諦めないこと、それだけで「普通にできる、支援が何故要るのか」と思われて実際そう言われます

主治医の●●先生の言葉で「認知症高齢者、寝たきり、徘徊すらできない」状態です

私は言葉には能力が高いから、しゃべったり書いたりして説明ができる故に、他のできなさを信じてくれないし、深刻にできなさと体調の悪さの問題を抱えているという認識がないのです

今、これを読んで貰っても今ひとつ重さがわからないと思います

行政機関で調べがつく所は調べ尽くしましたが他の自治体にはある機関がなかったり、介入や同行などをしてくれない、遠くにありすぎる、など、行政機関には頼れそうにありませんでした

発達障害の支援機関は子育て支援、18歳未満、あとは世田谷区のトスカというところが区役所サイトにありましたけど、私は起き上がることも相談や説明でしゃべり続けることももうできません
 
民間に何かないかと思ったけど、独立型社会福祉士の人が検索で一人引っかかったけど、発信情報から依頼して解決でき得無いと判断するしかありませんでした(○○4丁目の●●●●という事務所です)

他はもう、自力で何か探す体調ではありません

今年はずっとPTSD治療で無理を重ねていたりしたのと、支援機関と全然上手く行かず交渉状態で一人でやって来たからです

幼少期から虐待の状態だったため記憶に健康だった時代が全く無い状態です

大人になってから2回犯罪未遂にあっています

これらのPTSD治療はアスペルガーやらが重なり難航していますし、行政機関にこれ以上詐病扱いされるようなことをあかせませんでした

生育環境のせいで病気が山程あり皆重度で、私はそうでない状態を知らないため、将来的には恢復すると思って治療に取り組んでいるのですが、これらの説明をこうして私がすると上記のように受け取られて結果、余計酷い目に遭うので誰かに言うことができませんでした

元気なら親はともかく、犯罪行為をした2人は時効がまだだと思うので見つけて告訴したいくらいですが、今それどころではありません

徒歩1分のコンビニまで行けもしませんし家ではほとんどの時間、身動きもできません

発達障害アスペルガーだけではありませんがもうあまり書いていられません

私は数が理解できません
学習障害ですが、誰も信じないしわからないので、生保や年金の計算、普段の生活費についてなど、どうやれば良いか全然わからないのでいつも凄まじく頭を使います

難聴も判明しましたし、音声でのやり取りは元々ついていけなくて、理解も記憶もできませんから、決まり切ったことが会話できるだけなのです

コミュニケーション障害がはっきりあるので、普通の生活に支障がなるべくないように自分で訓練した結果、支援者が信じてくれないようになったのです

更に文章でまとめて説明相談するので、大丈夫だとされてしまいます

ヘルプサービスでははっきりそういう扱いですから寝たきりの私が物価も家計もわからないのに買物とか何とか言われてもそもそももう私は何を言われているのかさえわからない状態です

余剰のお金も体力もありません

体力がないから思考できなくなり続けましたがそれでも求められます

連絡するのさえ負担ですし、どうして欲しいかと言われても困るのです

6年前にPTSDになった時から何もかも悪化してきました

単にできない部分だけおねがいして来ただけ、相談して来ただけ、でも頭から決めつけが入るから、存在する制度の利用を頼んでも使わせてくれるどころか制度がないようなことも言われました

疲れきりました

私がして来た努力は全部邪魔になる結果になっています

主治医のいうような状態だとしかもはや言えませんが

どうしたら良いのかわかりません

民間だろうが行政だろうがもう私が理解されるとは考えられません

自分でやってはダメなのがもう痛いほどわかりました

それでもご相談するしかありません
私は動けず、ろくに通話もできないです

とても30分の電話では事情がお話できないのでFAXしましたがもうできません

電話する気力体力ももう残っていません
文章書くのもかなり激しく消耗します

どうしたら良いかわかりませんが助けを請うしかないのです

2016/11/30  1:46
●●● FAX ■■■■■■■
電話 ■■■■■■■

 

 

 

パニック発作になった意味 2016/11/28 0:00

この話題に触れるのは分の悪い賭けだが、気が済まないからやはり更新する。

 

昨日(2016-11-26。書いていたら日付がずれた)からはっきりパニック発作が起きている。

 

私は以前パニック障害持ちだったが、それが再発したのではない。原因が違うので、新しく発症したのだ。

 

理由などわかりきったことで、きっちり過去の記憶に向き合い出したからだ。まだ言葉に上手くできずにいるから、読んでいる人には私が昔何を経験してこうなったのかわかりづらいだろう。

 

私がまだ言葉で話ができるほど、個々の具体的なエピソードを思い出すことができないのだ。

 

慌てずあせらず、無理にほじくり返さないで慎重にしている。本当に何も、全く思い出さず、封印してあるなら、ちょっとした言葉や何かをきっかけにして発作なんか起きない。今も起きかけているが、少しずつ引き出して慣れるのがいいかと思って試しているのだ。

 

パニック発作はとても激しい発作なので、睡眠も食事もとれていない衰弱した今は起こさずにおきたい。昼間既に1回起きているから、疲れている。どういう症状か今は説明しない。

 

昨日から明らかにパニック発作と認められる症状とわかったこと。

 

それを自分でわずかずつコントロールできるようになりつつあること。

 

ちょっとずつ、進んでいることを確認していること。忘れるためには一度何があってどう受け止めれば良いのか整理すること。そのための準備は無理矢理進めてはよくないこと。

 

過去をちゃんと済んだことだと感じて平気で生きていくには、そんな風にちゃんとした周到な準備が要るように感じる。

 

そういう、報告と確認である。

2016/11/24 23:03 孤独3

あまりにわかりにくい書き方になっているので、少し説明を加える。むしろこの記事が結局は本題なのかもしれない。
 
このブログ自体最初からかなり迷走しているのでもう今さらだが、あまり色々先に考えても仕方がないということでこうした。このブログの本題を書いているので、もうなんでもいいようにも思えるのだが、同じなんでもいいなら好きに、あるいは成り行きにまかせて書いてみるがいいだろう。
 
解説してみると、
 
「1」の時には始めたくてしょうがなかったのだが、私が単純に耐えられなかったので、感情を止めて書く方法に途中から切り替えた。そうしたら思ったより言いたいことがあまりにも多くて、一回で終わらなかった。
 
「2」ははじめ手許に残す記録として、メモとして書き出したのだが、書いていたら内容どおり「ああこれも公開しないと全然意味がない」と思ったので、とりあえず公開する文章にはした。
 
タイトルをどうしたものか、としばし考えたが、書き方が違ったりするだけで、やはり記事に書いたように私の頭の中では同じ話を続けているのであって、これまでのこのブログの滅茶苦茶っぷりからしてタイトルを揃えないと本当に別の話のようになってしまうと思った。カテゴリで揃えようにも、経験上あまり役立たないと思ったし、他のタイトルは全く浮かばなかった。
 
書きたい書き方に近づいてはいるので(それでもまだ読みにくいのはわかっているが)、私の心の準備ができて行きつつあるのだろう。
 
 
まあこれではいどうぞというのもあまりなので解説していたのだけど。
以下を読んでもらえればそれでいいだろうと思う。
 
 
したい話は「孤独」「孤立」についてなのだ。
その設定が甘かった。これらの言葉は持つ世界が広すぎる。
 
始まりが親であることは何回も言っているのでもううるさいだろうが、私はひとかけらも納得していないし、一切、親について、家族について、親族について、平気になっていることがない。
 
もう何年かで両親とも喜寿だし、家系的にそれを迎える前に世を去る可能性も高い。実際母は倒れていて何回か手術を受けているそうだ。
 
知ったことではないそういう情報をいちいち流してくる父親に苦痛と恐怖と怒りを覚える。
同じメールで私の奨学金返済について色々と書かれていたが、どうしろというのだ。私に体でも売って来いと言うのか。本当にそれくらい言いかねないから困る。
 
