NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

Compassion (コンパッション)

あまりに余計なことを考えていたので、少し流すように書こうかと思う。

勇気がいるものだが、それが正常な神経だろう。

今、ほとんど息ができない状態だ。
誰がどう言っても、私は自分にまるで自信などないし、そういうことは公開される場で言うものではないと思って来た。言うとしたらだいぶん装飾した文章でということになる。

率直な話、私は見捨てられること、愛想を尽かされることが怖くてたまらない。それだけのつまらない人間なのだ。

私が私と思われている普段は、武装しているだけである。もうやめなければと思いつつ、未だに人のお節介を焼くことがあるが、自分が無価値な存在だとは思いたくないからだ。役立たずでは簡単に捨てられる。エリート意識でも何でもない。私レベルの知能で良いなら、別に差し上げても構わない。ただし私の過去と現在の状況等とあなたのそれらを引き換えにすることが条件だ。

誰かをうらやむ気持ちなどなくなって久しく思っていたが、そうではない、ただ我慢していたらしい。

自分を道具扱いしない、大事にしてくれる親が欲しかった。意味のわからない理由をがなり立てて棄てたりしないまともな人が親であって欲しかった。脅して言うことを聞かせることが愛情だと勘違いして、具合いが悪くなったことを責めたり、自分の都合で好きにして良いのが子どもであり人権などないと平気で言い放ったり、セクハラをしても自覚さえなかったり、何十年もお前には金がかかったと愚痴るためにいきなり明け方に独居のうちに来て寝たきりの私を起こし、あら捜しをして叱り付ける、そういう親など持ちたくなかった。

また別の時に他の人間から拉致監禁脅迫を3日間受けたり強姦されそうになった時があったが、親はもちろん、福祉課や保健センターなど支援機関が私を取り巻いていたのに、誰かが警察に届けようとか言うこともない。怒られただけだ。自力でからくも逃げたり撃退したが、しなければ良かったのか。その直後からの機関の担当者を忘れることもできない。暴力団員みたいだった。あとから、警察に行けば評判の良い女性心理士の治療を無料で受けられたと知ったが、その頃には身体を起こすこともできなくなっていた。

それからの6年のうちだけでも4回自殺をはかって失敗している。相談したりした人たちは私が正気を保てる状態ではないことは理解できないのかどうでもいいことだったのか、死んでいれば良かったと思うようなやり取りの末に決裂した。

親友が自殺したのは監禁直後だが、今はひどくあとを追いたい。

既に書いたことがだいぶ重複しているが、苦しくてたまらなくなったので書いた。私は自活ができるとはとても思えないし主治医も断言している。6年前のことがある前から、私は自分の生活のことがどうやってもできるようにならず、疲れ切って海に飛び込みかけたりした。

誰もいない。そう言うと誰かが気を悪くしたりがっかりするかも知れないし、別の行動を取るかも知れないし、さっきも話を中断されてしまったが、それこそ象徴的だ。私に止める力もないし、権利もない。そう思って独りで自立しようと頑張ろうとしたが、そもそも、やっぱりどこを探しても生きている意味や理由が見当たらない。

「そう。」とか言って皆去るだけだ。わかる人ならわかるだろうが、他人(親は立派な他人である)などに皆そんなに注意も払うものではないし、他人の苦痛が想像できるものでもない。

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コンパッション、という言葉が出てくる。
辞書では同情とか憐れみとあるが、"compassion" と書く。comは「共に」passionは「苦しみ」。

一緒になって泣いたり悩んだりするということで、上からかわいそうに、と遠くで見下したりする同情ではない。

これを途中までどうにか読んで、思い切り意識が遠のきそうになった。まだ呼吸困難だし意識も時々混濁して来ている。私が欲しかったのはコンパッションだ、ピティ(pity)ではないのだ。シンパシー(sympathy 共感)は、持たれているのかわからないが、私では使いものにならないだろう。

私にできるのはこんな駄文を書くくらいだ。絵も少し描く、裁縫やらも少しはする。人に知識を渡すこともある。だから何だというのだ。何か実を結んだことはない。

そうやってまた捨てられる。また生き残ってしまう。

何の価値があるというのだ。この私に。

 