怒りで対処するのは本当は気が進まない。どれだけ消耗するか。負の感情なんてのは体調や精神をおかしくするだけなのだ。こういう場合はね。
 
だからこそ全部吐き出して処分してしまいたいのだ。なのにそれがうまくできない。だったら考えているよりも動いたほうがいい。
 
私はずっと孤独だったし、今もその孤独感はほとんど変化がない。
孤立するのはどうしてなのか、していると思いこんでいるだけなのか。
 
 
そんなもの今すぐわかれば苦労はない。
今の段階では、何も許すことができない。誰も信じられない。これが孤独でなくてなんだというのだ。
 
私を現実世界に連れ出してくれたKのことですら、どう思えばいいのかわからない。
感謝してはいるが、そういうことではないだろう。
 
そうじゃない。では言葉にしてみよう。「友達」、「仲間」、それはどういうものだ?
これをおもっただけで息ができなくなる。
当たり前だが。そんなこと普通いちいち考えない。余計なことを考えているから苦しいのだ。
 
 
私を独りにしたのは誰だ、ということ。
もうわかったような顔をして過ごすのはごめんだ。
 
 
私は考えることが本当は嫌いなのだ。こうやってごっそり要らないことまでついてくるからだ。
いくらKが色々とこういう時はこういうふうに考えればいいよ、こういう対処をすればいいよ、と教えてくれたところで、私を苦しめた人々を思い出したら何も出てこなくなる。忘れている時はそこそこまともな頭や心の使い方をしているらしいが、思い出したら吹っ飛ぶ。
 
 
なんのエピソードも思い出していないのに。
ずっとこんなだから病んでいるのだというのは、ごく当たり前だ。
 
 
始末をつける対象は両親だけではないが、ともあれ、私の気が済まなければ済まない。
 
誰か助けて、と泣き叫んだところで、できることではないのだ。誰か他の人では。
 
泣き叫びたいけどね。
 
「生き延びるために」という記事とは相反するようだが、今でも私は「あの時死んでいればよかったのに、殺してくれればよかったのに、生まないでくれればよかったのに」と思うことがしょっちゅうある。
 
 
「殺してくれ」とだって思ってしまう。が、それは苦しいからで死にそうだからだ。そんなことわかりきってる。
 
 
ヒマだから、それもある。ヒマというか、動けないんだから時間はある。1日のほとんどの時間を動けずに過ごしている。頭なんか働かないからろくなことを思えない。
 
上述の記事で、生活がひどい状態なのは訴えた。
 
正直に言うと「この野郎」と思う反応もなかったわけではないが、それどころではなかった。
本当に生きていたくないわけがないのだ。でなければ倒れて手以外固まっている状態であんな記事は書かないし、必死であちこちに自分でシェアして訴えたりもしない。あれを書いてあちこちに飛ばしたあと何十時間も眠った。私には信じられないことに。
 
 
その後何人かに力を貸してもらってはいるし、わざわざ読んでいない人に訴えて相談したりもした。
 
当然力尽きた。
 
今も参っている。
 
 
自嘲みたいなものしか浮かばない。私は本当に不具なのだ。理由はだんだん理解が進んで、今はあの記事に書いたようなものではなくなっている、が、連中を許すこととか、過去に引っかかっている記憶とか、ダメなのだ。全部足を引っ張る。
 
 
もう私はモノではない。
私は生きている。
私は人間だ。
私の人生は始まったのだ。先日の誕生日に、私は生まれ直した。
 
 
誰に言われたでもなく、最低限これは毎日自分で言い聞かせる。もっと長いリストになる日もある。
この意味がわかるだろうか。わかるだろうけど一応言うと、言い聞かせなければこの逆を自分に刷り込んでいるのだ。最初にそうしたのは連中だが、いつまでも続けてるのは私だ。
 
 
今年の誕生日までに色々と間に合わなければ、全部諦めるつもりだった。が、間に合った。だからこう言い聞かせていられる。そう思っても生きていられる。つらかったり苦しくなったりしても、かつてのような激しい抵抗感はないし、ある時もあるが、大丈夫だ。こんなことで死にはしない。単に忘れないためだ。
 
 
本当のところは誰かに言った所で理解されない。主治医だってKだって何も全部わかるわけじゃない。
だから私は独りだが、それはもっと穏やかなものであっていいはずだ。
こんな怒りや絶望感とセットであっていいわけがない。
自分が孤独だからといって私を巻き込んでただ「使った」人々をこんな苦痛とともに想起していたくない。
 
 
さっさと書いてしまうとこういうことが言いたかったわけだ。
 
 
 
もう誰かに邪魔などさせない。(2016/11/25  1:12)

2016/11/24 19:39 孤独2 外の世界へ

「1」とは全然違う話だし論文でもない感じなのでタイトルを変えるべきか考えたが、テーマも言いたいことも結局同じだったので、こういうタイトルにした。
そしてもう少し考えて、解説記事(すぐ次にアップする「3」になる)を書いた。それで一応、このタイトルで書くシリーズみたいなものは、いったん終わる。
 
ーーーー
 
記録と理解をしておきたいことがあるので書いておく。
今「過呼吸発作」などの症状が起きているからだ。(19:39)
どうせ毎日来るだろうとは思っていたが、時刻も関係有るようだ。
予測できないことは潰しておきたい。
また理解しておけばこういうものは消えると思われる。これは一度「パニック障害」を自分で消失させた経験からだ。
 
ーーーー
 
昨日、facebookのグループでKとサシのディスカッションになった。
あれをディスカッションと呼べるならだが(形式としては成立していないように思えるが、ともあれ)。
 
・開始は15:44に私がコメントした所から。
・終わりは16:20の私のコメントが締めな感じなので(Kの言うことにそれ以上言えることがなかった)そことする。(今日続きがついたが、ここでは関係がないので扱わない)
 
今見るとまあ内容があるかなと言えるのは私が最初につけたコメントがギリギリありそうなのと、Kが最初から思っていたことを言ったこと。そこへ私は賛成しただけだし、最後の私のはかなり考えたとは言えただの感想である。
 
その間のはほとんど内容がないのだが、私は必死に考えて言っていた。が、今日昼間FBのタイムラインにポストしたように(後述)、向こうはRさん(後述)と同じく(というか誰だってそうだろうが)返事はあっても返事しただけっていうか途中で放棄された(放棄された、というか返事のしようがないということだろうし、ルールに則って「降りた」だけだ)。まあ、冷静に見れば妥当だ。あれ以上は続けても意味がない。という内容。
 
 
・昨日はその後、16:46と17:09に英語でfacebookにポストしている。書くのにかかる時間を考えると直後に書いたのだろう。
一つ目はどうも恐怖感があることは書いてあるがこの様子だと発作には至っていなかったようだ。
二つ目はどう見ても自分を落ち着かせるために必死で、どう見ても症状が起きている。
 
少なくとも過呼吸は起きているし、はっきりパニックとかそういう語が散見されるので、「パニック発作」であると認識していたと思うのが自然だ。
 
思い出せることはかなり限られているので今の推測半分なのだが、「恐怖感」の内容は、Rさんとの議論がだんだん精神的にきつくなっていったことを思い出したことと、彼(Rさん)との離別(その仕方も含む)を思い出したからだろう、くらいまでしか思考力が働かなかった。
 
 
・その後症状の激しさと継続時間の長さに困って、18:15頃から21時台までSkypeで他の人と会話をした。
こういう発作やらパニックやらなにやらとにかく激しい症状は久しぶりであり、これがパニック障害であれば(本当はもう名前はどうでもいい)、私は自力で起きた時におさめたりするマニュアルやフローチャートができておらず、できる前に根本を突き止めて症状自体を起きなくしてしまった(治したという表現をした)ため、対処法や考え方が自分の中に確立していない、それを自分で考えるのに一人でいると動揺や苦しさが増すので、対話相手になって欲しい、ということを頼んだのだが、やはり一回ではダメなのかも知れなかった。あるいはフローチャートやマニュアルという問題ではないのかもしれない。
 
・激しい症状は会話中一度おさまったのだが、どうしておさまったとかいい意味なのか悪い意味(解離などに逃げた)なのかなどはわからず。一旦相手が離席していた間かなり精神的に苦しかった。これは判断保留。
 
・とにかく早く寝たのだったと思うが記憶が全然ないので実際はどうだったかわからない。
 
・今日昼間落ち着いていたので、14時少し前、facebookの自分のタイムラインに書けることは洗いざらい書いたものの、他SNSで最近苦痛をそのまま書いてしまっていることや、SNSだと必ず誰かの目に入ることを考えると、まずSNSにアップしていい文章なのか悩んだ。
さらに言えばあれはFB内のグループでのことがきっかけだと公言しているので、ディスカッションした相手かグループの人が見ればなんのことでどれを指すか一目瞭然だ。
 
ここまでが記録である。
 
ーーーー
 
さて、まずRさんを思いださざるを得ないのは、まともな議論、それも全力でできる相手との、となると、他にいないからだ。
そして彼を想起すれば苦しい離別の仕方だったことも思いださざるを得ない。
 
これは2015年の1月までTwitterでつきあいのあった友人との話である。2014年の10月末頃に出会っている。
と、記憶しているが、そうするとこれも記憶している、「3か月間のつきあいだった」に満たない。まあそのくらいだということだ。
 
これまではもう済んだこととして処理されているのだと思っていた。
あるいは実際にそうなのだが、今、脳の記憶に関わる部分が活発なのかもしれない。刺激されて思い出しただけ、ということかも知れない。
今日facebookに記事を書いた時はかなり泣いてはいたが、つまり感情が相当激しく動いてはいたが、「過去にあった自分にとって苦しいこと」を、全部か、何か意味があるか、強烈であったことに限っているか、その辺りははっきりしないがもう一度きちんと整理したいのだと思われる。
 
facebookでもう一度書いておいたほうがいいのかも知れない。あとで検討する。
 
ーーーー
 
事前の話になるが、ブログの記事「孤独1」をアップロードするのに迷いがあり、言われていたこと。
 
「自分にとって大事なことは文章に書き起こすだけでも精神に影響あるよ」
 
とは、まあ、当たり前のことだが。言語化したということはわざわざ認識した(意識したでも自覚したでもいいが)ということだ。「ものすごくはっきり思い出した」だっていいが、言語化するならただ事実を箇条書きにするというのとは違って解釈が入る(箇条書きでも入るが、文章にすると全体が一貫した物語になる。まとめれば人生観になっていく)。「意味付け」である。自分にとってはある事実、記憶がどういう意味を持つかは自分が決めている。これを意味付けという。
 
トラウマ治療ではこの「意味付け」を修正する。
今こうして書いているこの文章もそうだ。
 
一度意味付けがなされた「自分にとって大事なこと」ここではこういった記憶の話になるが、文章に書き起こす、上で言った言語化をすることで意味づけは二通りの道をたどる。
 
1強化される。
2修正される。
 
1について。漫然と日記などを書いていても仕方ないのは、自分に都合よく解釈(意味付け)しようがなんだろうが誰も指摘しないし、そうなれば自分が思いたいように書くだけだからで、しかもいつまでもダラダラと悪口など書いたりしていたりする。言葉の力の強さ恐ろしさはここにある。一人でただ考えたり誰も見ないものを書いていても、例え相手がいても、一緒にただ愚痴ってただ慰めて終わる相手では、意味付けの変化は起こらないで、かえって強化される。自分で考えたことというのは正しい気がしてしまうからだ。さらに同意して一緒に悪口に参加されたら、もっと強化されるのはわかるだろう。自分の考えた意味を保証してくれるのだから。
 
2について。これは少々人の協力がいる。まずはこうした書きものの考え方がわかっている人に注意点を教えてもらうこと。わざわざ私が公開して人に見せるように書いているのはそもそも教わった注意点だ。理由はここまで聞いていない。人に見せるなら人にわかるように書く必要があるといったかなり基礎的な部分だ。
添削してもらえればいいのだが、まあ、言語化する時に人が読むことを意識していれば必然的に色々と考えざるを得ない。ともかく「人が見て理解できるか、内容としておかしくないか」を今の私は考えている。
 
いずれにせよ、まずは思い出す。意識にのぼる。そこで文章化という「はっきりなんらかの意味のつけかたがある」意識、再認識をする。これはしようと思わなくたって言語とはそういうふうにできている。人間は言語で世界のことを理解するからで、それをわざわざやれば、必ず私達の精神に影響する。
 
今回は、「つらい思い出」というカテゴリを刺激して、すぐに思い出せる強い記憶にかなり動揺したのだろう。
 
ーーーー
 
私の場合は文章力が高いようなので、かなり気をつけている。おかしくても説得できてしまうのだ。それが以前の「自分を苦しめる意味付け」のままで停滞していた理由の一つであるし、今もかなり文章や短文を書く機会があるが、その文章を作る時や、話し合いだの議論だの討論だの口論だのになった時、私はどうあれ相手が言い返せないところまできっちり物が言えてしまうので、正しいのかおかしいのかわからないままなのだ。
これがもっとずっと単純な問題を扱っているのであれば、解決に向かう話をしているか、建設的か、で判断できるのだが、私の話はそういうふうにいかない。今だってRさんについてなど、他の人が見たら、私がここで「意味付け」をし直す前の解釈で何もおかしいとは思わないだろう。ありうるとすれば、いつまでこだわっているのだろうとかそういう話にしかならない。私がしないと終われないのはそういうことではないのだ。
 
難しく考えるなと言われるだろうと予測できるが、別に難しくもなんともない。
私にとってはできることとできないことの差がとても激しいうちで、こういう考察は、体力などは消耗するが、難しさはあまり感じないのだ。
 
ただ記憶や事実の整理がついていないからゴチャゴチャしているだけだ。
 
私はずっと世界のほぼすべての「意味付け」をわざわざ自分を苦しめるように行ってきた。
現実世界は私にとって耐えられる場所ではなかった。
何十年と私は自分の作った牢獄に閉じこもっていたが、外部とのやり取りは言葉で行うわけで、そこに「何かおかしい」くらいはわかる人がいても、私が現実にいないことまで理解する人がいても、大抵は私が知らずに追い返していたのだ。離れていくか、手をこまぬいて見ているか、ただ待っているか、それくらいしか通常は選択肢がないだろう。
 
今年、現実に連れ出してもらえた。彼でなければ相当難儀しただろうし、たった半年ではすまなかったろう。
 
その端緒、最初のきっかけがRさんだった。
その後深くはなくても何人かの人とのつきあいや何かを通して、一人で考えたり悩んだりして、ずっと自分だけで色々なことと向き合い続けてきた。
 
 
孤独感はまだ続いているし、あまり孤立も解消していない。何も平気でもない。
が、ここまで来たら、少なくとも過去の記憶を処理する、ということについては、自分でやる準備はできているのだと思う。
 
ーーーー
 
書き方や内容がどこまで何を書いたかはともかく、私はブログ記事で、過去の話に踏み込む気でしか書いていない。
その直前に、役所担当に向けての手紙で、具体的な話は出さないようにしてはいるが、概要としてはこういう事情がある、こういう事実がある、という告白をしている。投函は避け、メモとして手許にある。
 
当たり前だが、あったことの内容を書いていないだけで色々と思い出してはいた。
 
だからブログ記事がどう書いてあるかはともかく、一回もう書き起こしている。ブログのほうが先に下書きしたが内容まで入れなかった。対して、手紙は用件を書くのだからあんな遠回りなことを書いていられない。
だから発表の有無に関わらず、既に踏み込みはしているのだ。
 
今日facebookで赤裸々に書いてアップしたのは「人が実際に見るのでなければダメだ」ということを痛感したからだ。反応のあるなしはその後のこと。
 
 
その記事をここにも載せる。そこから上記のように自分で修正をかけた(というほどのことかわからないが、症状はおさまった。下記記事見たらまたちょっと苦しくなったが)。
 
 
昨日英語でポストしたのは何故かっていう話をわざわざします。

個人的な話ですが、今後個人的でもなくなっていく話題であろうと思いますので、まずは制限した公開で。

英語ポスト自体は、普段なら特に珍しいことでもなく、個人的な理由も単に海外の友人達が多いからとかそんなものですが、昨日はちょっと大変でした。

きっかけは意味がわからないようなことでした。グループ内でディスカッションをしただけです。ディスカッションとか本気の議論、さらに討論(討論は勝敗を決めるというルールがあるので議論とは違います。議論、ディスカッションとは簡単に言えば「お話」です)は慣れているものなので、「きつかったなー、未熟だなー」ということはあっても、何だというわけではないのです。

いつもなら。

昨日は直後に過呼吸発作を起こしました。
別にいじめられたわけではありません(苦笑)

知っている人は読めば見られるのですが、読んでも私が発作を起こす理由は見いだせないかなと思います。

はっきり言っていつもに比べれば手ぬるいかも知れませんでした、と言っても私は必死でしたが。

議論で必死になるの自体も特別ではありません。相手は色々な人ですし、内容がセンシティブな場合もあります。

ここでお断りすべきと思いますが、私は議論が好きな方です。過去様々な場所で色々な人と議論してきました。

議論時は普段なら私が議論モードになるので(これは単に私が未熟なだけですが)、相手が議論と喧嘩を勘違いして攻撃しかできない状態になった時に何か私にとって致命的な攻撃がされなければ、それも平気です。