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言葉にじっくりつきあうようになってから

正直に言うと苦悩の日々が続いている。

先に言うと、「自分の言葉がない」とは「自分がない」ということだ。

私は文章力に一定の評価を受けていた。単に文が巧いだけではなく、知識も豊富で、少し勉強すればその力で食べていける、と何人もからはっきり言われていたし、雇いたいと申し出られたこともあった。

ブログを始めた頃そんなことは忘れていた。働くどころかまともに書くことも会話もできない。

その状態の理由はわかっている。
倒れたのは6年近く前で、簡単に言えば事件にあってPTSDになった。その後も何度もトラウマ体験をする羽目になった。

今年相談を持ちかけた人とのやり取りで「そもそも実家で虐待を受けていたことが良くならない原因」という話になった。
これだけ言ったところで何故そうなるかわからないだろうが、私自身が理解していないから説明ができない。

私は自分が理解していないこともわかっていなかった。

ただ巧い文章を書くとか知識がたくさんあるとかそれを面白く読ませるとかいったことは、その程度でもできることなのだ。
文章は型どおりに書けばいい。知識なんてものは修得ができる者にとっては難しいものではないが、それは他人からの借り物であり、そのレベルでも通用してしまうものなのだ。

そこに自分の言葉など不要だし、あっては邪魔でさえある。
自分の言葉というと「個性」とか「その人らしい表現」とかいった感じを受けるだろうが、それで通常は困らない。

私が求めているもの、切実に必要としているのはそういう種類のものではない。はっきり言えばそれは既に身についていて、リアルの知人がこのブログを偶然発見した時「文体ですぐわかった」と言われた。

このブログの目的は「過去の精算」であると一番はじめの記事に書いた。
過去の記憶が私を苦しめているのだから、私がその過去の意味を書き換えてしまえばいい。

それが、想像していたのとはまるで違う意味でメチャクチャに大変なのだ。
苦痛とか恐怖と戦うとかそういう大変さではまったくない。
過去はもう過ぎているので、記憶にしかない。つまり私が脳内再生して何度も同じ体験をし直しているということになるわけだが、そのために過去を思い出して書いているのに、違和感しかなかった。
読んだ人を驚かしたり共感を得たりはしたが、私自身は何かを書いた気がしない。

仕方なくそれは中断している。

どうしていいかわからないので、最初は文章の書き方系の本を入手した。
次に実際に更新されているブログをいくつか見た。

ブログの書き方について簡単に触れてある記事を見た。
いきなり書けるわけがないから書きながら成長しましょうといった趣旨だった。

どうしてそれでたどり着いたかはよくわからないが、恐らくそこまでかなりのものを見たり読んだりしていたので、頭の中でまとまったのだろう。
「私には自分の言葉がない」と。

自分の言葉というと「自分の言葉で考える」という表現が出て来ることがある。

私はごく幼い頃から「考えない」時期はまるでなかった。すべてが疑問だらけで、誰も教えてくれないし、仕方がないからいつも自分一人で考えていた。もちろん親になど聞ける関係ではない。ーーだから考えることなしに生きるということ自体も、その感覚も、わからない。

ただ一つ、ずっと無視してきたものがある。

自分自身のことだ。

無視はしていたが考えなかったのではない。
私は人のふりをした、高度にカスタマイズされたヒト型の機械のようなものだと、自分を定義していた。
それは当然ながら言葉で行われる。今書いたように。
それをさせているのは誰か自分以外だと意識しつつも、自分が人間であることを拒否し続けてきたのは、自分自身だった。

非常にたちが悪い。

私が何にカスタマイズされているかと言えば、他人の望みだ。他人が望むようにしか私は生きられない。

それは私から見た世界の話で、現実とはかけ離れている。「私が」「勝手に」「相手はこう望んでいるに相違ない」と「思い込んだ」世界だ。それでも、私はその世界の住人に従事することしかできない。

このカスタマイズがギリギリ機能してきたから私は何とか生き延びたのだろう。たちが悪いというのは、その私の脳内カスタマイズがたまたま現実世界で通用してしまうものだったから、誰も何がおかしいのか気づかなかったことだ。何かはおかしい、それはわかる。が、例えば発達障害だの精神科の病名の羅列だの、どれもあてはまりはするが、それに対処しても何も良くならない。