昨日そういうことをされたわけでもありません。
必死だったと言っても相手も内容も問題はなかったのです。

議論が私にとって全力でしなければならないものだったことにカギがあります。

過去、私がとてもたちうちできない人が、Twitterに友人としていました。
彼は天才の一種、ギフテッドの1人でした。

仲良くしていたのですが、議論中は人が変わったように容赦なかったのです。が、議論はそういうものですから、あえて苦情を言いたいのではありません。

2つ、発作に繋がる心当たりがあります。


彼は私とは段違いの頭脳を持っていましたから、さすがに議論をしょっちゅうしていたら、精神的に追い詰められてしまったこと。これはしばらく議論は休みますと宣言して対応しました。別に無理じいする人ではありませんから、応じなければそれまでです。その時、私は入院して休養することが決まっていたので、その後再開できようと思っていました。

入院中に一度会おうという話も、していました。

もう一つの心当たりですが、彼は行方をくらましました。私は入院までTwitterに行くことを治療者から禁じられていましたが、直感的に何かあった気がして、共通の知人にある早朝いきなり「その人に何か異変がないか」尋ねました。知人は驚いて、「彼は姿を消すようなことを言っている。負担になってはと思い貴女には言わないでいた」と答えました。私は治療者に掛けあってすぐにTwitterに行きました。間にあいませんでした。知人に尋ねていた間に、彼はいきなり「さようなら」と書いて、以後一切応答がなくなりました。皆が騒いでいるのを見るか用意していたかして、夕方、長文が読めるサービスを使ってメッセージを出しました。全く普段の彼からは内容的に合わないものでしたが、反駁しようがないものでした。つまりもう絶対に戻っては来ないことを確信せざるを得ませんでした。そして、アカウントはずっとありますが、実際そのままです。安否も何も不明です。私の想像などはるかに凌駕する人なので、ログを読んだところで、メッセージを読んだところで、真相はまるでわかりません。理由はずっと他の人が聞けば答えていたのですが、私は一切、理由も、今後どうするのかも、聞いてみることができませんでした。


私が今ここにこうして生きているのは、彼がはじめのきっかけです。

恐らくここに至る過程を、彼は大体は予測していたと思います。

私を今直接的に救ってくれている人は別にいますが、そういう人が現れること、そういう人が私に力を貸す気になるような人間に私がなることくらいは予測していたと思います。私をそう仕向けた人ですから。

それくらいずっと親しく話し込んでいたのです。でも、たった3か月しか、であってからいなくなるまで、ありませんでした。そして、最後は、知らない間に、いなくなってしまっていました。メッセージは期限切れでもう表示できません。それくらいしそうだったのでスクリーンショットなどは取得しましたけど、彼は自分の発言を削除したことは一度もなく、する気もないと言っていましたから、皆は読めなくなった時慌てていたようです。私が取得したのは単純に感傷的な理由もありますが、内容的に奇妙だったから、考えたかったのです。同じことみたいですが、私にとっては違うのです。とっておきたいからと言うよりも、意味が知りたかった。話せなかった以上、私が納得できるまでは私が考えるしかありませんから。


まだ全然昇華できてないとは思いませんでした。


私には人に共有することが難しい過去が多くあります。放っておいて先へ進めるようなたぐいではない上に、誰かに理解されたりすることも相当低い確率でしかありません。恐らく誰もわからないし、当然解決してもらえることでもありません。まず、受け止められないと思います。


わかりやすく言えばPTSDとかいうものですが、それらをどうこうする準備ができて、今ドカッと抑圧して来た記憶が出て来たらしいと推測しています。

わざわざ書いているのは自分で納得して自分が先に進むためで、人に見せてわかるように説明しなければうやむやにしたがる意識が働くからです。


SNSに書くことではないのかも知れませんが、私のブログはあまり見る人もないし、そんなところに書いたのでは絶対に手を抜いてごまかすとわかるので。現在の最新記事がその良い例です。


それだけの理由ですから、あえて何かお気遣いは無用です。無茶を言っているのはわかっているのですが、このアカウントはプライベート用にはあまり使いません。元からあったアカウントは私がめちゃくちゃにしてしまいました。ここしかまともに気合い入れて書けるところがなかっただけです。Twitterは連続投稿でなければこれだけの分量は書けませんので、それだけでも集中が分断されますし、どういう書き方になるかわからなかったので、途中で何か反応が来ると困るからです(通知は理由あって切れないので)。


見せないと意味がないので、迷ったけどやはり公開します(と言ってもここだってほぼ見る人いないですが)。制限して公開してみて、後で全面公開にするかも知れませんので、コメントなど(ないかとは思うけど)ご注意ください。
 
どう思われるだろうか。
これではダメだとは、おそらく思わないだろう。
 
ーーーー
 
読み返さずともまだまだだなというのが率直なところ。
追いかける対象もこれから一緒にやる人もいるというのは、それでも幸福だ。
 
なお、書いていたら結構な時間がかかってしまったので、昨日とかなんとかいう表記を直すところだが、転載箇所に手を入れたくないなど色々な理由から、タイトルに入れていた「書き始めた日時」をそのまま入れておくことで大目に見て頂きたい。(2016/11/25 1:00)

孤独1

孤独とか孤立とかいうものの定義というのは難しいものだ。
 
 
辞書を引いたりすると孤独は感情で孤立は状態を表すようだが、私は英語を使うことが多いので、こういった「ニュアンス」に依存する表現をしたい時かなり困るし、よく間違える。
 
 
勉強不足なのはもちろんだが、私が決して言い訳にしない方針で来たことがやはり邪魔している。
 
 
発達障害である。
 
 
ーーーー
 
 
今回はかなりシビアな話をするつもりである。心情やエピソードよりも、メカニズム的な話をするので、論文とか解説文のようになるから、難しく感じるかも知れない。
 
また、論文について知らない人が多いので一応断っておくが、一つの文章で扱えるのは一つのテーマにすぎないし、多方面からの見解ではなく、「このテーマについてはこの立場からこの切り口で話を展開し、結論はこうであると断言する」という決まりがあり、それに沿わないと話が滅茶苦茶になってしまう。だからここで扱っていない話を持ち出して反論や持論を持ち出したくなる人もいることは承知だが、それはお門違いである。さらに感情論である場合が多いこともわかっているが、当然それは受け付けるものではない。まとめると「関係ない話を感情で言われたところで応じようがない」ということである。
 
 
表題が「孤独」であるように、感情についても扱う。だが、あくまで仕組みを説明するという観点である。
そして私の立場は「発達障害者である子」である。それ以外の立場には立たないよう気をつけるが、現実にあった未整理の記憶を持つ以上、当事者としてしか書けない。これは私の限界でもあり、人間の限界でもあるが、それを超えるために書くものでもある。
 
 
そのため感情はできる限界まで排除して書く。いったん、整理しておきたいのである。
 
 
初めからきっぱり論文調では読みづらいので、少し私の事情を書き、徐々に論説に入る。
はじめは孤独についての考察を始めるにあたっての序のようなものである。
 
 
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アスペルガー、今の名称は自閉症スペクトラムだが、それを先天的に持って生まれた私は、さらに家庭環境に恵まれなかった。
 
 
私の場合は父もその母親も自閉症スペクトラムと断定して良さそうな特徴が、今にすればかなり明らかである。
加えて母はそういったものがあるかはともかく、異常性格というしかない。
 
 
そこから孤独、孤立ということを思い、考えや知識をまとめておきたくなった。
 
 
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まず、私や私達の障害や疾病について、誤解している人も多いので、説明しておく。
 
 
心理学の用語に「輻輳(ふくそう)」という難しい言葉があるが、色々な要素が一箇所にこんがらかった状態のことを指す。通常、精神疾患などというのはこの言葉を用い、遺伝的要素と生後の環境要因が合わさって生じると言われている、と20年ほど前に大学の講義で言われた。「輻輳説」という。
 