私が望んで来なかったからだ。

だって、存在意義を奪われてしまうから。

私は人間などであってはならない、けれどそれを、人間のふりをしているだけだということを、誰かに気づかれてもいけない。

その責任を誰かに取れというのが嫌になった。

それが「自分の言葉を持ちたい」と強く思うようになった、と考えられる。自分でありたくなったのだ。

まだ始まったばかりなのでそうそううまくは運ばない。
この記事だって酷いものだ。満足できる言葉なんかどこにもない。文章の書き方としてもかなり破綻している。
それでももう黙らされていると被害者面して自ら苦しんでいるのも、バカバカしくなった。

自分で自分を殺し続ける。
この感覚でいられるなら、平気で人も殺せる。

言葉で、だ。
それをこれまでしてきた。

この言葉について掘り下げるのは、またの機会にしたい。
それほど慎重に扱うべきものなのだ。

まだ楽しくなどないが、悩み甲斐はある。これから楽しくなりそうな、「もうちょっとで行けそう」というような手応えがある。

それは私にとって初めての奇跡なのだ。そして、これはそのうち奇跡でもなんでもなくなるのではないかと思っている。

自分の言葉を持っていない私。

ある小規模なSNSにはほとんど毎日更新している。

 

私の問題のおおもとはだいたい会話力がないからだ、とわかったのが9月のこと。それまでもコミュニケーション力はないと自覚があったし、そのために困ることが多かった。

 

だが、私は「言語性に偏ったアスペルガー」だ。

私の場合、とりあえず言葉の意味をすぐに類推してさっさと会話を運べるが、それでは表面的な会話、決まりきった会話、すでに知っていることを話す、そういうことしかできない。つまり、実は会話の内容をあまり理解していないのだ。当然覚えることもできないし、会話が深くなったらもうついていけない。

そういうことを信じてもらえないできたし、自分のその酷さにも気づけなかった。

 

9月にその会話力のなさがよくわかり、しばらくかなり苦しい思いをした。その時は入院していたのだが、その間中、ずっと悩んでいて、まだ悩んでいる。

 

ひたすら愚痴だろうがなんだろうがSNSに書き込んでいた。それでトラブルになったりは滅多にしない所なので。それどころか「いいね」に当たる反応は増えていった。

 

遠慮なくやっていたら、だんだん愚痴や吐き出しは減っていった。

 

 

そこではTwitterなどと違い、発達障害だろうが精神科の病だろうが本当に何をどうしたらいいか情報交換もできず、取り残された人々がいた。

 

SNSではどこでもやっていたのだが、私は困っている人などを見るとすぐに「助けに行く」のがやめられなかった。

大抵、見て少し考えれば何を言えばいいかわかったからなのだが、今ではそれは理由とは言えないとわかっている。

 

自分の存在価値の確認のためだ。

もちろん、本当に心配してはいるのだが、それが第一の理由といえるかどうか。

 

その証拠に、相手のことには勝手に口出しするくせに、自分が誰にも相談に乗ってもらえないと言うことが不満でつらかった。

不公平だというわけだ。自分でやっているのに。

 

それは母がいつもしていたことだ。

 

それに気づいて、そんなものは自傷行為と変わらないと言われた意味がわかった。

そんな条件を満たさないと、私は自尊感情を持ってはいけないのか。

 

最近、方針を変えた。簡単に言うと、優しい言葉で気遣うのをやめた。疲れるから、不満が残るから。

 

会話は最小限にとどめ、私が取り組んでどうにか実際にものにしてきたことや役立ちそうなことを、記事として、一方的に発信することにした。

 

見ている人は見ているようになったので、例えば当事者の親御さんには、何故お子さんがこういうふるまいをするのか理解できてだいぶ楽になった、一番苦しいのは本人なんですねと言われた。

 

私はそのまま立場をひっくり返して考えた。なんと言ったか覚えていないが、私には理解できない定型の子を育てることは到底できるとは思えなかったので、そういうことを言った。

 

借り物の知識ではない自分の言葉で話をしていく。当面、それができたと思った日は「よし」とおもえるようになった。

色々やらない。一番の問題をじょじょに変えていければ、眠れるようにもなるだろう。

悪夢から、醒めたのかも知れない

少々、間があいた。ブログというものの難しさに悩んだり本をあさったり考え込んだりしていたのだ。

 

このブログをはじめた理由は、私が自分の過去を何とかしたいというものだった。

どう書いていけばいいのかまるでわからず、とりあえずは時系列に振り返りをしないと読みにくいだろう、ということくらいしか思いつかなかった。

 

そういうことに縛り付けられ過ぎていたように思う。

 

私は決まりごとや言われたこと、考えて答えを出してみたことにとらわれやすい。特に言葉に弱い。そのため体調を崩し心が正常な状態でなくなるほどになり、入院していたのだ。

 

入院中、過去のことには思いが行かなかったが、過去の悪習、つまり過去の記憶から考え方、世界の見方ががっちり固まっていたことにようやく本当に気づいた。

 

これまでの数年間、そのことを私は知識だとか言葉でしかわかっていなかった。つまりは、全然わかっていなかった。

 

退院後一週間経つ今もまだ引きずっている。全然眠れないのだ。

 

それでも、こういうのを「憑き物が落ちたよう」というのだろう、今、私からの世界の眺めはほんの少し前までとはまるで違う。

 

何かが解決したりはしていない。私が強くなったりもしていない。生きていたいと思い始めてもいないし、死にたくないとも言えない。でも、もうあれだけ繰り返した自殺未遂も自傷行為も、何か外部からの理由がない限り、することはないだろう。

 

この変化は丁寧に説明していきたく思う。だが今言ったように何も解決はしていない。そもそも、過去を解決などできるものではない。

 

これでは何を言っているかほとんどわからないと思うので、今後ブログの書き方を変えようと思う。

こんなことをわざわざ宣言するくらい、私は自分で自分を閉じ込めてくくりつけていた。

 

しばらくしたら少しはまともな更新や、見やすいようなカスタマイズができると思う。恐らく再開は一週間程度の後だろうと見当をつけている。

 

ーーーーー

 

タイトルの悪夢というのは、私が長い間現実だと思いこんでいたものだった。

 

私は狂っていた。今その責任を誰かに負って欲しいとは思わない。

怒りを感じる機会がほとんどなくなった。

 

あとできちんと話したいから、これだけ言うーーー

 

私は特別に不幸だと思いこんでいた。それは、間違っていた。

幸福だとは言わないし、誤解を恐れず言えば、今も孤独だ。

独りで生きてなんか行けないと思っていた。そうかもしれないが、今そんなことを考えても仕方がないのだ。

 

「誰かがいるから生きていられる」「自分にとって特別な人がこう言うから」「だからこうしなければいけない」

 

「そうでなければ、罰を受けなければならない」

「言うことを聞いて取り入らなければ、何か特別なことをして差し上げなければ、人は離れるものだ」

「私には何も価値などないし、本当は無条件にこの世においてもらってはいけない」

 

全部思い込みだったが、それが現実だと思っていた。悪夢でしかないことに、もう醒めていいということに、何人もの人が尽力してくれていた。そのことに見返りなんかいらないのだ。

 

ただ私が元気になったり、楽しく生きていられることが、誰かを喜ばせるなんて、知らなかった。

優しさというもの

昨日今日の話なのだが、過去が大いに絡む気づきだと思うので書いた。

ーーーーーーーー

同じことを言うにも、私は優しさをもってできるようになりたい。そっけない物言いでは、疲弊した人には届かない。というのは、ちゃちな正義感なのだろうか。

今後考えは恐らく変わっていくと思うし変わらなければ困るのも想像はつく。疲弊して孤独な状態の人は適度に距離を保てない人も多いから(私自身そうである)、そういう人に接するスキルがまだなくて、相手が過度に私に依存的になった経験がいくらでもある(そして私は自分のために相手に依存されることに依存しているので、病としての「共依存」という言い方があるのだろう)。その時にしてきた対処が良い物だったようには思えない。だから無責任なことを言っていると思う。それでもなお今そうしたいと思うのは自分がしんどいからだろう。それなら、人様に手を出すべきではない。心中でもしたいのならまた別だが、私が困窮している人にできることなど今はないのだ。