 
当たり前のことである。精神の病だろうが障害だろうが、身体だろうがなんだろうが、遺伝がゼロか百、環境がゼロか百、などと言える訳がない。
 
 
自閉症の世界では環境要因は永くタブー視されてきた。これは行き過ぎた母親バッシングの反省から来るものだが、では全く関係ないかというのは愚問であって、私が在学していた頃でさえ、
 
「養育者にとって、子の反応が通常予想されるようなものでなかったり、いくらあやしても反応しなかったり、笑うということがなかったりすれば、育てがいを見失う。しても無駄だとわかっていることをなんなくできる人間はそうはいないので、子に冷たくなったり、笑いかけ続けることができなくなったり、かわいく思えなくなることは、人として自然なことである。これを『母性本能』という神話に基いて、子育てをすべておしつけているか、通常予想される反応を得られる立場にいる親などの無責任な人間が勝手に騒ぎ立てたというのがいわゆる『冷蔵庫マザー(冷蔵庫のような冷たい母親、という揶揄)』という言葉である」
 
といった説明はかなり古典的なものとして確立していたのである。つまりそんなことは当たり前だということだ。
 
 
さらに現在では、後天的に発達障害様の障害が起きることが研究として認められつつある。
日本語で書かれた本はまだ少ないが、インターネット環境があれば見つけることは簡単であるし、それについて取り扱ったサイトやブログも出てきている。
 
 
つまり発達障害自閉症スペクトラム障害は後天的に引き起こされているものが含まれている可能性が高いというエビデンス(証拠)が蓄積されだしているが、まだ不十分であるので、ここで断言することは避ける。
 
 
しかし、上記の「冷蔵庫マザー」についての説明およびこれから述べる説明はごく常識的なものとなっている。これは正直に言えば今更なものなのだが、私が多少なりとも心理学を修めかけた関係もあるだろうから、なるべくわかりやすい説明を試みる。
 
 
そもそも、人間が一番負担に感じ、疲れて参ってしまうのは、「徒労」、無駄な努力である。それ自体を誰も責めることはできない。何しろ拷問でもポピュラーなのがこの徒労感を覚えさせることであったりする。例えば「穴を掘らせる。それを埋めさせる。また掘らせる。また埋めさせる。用途はなく、ただそれだけが繰り返される」というようなたぐいのものだが、そういうことで人は「発狂」する。意味を見いだせない行為はできないようにできているのだ。日常生活でも精神を病む理由の1つにもなっている。絶望して自殺に至るのは、人生を生き抜く努力に意味を見いだせないからだ。負担のほうが上回ってしまった時、何か生きる理由がなくなったり、初めから見つけられないでいる状態から抜ける手段や助けなどが何も得られなかったりした場合、人は簡単に絶望する。拷問はそれを応用しているし、いわゆる洗脳などもそうだ。少し頭の切れる人間なら、抵抗感さえなければ、いやあっても、そういったことはそう難しくもなく思いつけるし、実行も可能である。通例は社会通念などの「ストッパー」があるので目立たない程度のことしかしないが、程度を度外視すれば日常的に行われていることだ。
 
 
子などを虐げることが意外にたやすく起きるのはこのためでもある。様々な親がいるが、発達障害者の親や家族は負担を強いられるか子に強いるかどちらかに陥りやすい。なぜそうなるのか、まず一般的な親子というものについて説明する。
 
 
自分が思い描いた期待にまるで沿わない、自分がこうすればこうなると思った反応が返ってこない、これ自体をストレスに感じることは、問題ではない。具体的にはいくら言って聞かせても言うことを聞かない子を相手にする、「一般的にはこうなるはず」と思う言動をとらない子をずっと育てるなどだ。これに疲弊を覚えるのは当然である。
 
 
だからといって問題解決と思って間違いをおかさないよう、説明をしていく。
 
 
まず模範解答を言えば、子だろうと誰だろうと、自分以外に自分の意に沿う言動を取るような者はいない。自分のことだってコントロールが難しいのだ。まだ世界や人についてほとんど知識のない幼い子が言うことを全然聞かないなど、当たり前のことであるが、それ自体がまずあまり理解されないことが多いようである。また、ある程度成長している子や他人であれば、ある程度の知識を持ち、世界観が構築されているから、例えそれが「どう考えてもおかしい」ようでも、本人にとってはそれが世界なのだし自分自身なのであり、それ以外の人間と同じようには考えたり行動したりできないのは当然である。
 
 
そこで負担を感じること自体はまず最初の段階としては仕方ないと言った。問題はその後の思考と行動だ。
 
 
何故か自分と子を同一視してしまう親が多い。これは日本社会では人間関係全般に言えるので問題が拡大しているのだが、ひとまずそれは置いておく。まずは親子関係に限定して話したい。
 
 
説明のために言っておくが、私はよく、人について考察する時、「人間は生き物である」という段階から考え始める。動物でもいい。人間は脳の肥大が進んで「知能」「知性」とか言われるものをずいぶん身につけたが、動物の一種だということを現代では否定できるものではない。
 
 
生き物、動物は基本的には自分のためにしか行動できない。人も同じである。他者のための犠牲行動だって、自分が選ぶのだ。よく「自己満足」というものは悪者扱いされるが、自己満足以外に行動を起こさせるものは恐怖や不安くらいだ。大雑把な分類だが、これ以上詳細に分けていっても結局はこの2つの中におさまってしまうのでここではこう言っておく。この2つでさえ「欲求」という1つのことから分けたものである。
 
 
つまり生き物は欲求から動くのだ。欲求を満たすために行動する。それが満足感に直結しているか、不安から行動して不安の理由を回避したり解決して安心して、満足するか。細分化はできるのだが大きくはこの程度から始めたい。
 
 
人は子を産んだり育てたりするが、それは自分のためにしているのだという話をしたいのである。
 
 
これは別段私が考えだしたことでもなんでもないが、ゆっくり丁寧に考えればそれ以外に理由がない。
(ここで暴力的な行為による望まない妊娠などの話題を入れることは避ける。今はごく典型的、定型的な親子や家族について述べているからだ)
 
 
性欲のためだろうが家族が欲しいからだろうが、それは自分や自分達のためであり、自分達の欲求である。
子がかわいいと思うとか育てるという行為をするのは自分がそうしたいからだし、何か他に事情があっても、その理由を子に求めることは筋が違う。子が頼むから生み育ててくれなどと言って来るからではない。もしそうだとしてもそれを聞き入れればそれは自分がそうしようと思ったからだ。
 
 
これが前提であると理解していないから、期待どおりでない子の扱いに問題が起きる。
 
 
「こうであって欲しい」と思うのは普通のことだ。
そしてそうでないことが起きるのも、普通のことである。
その時にストレス、負担、徒労を覚えることも、生き物である以上、基本的には仕方がないことである。
 
 
ここから、「子は自分と同じものではないので期待どおりにはいかないことも多々ある」ことと「まず子を生もう、育てようとしたのは自分や自分達である」ことをわかっているかどうかで子の人生のかなりの部分は変わってしまう。
 
 
意に沿わない子、周囲に恥ずかしいあるいは迷惑をかける子、可愛く思えない子、関心を持つことができない子、という(いささか十把一絡げではあるが)否定的な見方だけをするだろうか。その延長線上であれば、子を苦しめるだけの親になる可能性は高い。それとも、それならどうするべきかを模索するほうへ行くだろうか。その時に必ず上記の二点が念頭になければ、つまづくだろう。逆にそうはっきりとした認識でなくてもどこかでこれらを理解していれば、悲劇的な方向へは行きにくいし、間違えてからの挽回もしやすい。
 
 
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ここまでで一回目を終了する。おおよそ5,000字だが、慣れない話が多く混乱されている方も多いだろうし、ここまでではまだ前提の話をしているだけなので、言いたいことまで話していない。
 
 
これはごく個人的な反省点だが、はじめはこれまでのような一般のブログ的な書き方で書くつもりでいた。
だが、その書き方では私が耐えられない話題につながることと、何故そうなったかを話そうとすると説明を略すわけにいかなくなったため、そして感情を止めるため、途中から論文式になってしまった。
 
 
この前の数記事を読まれた方は私の状態を多少なりとも理解して頂いていると思う。初見の方が多いだろうから本来それに甘えるべきではないと思っているが、自分の精神状態と健康状態のために勝手な書き方をしたままで送り出すことにした。
 
 
この記事も、まずは私が自分のために書いているからである。それでも誰かの役に立つ可能性はあるかも知れない。

「生存確率」問題

久しぶりのひどい抵抗感。
眠りにつくことに対してである。

 