だが、この数年間の体験は私の今後を決めていくことだろうな、と感じている。単純に優しいだけではダメで、それでも本当に相手のために何かするのであれば、私がした経験が下地になるのだろうから。

そっけない対応をする人で、言うことがそうおかしいことでもないなら、その人にはその人の答えや考えがあるのだと考えるようになってきて、優しくされたいなら別の人に担当して頂くしかないと思い至って、私は将来的にはその担当ができるくらいの度量が欲しいとつくづく思った話だ。

昨日、薦めをもらって、書籍を手に入れた。
正確にはYouTubeリンクをもらってタダで聞ける音声を教わったのだが、私は耳から聞いたことを理解したり覚えるのにはかなり強い障害があり、書き起こした書籍がないかと探してみたら運良く発見したので買った。

ここのところ精神的な不調が強くなっていたが、退院して環境変化についていけなかったこともあり、自死まで考える有様だった。Twitterなどの大きなSNSにはこういうことは書けないし聞いてくれる人がいるでもなし、ごく小規模のSNSで不調のままダラダラとネガティブなことをつぶやくくらいしかできなかった。そこにコメントをくださる人がいたのである。

以前ならそこでまた動画は無理だのどうだのグダグダ言い出すのだが(というか一回似たことをしてしまっていたが、まだ力になろうとしてくれていたので)、まずは聞いてみた。そこから書籍で読める今に至る。至極単純である。いくぶんか随分か衝動的な行動には違いないが、リンクをもらってからここまででそうひねくれたことはしていないだろう。

 

何故それができなかったのだろう。

 

一回似たことをしたと言うのは、その人が「世間一般など知ったことではない」という内容のことを言った直後に「皆同じことで悩んでいる」と言ったことに混乱してしまい、「普通の人が考えることがわからない」という趣旨のことを投稿してしまった(内容で何かその人を指すことは言っていないが、あまりにも直後だったから、その人が読んでいれば何か自分のことを発信していることは感づいたと思う)のだ。

私は確かに具合いが悪くて仕方がなくて正気ではなかったし、今だってさして変わらないだろう。それでも、ここで自分を責めることはなんの解決にもならないどころか誰に対しても害悪しかないことには気づいた。ではすべきことは「反省」か、と言えばそれも違う。気づいたなりの行動をするか、余計なことと気づいたことはしない、言わないこと、それだけだ。

私は「修正」と呼んでいるが、例えばここで言われた言葉にとらわれて混乱するのは相手に完璧なケアを求めているだけのことで、発達障害だからうんぬんをいきなり理解しろとか、病のことや親だった人達についてのことを知った上で言えとか、そういうのはここで発想することではないのだ。目を向けるのは以下のことだろう。

ーーこの人は善意から、優しさから、励ましと慰めを言ってくれたのだ。注目すべきはそちらなのであって、それ以外の瑣末なことではないだろう。ーーこれだけだ。 それに気づくのに2日、ワンテンポ遅れたが、これまでの人生では、こういう場面で私は「攻撃」を始めるように進むコースばかりとっていた。敵意とか悪意なんかこの人にはないし、私の親や、過去、本当に悪意から私に近づいた輩たちがしたような、利己だけの、何か私を利用してやろうという魂胆があるわけでもないのだから、恐れて攻撃する必要なんかない。単純に素直に相手の気持ちになってみたらいい。自分の気持ちは置いておく。どういう動機で言ったかが多分すべてで、どういう内容であったとかそれが事実とはあまり合ってないとかいうことは、よほど困ることが起きてしまうのでなければ、あまり意味がないのだ。

声をかけてもらっただけで十分なのに文句が出るのは、自分を自分で否定したり責めたりしているからで、そういうことで安心感を得る回路が脳内にできてしまっているのだろう。その時に私の心にある空虚を相手に埋めてほしいと思い、それが当たり前だと思い込んできたことに改めて、現実のものとして気づいた。これで優しくなんかできるわけがないし、どれだけ優しくされても底がないだろう。

まだまだ中途だが、過去、嫌な思いをしたりさせたりした人達と自分に私がしたことは、やめるようにしよう。それ以外にできることは、今はないからしないし、考えてもわからないだろうから、冒頭に書いたことは今後いつか解答が出るまで保留にするしかない。そういうシンプルなことだったのだ。それで終わらなければまた助言を請うことができる人達が、まだいる。行動から変えていけば習慣づくだろうし、またおかしくなって来たら、自分でこの記事を読み返そうと思う。

言葉と無関心

退院しましたのでぼちぼち再開します

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幼稚園に上がる前の話を思い出した。私が覚えているのではなく親から昔聞いたのだ。

私は言葉が出るのが遅く、父方の祖母が心配して相当口出しをしたらしい。
ネグレクト(放置、無視)で死なせかけても何も考え直すことのない両親がそれで動くことはなかった。

父は何を言っているか今もよくわからない人なので、私の状態について何を考えていたかなどはわからない。

母は親戚の家に身を寄せていた時がある。その時に自分のいとこ達が赤ん坊の頃から世話をしたりしていたので楽観していたーーと言っていた。
「◯◯(私)ちゃんはしゃべれなくても、こっちの言うことはちゃんとわかってたから心配なんかしなかったわ」

発育は確かに個人差があるが、それで心配しなかったのではない。私の両親は「自分以外を心配して行動する」概念が欠けているのだ。

もっと言えばコミュニケーションが取れていなかった。今のように「発達障害」や「アスペルガー」などの概念はなかった。自閉症自体の概念はあったが、知的障害があるのが条件である。私は知能が低くはない。
両親は無自覚に偏見の強い人達なので、まだ私が自閉症系の障害を持っていることがわからない頃、自閉症の症状(特性)についてかなり差別的な表現をしていた。私が自閉圏の人間ではないかなど頭をかすめもしなかったのである。

自閉症を疑う理由はさすがに求められないが、単純に言葉が相当遅れているなら幼稚園に上がってから困る、などとは思わかなったらしい。

私は口頭で会話ができない代わりに、母曰く、
「なんか3歳くらいで勝手に絵本で字の読み書き覚えてた」
そうである。至極どうでもいいことのようである。

こういう無関心さが、今思うと不気味だ。

しゃべれないのに読み書きは教えられることなく習得する3歳児。何かあると思う祖母の心配が一般的なのではないだろうかと思う。ただ祖母は癇癪持ちだか、いわゆる「カンの強い人」だったので、相当きつくうるさく当たったと思われる。反発心から「自分達の子に何か問題があるわけがない!」と突っぱねる気持ちもあったのかもしれない。娘のことを侮辱されたという怒りや何かではなく(そうであっても本当はおかしく思うが障害持ちであることなどはそう簡単には受け容れられないものだ)、「自分達の失敗」という捉え方しかしない人達なのだ。

その後、幼稚園に上がってすぐの4歳の時に放置から死にかける。幼稚園の集団生活にも、外出することにもなじめないままで、寝つきが異常に悪く、母のそばを離れたがらない。

当時は虐待について誰も何も知らないような時代だったし(外国にはあっても日本にはないという感じだ。両親は読書家で大量の本が実家にはあった。外国での虐待について書かれた本がずっと私も読めるところに置いてあり、両親とも読んでいた)、家族についての神話じみた感覚が今よりずっと信じ込まれていた頃だから、誰も何も気づくことはなかった。

この後は私の言葉に関するスキルがおかしいことをずいぶん親からなじられたりからかうようにして指摘されたが、これでは私が会話についてめちゃくちゃな認知を持つようになっていくのも当たり前だったのかも知れない。私の言葉は、親や大人たちのご機嫌をとり、気を引くなどのためだけにカスタマイズされていった。それは現在も続いている。

再度の決意。何度でも。

20時現在、入院支度どころではない状態だ。

呼吸がほとんどできないので。

いつものことではあるが、今日の苦しさは格別。
字など書いている場合かと言ったら、さて。

いずれにせよ身体の硬直も始まったから
荷づくりどころでもないので、
もう更新でもしたらどうかと思ったのだ。

 

絶望はしたままだ。私に生きる意味はない。
希望も喜びもへったくれもない。

 