昔から強烈に不眠だし眠ることに対する抵抗は強かったのだが、今眠らない理由があるとしたらなんだ、一体。

 

 

思い当たることといえば心理学的な知識になるのだが。
PTSDがあると常時緊張度が高くて、それは緊急事態の場面では役立つ。


が、今のように中途半端な状態に置かれるとーーというよりは「割合安心していい」状況下に置かれると、「困る」のだと思う。

 

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先日クリニックを受診したのだが、主治医が私の様子を見て私とは会話にならない、客観的な状況を聞きたい、ということだろうが、とにかく私の話は遮りまくって、付き添いに来てくれた人とばかり話をしていた。

 

付き添い人のおかげで事情はきちんと伝わり、主治医のほうから今一番の問題になっている支援機関に連絡してくれることになったのである。付き添い人はしっかりしている人だから、その人が「先生のあの話で理解できなければ(私の担当は)失格だ」と言っていた。意味がわからず聞くと、「あの人は以前高齢者介護施設で働いていたから」という。

 

主治医はもう何回も私には言っているが(そして記事のどこかに書いたかも知れないがちょっと今見つからない)、私の障害と病気と状況の掛け合わせで「認知症の寝たきり高齢者に相当する状態であり、そのケアが最適で必要だ」といった説明をしたのだ。だから「その例えで貴女の状態が理解できないというんじゃ失格だ」というのである。

 

主治医は私には入院できないか病院にかけあってみてくれると言い、「この1年頑張って心理的な内容で考え過ぎている。1日の時間をなるべく『what to be』ではなく『what to do』になるべく切り替えてくれるといい。遊んで下さい」と言った。つまり心の有りようのほうはなるべく意識する時間を減らし、とりあえず動いてくれということだ。その際、真面目くさらず、楽しく過ごしなさいよアナタ、ということ。

 

さらに、私は数人に相談しており、別の方面からも連絡待ちの状態だ。私の住む自治体の行政は全くふざけた状態であることがわかり、介入してもらうには民間を頼るしか策がないので、まず1人から連絡を待っている。それ以上相談したり何かすることはわたしにはもうできない。

 

こうして文章が書けるので読んでいる人はいぶかしんでいるかも知れないなとは思うのだが、重度の障害者でつきっきりの介護が要る人でも、パソコンを駆使して年だかどれくらいだか知らないが数億から稼いで家族(親兄弟と親類らしい)を経済的には養っている、という人もいる(インターネット界では有名過ぎて名前書けないけど)。そういう人だっていることを思えば、私のような発達がメチャクチャにでこぼこしていて、ひたすら文章だけは書ける人間、というのがいたところで、べつに変でも不思議でもないのだが。

 

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報告できる状態でもなかったので今した訳だが、そこで初めに戻るのだ。私の持つPTSDはあまり芳しい状態でもないし、複数あること、一筋縄ではいかない重さであることなどはこれまでの記事でも書いている。

 

私にとって眠って意識が途絶えることはかなりの危険な状態だという意識が働いてしまうのだ。
これまで、一番短く数えて一年間程度は、ずっと緊張状態にあった。無理することが当たり前だし気を抜ける感覚になどなれなかった。トラウマの症状も出たし、ひたすら悩んでいた。かなりのんびりしている病棟での入院時も、全然、悩んでいる状態から抜けられなかった。

 

6年前に事件にあってからは体力が落ちながら無理矢理に理解しようとしない行政と独りで闘って来ていて疲弊しきって寝たきりなのだが、今年初頭、自分の行動が異常になったので人に相談をし始めた。

 

まだどう異常だったか書く気になれないような内容なのだが、途中から友人にバトンタッチして、私はやっと変わりだすことができた。

 

 

変わったというのは行動を起こす気になったとかいうことであって、何か、「病気が治った」とか言うよりは、「何かを改善する準備ができあがった」という、いわば心の土台ができたということだ。

だからPTSDや他の病はひとつも「治って」いない。何か問題が解決したわけでもない。その解決やらの基礎力を引き出してもらったというか、修正をかけてもらったところまでなのであって、それ以上は私が動かないといけない。

 

PTSD心的外傷後ストレス障害というものは日本では禁句だったりするし、自分から言えばなおさらのことだし、まあ、私自身精神的な症状に軽々に病名などつけるのには賛成しない立場である。が、実際に症状はあるのだ。体力もないし、身体的な症状もメチャクチャに出ている。これは今年無茶したことに重なって、支援があまりにあまりだということの心労があるのだが、元々「PTSD」がなかったらこれくらいで参らなかっただろう。

 

当然そんなことは詮無い話で、要は今、良くも悪くも脱力してしまっているということ。

昔から生涯をかけた訴訟を闘ったりなどして、事が終わったらすぐに逝去してしまった、などという例は多い。
私は今のところ死ぬ気はないのだが、期待も安心も心配も、何もしないようにはしている。

 

ただ、平常というものを知らないので、今のような状況にいる時どうしていいかわからず、「いつ何が起きても即応できるように」という緊張状態になってしまっているのだ。それしかこれまで経験していないから。だからこそ「遊んで下さい」と皆が皆言うのだしやってみるのだが、気が済んで寝ようとか明日に備えて寝るとかいうのは、どうも感覚がないのである。

 

 

命に関わるような強度の危険を感じる体験をした後で起きる問題だ。
私は心理学の勉強を途中で投げ出したのでこういう用語だか説明があるのだか知らないが、とにかく「世界中が危険な体験をするような場面」である以上、逃げるか闘うかしなければならない。それが「生存確率を高める」ための反応であるが、このせいでずっと交感神経優位のままだから眠れないし眠る気になれない、などという説明もできることは以前書いた気がする。

 

ここで気張るべきでもないのだろうと思うのだが、こればかりはまだわからない。今気を抜いたら死ぬような気がしているのかも知れない。心に致命的な傷を負わされるというのは、そういうものである。気楽とか適当とか、やってみたくてもわからない。

 

ともかく、今じたばたしようはないのだけれど。

人間が怖い

前の記事生き延びるために - NIKITAのリハビリ的日記

で絶叫した訳だが、有効な手段はまだ取れないでいる。

 

応答してくれた人もいるが、私がロクに会話(テキストなのでメッセンジャーやらチャットだが)できない状態で、話をリードしてもらえないともうまともな相談にはならないのだ。

 

昔、いのちの電話にしょっちゅうかけていたが、そんなスタミナがよくあったものだ。東京いのちの電話は2時間はリダイヤルし続けなければ繋がらない。

 

そして私はかけるのをやめた。何の解決策も前進もなく、毎回謝罪されるだけだったからだ。

 

だいぶ前の記憶である。かなり引っかかりつつも音声での通話ができていたし、今ならそんな頼りになるかわからない所に本気の相談はできない。話して整理してスッキリという問題ではなく、私は切実に解決手段を見つけたいのだ。その頃は生活保護くらいしか受けていなかったし、事件に遭う前だったから、切実は切実でも切迫度がまるで違った。

 

人間は怖かったが、色々あった今とは訳が違ったのだ。

 

過去の話をする体調ではない。この今の体調をいくらかは浮上させなければ無理だ。今でさえ既にきつい。

 

本題であるが、私からかくかくしかじかだからどうしたい、ということさえ言える状態でもない。話が複雑だから、文字にせよ通話にせよ会話を続ける必要がある。もう頭が回らないのでそこでわかってくれるかも知れないが、切り出すこともできないのだ。何を最初に言えば良いか、時間帯は、と気を回すことが多過ぎる。

 

症状は悪化の一途なので眠ることなどかなり難しくなった。そして眠ったら必要なことは忘れてしまう……。が、この眠さでは人に向かって言葉を発するのは不可能だ。

 

酷い記事だが、公開しておこう。

生き延びるために

私は生きていたいという感覚がわからない。
いや、正確に言えば、「生きたいと思えない」。

だから何十回か自殺を繰り返したが、こうして生きている。

理由は難しくない。親から支離滅裂な扱いを受けて「お前に人権なんかあるか」と言われたり、自分の優越感を保ちたいがためにけなされ続けたり、プライバシーが全くなかったり(自室ができたのは23歳くらいの頃で、何度ノックして返事してから開けるよう言ってもそれは叶わなかった。それまでは170cmの私と164cmの身長の妹がメチャクチャに物があって寝るには斜めにならなければならない部屋に住んでおり、戸などはなかった)、あらゆることに口出しされたり、勉強どころか宿題するのも「家のことが最優先」と止められたり、どんなに体調が悪くても医者につれていくどころかうめいていればうるさいと言われたりして当然学校を休ませてもくれなかったり、こちらの都合や状況状態に関わらず気まぐれや親の都合で急に呼び出されてどうでもいいものも含めて用事を言いつけられたり(親が寝ている時以外はそれが当然だった)、父からセクハラを受けたり、と、書き出すときりがないのだが、つまりあれは虐待だったのだろう。