あれやこれやあって、ちょっと考えないわけに行かなくなった。

これ以上は出ないだろうというところまで思案し尽くしたら、
呼吸が滅茶苦茶に苦しくなった。

考え過ぎるからだという向きもあるだろう。
だから「治らない」のだと言っておく。私が呼吸困難に陥るのには理由がある。


私は強いとも弱いとも言われるが、それらの言葉の
意味をよく考えて言う人は稀だろう。

そもそも論になるが、大方は強いとか弱いとかいう
表現を考えたことなどそんなにないだろう。

人が根本的に強いとか弱いとかいうことはないと思う。
誰か他者によってそういう感覚を身に着けてしまうだけだ。

私の強さは強さではない。
私の弱さは学習させられたものだ。

私の場合、たまたま親がそうさせた。

さすがに明日入院で、噛み砕いて説明するのは今後にするが、
生き物の心が元々強かったり弱かったりなどしない。

自分にも言い聞かせているが、誰1人としてそんなことはない。

誰1人として自分を否定的に思う必要はないし、
そう扱われても相手にしないことだ。

 

絶望している、と言った。

何故
自分がこうも簡単に参ってしまい、
本当に「心が折れる」のか、
希望も前向きさも自由も何もないのか、
ありもしない悪意を人に見てしまうのか、
生きていく気にならないのか、
恐怖ばかりを感じているのか、
行動してもめげて投げ出すのか、
それでも「しぶとさ」だけはあるのか、
何故死ねないのか、
考えた。


ずっと考え続けて来たが、何も理解していなかった。


そして理解しただけでは何も起きないことも、
初めてまともにわかった。

わかったと思ってもまた「アップデート」が要ることも。


今の私は心がほとんど死んでいるか、死にかけだ。
蘇生はできる。が、凄まじく時間とエネルギーが要る。


今は何を言っているかわからなくて構わない。


ただ、私はもう、何度も何度も言葉によって殺されては
膨大なものごとと引き換えに蘇るなんてことをやめたい。
もちろん、言葉だけではないが、言葉の殺傷力が
どれだけ強力か、私は被害者としても加害者としても
知っている。


希望なんかない。幸福とか考えてもいない。知らないものは
今はどうでもいい。


失敗だらけなのが私のこれまでだから、うまく行くかなんか
わかるわけがない。

だから酷く丁寧に決心を積み上げていた。


*****

――見ていないだろうが、私の決意のために言っておく。

そこにいてくれ。待てる間だけでいいから待っていてくれ。
私はやはり独りで歩く。それしかたぶんできないのだ。
助けようがないだろう。言われなくてもどこかでそう思っていた。

ただ、私は弱い、滅茶苦茶に弱い。

見えるところにいて、ときどき関係ないことで、
ちょっとだけ相手して欲しい。
――それ以上今望むことはない。それでも凄い贅沢だ。

きみのことだからわざわざ言うまでもないだろうけど――
信じている。初めてまともに人に言うんだ。
きみの性分を知った上で。

こんなことを書いたと知ったらそれこそ死ぬほど
渋い顔をしそうだが、そんなことに構ってられない。
今は感情は邪魔なので止めるつもり。

*****

呼吸ができるようになったのでぼちぼち支度にかかる。

【お知らせ】ひと月ほど入院します

前記事は本音ではあるのでそのままにしておきます

 

入院がすぐな具合であるくらいなので参ってるのもあります……

 

Twitterfacebookから離れたほどです

私はもともとほとんど日本の人とは合わないので、外国の友達がほとんどでした

つたない英語でもそれらにいた方が以前は良かったのですが

2年ほど前に英語が出ない時期があり、日本人とも関わるようになりました

 

特にTwitterでは、関わりを避けていた、自分の仲間である発達障害の人とずいぶん話してみました

 

結果的には再度距離を置くようになりましたが、大事な知古も得ましたし、色々知ることもできましたから無駄ではありませんでした

 

ただ今の具合ではSNS自体でろくなことになりませんので、その友人の勧めもあって一旦行くのをやめています

 

決定的だったのは日本語に対するひどい拒絶反応です

 

読んだりは良いのですが自分が日本語で考え書こうとすると、

ひどい症状がどっと出るようになりましたので、去った時は英語しか書けませんでした

 

しばらくは英語と、できればドイツ語をおまけ程度にやっていようかと思います

英語で話すチャットグループも主催しているので……

 

そして恐ろしいことに英語でもブログを書く約束になっていますが、英文の読み書きは本当にできないので、まあいい機会かも知れません

 

ブログは入院で恐らく1回途切れてしまうかも知れませんので、念のためのお伝えでした

 

 

To my friends,

I'll enter into the hospital on Wed as usual.

In this time, I'm very weakened and fatigued you know.

My English blog will start after leaving there or might be when I'm in the hospital but I don't know yet. It's depending on the situation.

Please wait for a while.

 

 

追伸――

私は本当に絶望したままです

理由はあり過ぎてもうどれとも言えません

 

先ほどインドにいる友人と話してみましたがやはり希望も何も見いだすことはできないという話になり、鬱病を告白してくれました

 

それでも私を誇りに思うと言うのです

 

そして出会って5年たちますが、決して得意ではない英語で会話を続けていることに丁寧に感謝されました

 

私は人から感謝されるような人間では決してありませんが、改めて本音とわかるよう言われれば自然に「どういたしまして」が出るものです

彼女にはひと言この場を借りて添えておきたく思います

 

 

Dear Hiro,

 

I appreciate your patience with my poor English. I'm waiting for your coming to here for studying in uni in next year, I help you as possible I can.

 

本来は全員にそれぞれ伝えたいことはありますが、キリがありません

ブログ記事で書くのもおかしいのでしょうが、彼女は私がこのブログを始めてすぐに

翻訳を使って読んでくれましたからこれくらいは良いでしょう

 

(こういう細かいことを気にする日本が合わないのですが……明日も更新するかも知れませんし)

 

では

また戻ります

Don't wanna be, tbh. It's always. (Same article to another blog)

できるかわからなかった。

昔のような馬力はないどころか1日の大方は動くことができない。

殺して来た感覚と感情は既に封をとかれてしまった。

 

ここまで立て続けに強い絶望をしたこともさすがにない。

 

自殺もする力がない。

 

もうタイピングしている力が限界だ。

 

何もしない、苦しむだけだから。

 

まともに文もかけない……。

 

なあ。

 

何故生きていてもいいとか一歩踏み出そうとか思える?

 

どうしても

世界は

砂や瓦礫にしか見えず感じないのに

 

…………私には

 

わからない。

「子どもが病気の時 3」

私は新体操などやっていた。これにも面倒な話がついてくるが、病気になったりケガをしたりして、今思えば何らかの処置が必要だったり、大人の目から見たら無理にも休ませるべき場面が相当あった。

「好きでやってることで文句を言うな」

新体操も学校も、あからさまに具合が悪いから「まずい」と思って体調を伝えていたつもりだったが、「サボりたいのか」と怒られた。これは仕事でも続いた。

私の体調は幼い頃からメチャクチャだったと思うが、その重さを考えると「この人たちは私が死んでも構わないんだ」と怯えが定着する扱いを受けていた。寝込むことをした経験があまりないが、本来安静にさせておくべき体調でも元気にふるまい、家の用事をこなさなければならない。

普通のことだと思われるかも知れないのだが、そこに「殺される」恐怖はあっただろうか……。何も教えられたことがないのに、自分で対処が身につくのだろうか?40度の発熱時によろけたら叱り飛ばされるものなのだろうか?

そしてこういうことを思い出すと身体が硬直して吐き気や恐怖感がよみがえって考える力がなくなり、首を絞められる感じになって、訳もなく謝り、「どうか好きにしてください、お願いです、殺さないで、いたぶらないで下さい。殺すのならすぐにして下さい」………という気持ちになるものなのだろうか。

それでも人を見るとどうにか自分で生きようとしている。
私には意味も理由も動機もわからない。私が死を恐れるのは苦しくて怖いのに何もできない状態を経験しているからだと思う。生きる理由はそのくらいしか思いつかない。

私はただ、甘ったれているのだろうか……。
わからない。何も含みはない、恐怖の反動以外で、何故生きようという気になるのか、本当にわからないのだ。