私は食事をすることや眠ることに凄まじい抵抗がある。普段は発達障害は食欲と空腹感がつながっていないとか、選択肢なしに食べたいものを聞かれても思いつかないのだとか(そういった特徴が発達障害にあるのは事実であるが)、不眠は不眠であるということで通しているが、そんなごちゃごちゃした話をしなくても簡単なことで、「生きていたいという気がしない」だけだ。

私が何故生きているかは医者も首をかしげるような未遂を繰り返しているので、あまり考えても仕方ない。長く悩んだり考えて仮に結論を出してみたりしたが、時間の無駄だと思うようになった。そんなことはあとでいいのだ。

生活の仕方がわからない。生活する感覚も理解できない。金銭の感覚、というか数が理解できない。睡眠サイクルもできない。食べることや服薬や、なんでも、生きていくのに通常できることがどれだけ努力してもできるようにならない。
主治医の長年の見立てからして、脳に何か器質的で致命的な問題があると考えられる。親からそういうことは何も教わっていないのは事実なので単純に知らないということも間違っていない。発達障害というのは色々な障害を含む概念なので、脳に何か異常があり、学習できない、あるいは困難さが強い、というのはあっても不思議ではない。

ただ、ずっと引っかかっていたのが、「生きていたくない、死にたい」のが当たり前の感覚になっていることだった。
生きる希望とかそういうのがわからない。楽しいとかいう感情、喜びといった知性の働き、幸福に近づくこと、せめて生きやすくなること、そういうものに対してメチャクチャな抵抗がある。

ここまでのことは私に限った話でもなかろう。友人にもそういう人はかなりいたし、今もいる。「いた」というのは、関係を断った人もいるのだが、大抵は自殺している。

何故私が生きているかは置いておくとして、今の私である。私は友人などの助けを得て、かなり精神的なおかしさからは改善できている。精神疾患はまだあるしとても精神障害者でないとは言えないが、以前ほど自暴自棄になったり、依存しすぎたり、感覚のズレが激しかったりということはなくなりつつある。何かに動揺することも、誰かに何か言う時に何をどういっていいかわからないといったことは激減した。なくなってはいないが、それでトラブルにまで発展することは目に見えて減った。

それでも誰しも、どんな人でも生きていて困りごとや問題がないわけがない。私はそういうものに怖気づくことが減ったり、解決に向かうことに意識がいくようになったり、行動することができるようになりつつあるが、ここで邪魔が入る。

私の過去の苦痛は親から受けたものだけではない。2012年2月と2015年1月に他人から故意の犯罪行為を受けた。両方とも、相手の最終目的は達せられていない。私が自分で何とか逃げたり撃退したりした。
それで済むものではない。約6年間、私はほぼ寝たきりになっているし、発作といえるものを起こすこともあるし、思い出して平気なわけでもない。関係するものや人物などで思い切り思い出して大変な苦痛を味わったりもする。

それらの詳細はまたにするが、このおかげで起きている問題がある。精神障害者に対する支援を私は受けているが、こういったことで私のような状態になった人への支援や救済措置はないのだ。当事者が起きて動ける状態ならばまだ何かあったかも知れないが、私は元々滅茶苦茶な育ち方をして既に重症の様々な疾患を持っており、そのために狙われたという面もある(つまり助けもない、後から告訴などもしづらい、だまして犯罪行為に及ぶことが比較的容易だとかいったことである)。

例えばヘルプサービスというものが公的支援制度で存在するが、精神障害者が対象の場合、要は「生活の仕方を教えるために一緒に家事を行う」のが骨子であり、単純に「はい自立して下さい、できないなら克服して下さい」というものだ。通常想像するような介護とか「何か家のことをしてもらう人」「できないことを代わりにしてもらう人」が来るサービスではない。時間だって短いし、そんなに来てくれる回数もない。やることは私達利用者が考える。私に言わせれば無謀もいいところだ。(ただ、地域差はかなり激しいらしい。私の場合は東京都23区のひとつである)

この制度の考え方のおかげで私は苦労を強いられてきた。6年間が闘いだった。他県などの専門家や関わりのある人とつながりがあるが、「こんなひどい対応は聞いたことがない」「制度が受けられると認定されているのに扱いがひどい」「介護区分がどう見ても軽すぎる(私の場合はもっと重症者であるのにかなり軽症の扱いを公式に認められているということ。具体的には区分3だが、2つは重いはずだ、という意見を複数もらった)」など言われている。「支援のせいで重症化してるよね」とも指摘されてきたが、一応、「どうしようもない場合ある程度はヘルパーが家事などを行うことも許されている」ので、これ以外どうしようもなかった。

今、過去のことを恨んでどうこう言いたいのではない。やっとまともな支援体制になりかけているのだが、私が疲れ切ってしまったのだ。連絡をとるということも、ものすごく大変で、なるべく楽な方法をお願いしたり、できるだけ省けるようにしているが、起き上がれない、外出して歩くということもできない、という経験さえない人なら、この疲弊は想像できにくいだろう。それ自体に文句をつけてもどうにもならないから、事情を話して相談している。相談そのものは以前の私では考えられないほどできるようには、なった。

完全理解など不可能だし、はっきり言って心中では私をどう思ってくれていてもいい。やめて欲しいことはそう言うし、お願いはお願いとしてきちんとする。できないなら相談である。

ここまで来るのに、実は「改善に向かう取り組み」を自分から始めて1年たっていないのである。それまではいくら相手もおかしいとはいえ、私もジタバタしてわめいて言うことを聞けというようなことをしていたと思う。つまり「自分はこんなにできないからやってくれ」とだけ説得する人間から「じゃあ解決や改善するにはどうしましょうか、私はこういう状態なのでこういうことを希望するのですが」という人間に変わるのに1年かかっていないのだ。

無理にそういう人間のふりをしているのではない。人の協力や自分でとった行動などで、自分が変化したのだ。

ただ、残った大きな問題が、「生きたいとは思えない」感覚が今もがっちりとあることだ。これは支援を受けようとしたりすれば絶対に言えないし、そもそも人間は生命を扱う、直面することに非常なエネルギーをとられるし、自分ががんばっているのに甘えているなど思ったりするから、私も普段口にすることはない。別に言っても得はしないし、それをわかってもらいたいわけでもない。わかるはずもないのだから言い損だし、あまり慰めあいをしていても気分は良くならない。あまりに参っている時にいたわりあうなどは「あり」だけれど、それだけで留まっていれば一生何もよくならない。それはもう実感している。

だが、口にしないだけで、「生きていたいと思えない」感覚がそれほど変わったわけではない。

生活の仕方や感覚がわからないことをどうするかとか、過去の苦痛を忘れるとか、そういった努力をする気がないのではない。誰かに認められるためにしている面があることは否定しないが、そんなことよりもういい加減に要らないことは手放して生きやすく生きたいし、楽しくなるなら楽しみたい。だからこうして吐き出しているのだ。

勢いなのだ。もっと言えば怒りである。私はまだ生きたいという実感を持ったことがない。私の人生はまだ始まっていない。それなのにこんなことで、こんな時点で、殺されたくない。私の邪魔をするな、ふざけるな。ーーそういうものでしかまだ自分を支えられない。私はろくな人間でもなかったが、すべてを否定することもされることもしたくない。まだ始まっていないのにそんなことは許さない。初めて本当に理解してくれる友人だってできたのに。だから生きているのだ。まだ何も知らないのに、生きていたいという感じも知らないのに、ここで死ぬのは嫌だ。ばかげている。

が、今、私は限界を感じている。怒りなんてものはそんなに持続させられるものではない。非常なエネルギーを食うのだ。6年間、いや、これまでの人生通して私を一番邪魔してきたのはこの怒りかも知れない。そのおかげで生き延びたのも確かだが、もう、そんなもので無理をして生きることはできない。だから、今、再度倒れかけている。慰めてもらってもしょうがない。無理しろと言われても動けない。滅多なことでは言わないのだが「参っている」。助けが欲しい。どうしていいかわからない。休むな食べるな生きるな、これらが頭から離れないのは「ヒマだから」ではない。ずっとそんなことに意識を向けてなどいなかった。考えてなんかいなかった。参り始めてから「気づいた」のだ。もう書けない、もうまともな会話もできない。できないなんて言いたくもないし思いたくもないのに。

先日、無自覚に自殺をはかろうとしていることに気づいて止めた。止められるならまだ大丈夫だと言い聞かせているが、どうしたらいいのか。体力をつけるとか食べるとか休養をとるとか必要な薬を飲むとかができないのは、制止するものが強いからだ。だからどうしたらいいのか考えて、ここまで動いてきた。こういうのは慣れていないから疲れるのもあるかもしれない。なんでもいい。休もうとすれば何らかの自分を傷つける行動を取りだす。他の何もかも、生きるのに当たり前に必要なことすべてだ。体調も先日から滅茶苦茶に崩れたままだ。もう怒りではどうしようもない。自分でできることはもう思いつけない。

こんなことで終わりたくないし、終わらないだろうけれど、これではもたない。だが、どうやって、誰に、何を、言えばいいのだろう。

過呼吸と怒り

今起きている不調は、いつも起きる、変化の後の反動的なものだろう

 

感情 - NIKITAのリハビリ的日記

 

この記事はあまり正確だったとは言えない部分があるのだが、心理的な変化が起きたことには間違いはない

 

どの程度の変化かと言ったら、そんなに凄まじく変わったわけでもない

 

それでももう元に戻るとはあまり思えない

 

絶望そのものは取り消し不可能だし、今の苦しい症状が消えたら定着に向かう性質のものだと思う

 

一昨日、あることが自分に起きて少しダメージを受けたが、そのままであればただおさまるものだった

考えはするが、感情は少しの時間が経てばどうというほどのこともなくなる

以前なら怒りを覚えたことだが、今は傍観できる

 

それがたまたま同じタイミングで友人の身に起きたことで、どうも感情が動くことになった

 

怒り、である

 

私は30歳を超えるまでまともに怒ったことがなかったが、抑えていたぶん、かなり血の気が多い性格に変わったかのような状態でこの10年ほど生きて来た。そのため、怒るようなことがあると簡単に激怒してしまうほどだった

 

感情を抑えなければ生きられなかった人が初めに覚えるのが怒りであるが、おおかたの人は他の感情も覚えて行き、バランスを取るようになる

そのうち怒りも日常的なものではなくなって行く

 

私はいつまでも怒りを手放すことができなかったうえにさらに怒りを維持しなければならない経験が重なったし、簡単に人に言える話でもないため、全部ため込んで行った

 

それを手放し始めたのが、私が絶望と呼んでいる状態だと思う

 

別段何も考えていなかったが、これまでの経験上、ほぼ必ず反動とかゆり戻しが起きる

これは私に限ったことではないのだが、どうやら程度や内容が尋常ではないらしい

 

怒りから始まったが、それに誘発されて、酷い情緒不安定の状態に陥っているのが今である

 

連動してか、今、ほぼすべての苦痛な記憶がよみがえっているので、反応として過呼吸発作が起きていた

 

ここまで書いている間に呼吸困難はずいぶんましになったが、体調は悪いし、不安定さがそう良くなったでもないと思うので、SNSなど人がいる所から離れた(何しろ週末だし、時差もあるので人がいなくなることがあまりないのだ)

 

眠れるものではないし、ただ書くしか能もないから書いている

 

あまり文句を言う気にもならない

ただ文が拙いな、と思っているが、これを書く直接のきっかけがとある自閉症児の子育てブログ記事を読んだことであるあたり、やはりその部分は変わっていない

 

何だか莫迦莫迦しくてやっていられない気はする

 

それ自体が今はどうでもよく感じられてはいるけれど、手間がかかりすぎだし、何も友人の役に立つわけでもないし、私は恐らくまた怒り始めている

 

友人を心配するのは良いかも知れないが、自分のこととまぜこぜではしょうがない

 

反動が落ち着くのを待つくらいしか、私にはできることがない

感情

今日、とうとう体力が底をついた。
9月26日に退院してから数えてちょうど3週間、寝込まずにもったのはここ数年にないことだから「奇跡的」な感じはする。
いつもであれば1週間くらいで何もできない状態になる。起き上がれない、スマホを扱うのも一苦労、手書き文字は書けない。
それを身近で理解する人、いや信じるというだけのことでさえ、する人は一人くらいだ。

 

2日前に同じ発達障害の友人としたやり取りの後、私は激しい動揺に見舞われた。
その感情を持て余して人にネットを通じて話そうとしたが、うまくいかなかった。
それが昨日の記事に現れたようだ。

 

今日、話そうとした相手と一応やり取りしてみたが、行き違いはどうにもなりそうにない感じがする。
私はただ、聞いてさえくれればよかった。理解できることではないのはわかっていたし、それでも苦しくてつらくて、単に聞いてくれる人が欲しかっただけだった。励まそうとしてくれたりしたのだが、そのために私は追いつめられた。叱られているような感じもしたし、動揺している状態で早急に答えを出そうとするのは、やはり「私とは」「私達とは」違うのだと感じた。

 

最近の、通常の状態の私であれば、おそらくそもそも話したりもしないで一人で泣いていただろう。
それで済ませたと思う。

 

今さっき、やっと気づいたのが、冒頭のことだ。
退院後どんどん思うように何かをすることができなくなっていき、生活は破綻し、思いつめることも多くなっていたが、何とかしなければと思っていた。ヘルパーともうまく意思の疎通ができない。他の支援機関と連絡をとることもかなりの負担だし、その前にだんだん言葉が浮かばなくなっていた。

 

よく思い返してみれば、これは自宅生活に戻ったらいつものことだった。
ただ、これまでは何年も何か行動しようと頑張ったことなどなかったので、これまでただ激しく疲弊していることに気づけなかったのだ。

 

先程Twitterで自暴自棄に見えるであろうツイートをしていたが、どうも人を傷つけたようなので、今SNSにいるのは得策ではなさそうだと思い、スマホを置いた。

 

自暴自棄とは違う気がする。これは恐らく絶望といわれるものだ。
これまでも何度か絶望して動けなくなったり死にかけたりしたことはあるが、今私はこうして記事を書いている。
だって、もうどうでもいいのだ。これまで私が気にしてきたこと、恐れてきたこと、つらく感じてきたこと、そういったもの、そして人から、私は距離を置いてみようと思っている。物理的にはトラブルだらけで、実際の生活上、距離は置けない。心の距離を置く。

 

何人かの人に「絶望してからが人生の始まり」というようなことを言われた。
思い出しただけで、だからどうだということも考えていない。疲れた。考えることはひどくエネルギーを使う。

 

そして思考は感情を作る。感情に消耗するエネルギーは膨大である。なら、考えないか、感情を無駄に動かすような思考はしないでおくことだ。考えかけたら止める。断じて止める。これは決意とかそういったものであって、ほとんど考えてはいない。理由だの分析だの意味だのそういったことを考えるのが「思考」で、私は長いことこれに頼って生きてきたが、あまりあてにしないほうがいい。どこかでみたような虚しい言葉を量産することがほとんどだから。この「言葉」は大部分捨てたほうがいいものだ。負の感情を次から次と生み出すことがほとんどだから。大抵の人はそれに振り回されて人生の大半を過ごしているようだ。私はそこから離れておきたくなった。

 

この仕組みの説明をするのでさえあまり考えていないのに疲れた。この程度でここまで疲れてしまうのなら、対策が必要だ。

 

ただなんとなく感じることは、絶望とは何かを受け入れることか、それに似たことであるようだということだ。
「どうでもいい」のだから、どうであってもいいのだ。死んでもいいのだが、生きていても構わない。何か期待するのはただの妄想みたいなもので、叶わなかった時にろくなことにならない。今は何か希望もない(当然だが)。ただただ疲れたので休みたいが、これまでの3週間ほとんど眠れてこなかったようにまた眠れないとしても、それで何か考え込んでもっと疲れるなんて意味がない。

 

当然何も楽しくないが、無理に楽しもうとして楽しくなるわけでもない。

 

おやすみ。