NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

2016/11/24 19:39 孤独2 外の世界へ

「1」とは全然違う話だし論文でもない感じなのでタイトルを変えるべきか考えたが、テーマも言いたいことも結局同じだったので、こういうタイトルにした。
そしてもう少し考えて、解説記事(すぐ次にアップする「3」になる)を書いた。それで一応、このタイトルで書くシリーズみたいなものは、いったん終わる。
 
ーーーー
 
記録と理解をしておきたいことがあるので書いておく。
今「過呼吸発作」などの症状が起きているからだ。(19:39)
どうせ毎日来るだろうとは思っていたが、時刻も関係有るようだ。
予測できないことは潰しておきたい。
また理解しておけばこういうものは消えると思われる。これは一度「パニック障害」を自分で消失させた経験からだ。
 
ーーーー
 
昨日、facebookのグループでKとサシのディスカッションになった。
あれをディスカッションと呼べるならだが(形式としては成立していないように思えるが、ともあれ)。
 
・開始は15:44に私がコメントした所から。
・終わりは16:20の私のコメントが締めな感じなので(Kの言うことにそれ以上言えることがなかった)そことする。(今日続きがついたが、ここでは関係がないので扱わない)
 
今見るとまあ内容があるかなと言えるのは私が最初につけたコメントがギリギリありそうなのと、Kが最初から思っていたことを言ったこと。そこへ私は賛成しただけだし、最後の私のはかなり考えたとは言えただの感想である。
 
その間のはほとんど内容がないのだが、私は必死に考えて言っていた。が、今日昼間FBのタイムラインにポストしたように(後述)、向こうはRさん(後述)と同じく(というか誰だってそうだろうが)返事はあっても返事しただけっていうか途中で放棄された(放棄された、というか返事のしようがないということだろうし、ルールに則って「降りた」だけだ)。まあ、冷静に見れば妥当だ。あれ以上は続けても意味がない。という内容。
 
 
・昨日はその後、16:46と17:09に英語でfacebookにポストしている。書くのにかかる時間を考えると直後に書いたのだろう。
一つ目はどうも恐怖感があることは書いてあるがこの様子だと発作には至っていなかったようだ。
二つ目はどう見ても自分を落ち着かせるために必死で、どう見ても症状が起きている。
 
少なくとも過呼吸は起きているし、はっきりパニックとかそういう語が散見されるので、「パニック発作」であると認識していたと思うのが自然だ。
 
思い出せることはかなり限られているので今の推測半分なのだが、「恐怖感」の内容は、Rさんとの議論がだんだん精神的にきつくなっていったことを思い出したことと、彼(Rさん)との離別(その仕方も含む)を思い出したからだろう、くらいまでしか思考力が働かなかった。
 
 
・その後症状の激しさと継続時間の長さに困って、18:15頃から21時台までSkypeで他の人と会話をした。
こういう発作やらパニックやらなにやらとにかく激しい症状は久しぶりであり、これがパニック障害であれば(本当はもう名前はどうでもいい)、私は自力で起きた時におさめたりするマニュアルやフローチャートができておらず、できる前に根本を突き止めて症状自体を起きなくしてしまった(治したという表現をした)ため、対処法や考え方が自分の中に確立していない、それを自分で考えるのに一人でいると動揺や苦しさが増すので、対話相手になって欲しい、ということを頼んだのだが、やはり一回ではダメなのかも知れなかった。あるいはフローチャートやマニュアルという問題ではないのかもしれない。
 
・激しい症状は会話中一度おさまったのだが、どうしておさまったとかいい意味なのか悪い意味(解離などに逃げた)なのかなどはわからず。一旦相手が離席していた間かなり精神的に苦しかった。これは判断保留。
 
・とにかく早く寝たのだったと思うが記憶が全然ないので実際はどうだったかわからない。
 
・今日昼間落ち着いていたので、14時少し前、facebookの自分のタイムラインに書けることは洗いざらい書いたものの、他SNSで最近苦痛をそのまま書いてしまっていることや、SNSだと必ず誰かの目に入ることを考えると、まずSNSにアップしていい文章なのか悩んだ。
さらに言えばあれはFB内のグループでのことがきっかけだと公言しているので、ディスカッションした相手かグループの人が見ればなんのことでどれを指すか一目瞭然だ。
 
ここまでが記録である。
 
ーーーー
 
さて、まずRさんを思いださざるを得ないのは、まともな議論、それも全力でできる相手との、となると、他にいないからだ。
そして彼を想起すれば苦しい離別の仕方だったことも思いださざるを得ない。
 
これは2015年の1月までTwitterでつきあいのあった友人との話である。2014年の10月末頃に出会っている。
と、記憶しているが、そうするとこれも記憶している、「3か月間のつきあいだった」に満たない。まあそのくらいだということだ。
 
これまではもう済んだこととして処理されているのだと思っていた。
あるいは実際にそうなのだが、今、脳の記憶に関わる部分が活発なのかもしれない。刺激されて思い出しただけ、ということかも知れない。
今日facebookに記事を書いた時はかなり泣いてはいたが、つまり感情が相当激しく動いてはいたが、「過去にあった自分にとって苦しいこと」を、全部か、何か意味があるか、強烈であったことに限っているか、その辺りははっきりしないがもう一度きちんと整理したいのだと思われる。
 
facebookでもう一度書いておいたほうがいいのかも知れない。あとで検討する。
 
ーーーー
 
事前の話になるが、ブログの記事「孤独1」をアップロードするのに迷いがあり、言われていたこと。
 
「自分にとって大事なことは文章に書き起こすだけでも精神に影響あるよ」
 
とは、まあ、当たり前のことだが。言語化したということはわざわざ認識した(意識したでも自覚したでもいいが)ということだ。「ものすごくはっきり思い出した」だっていいが、言語化するならただ事実を箇条書きにするというのとは違って解釈が入る(箇条書きでも入るが、文章にすると全体が一貫した物語になる。まとめれば人生観になっていく)。「意味付け」である。自分にとってはある事実、記憶がどういう意味を持つかは自分が決めている。これを意味付けという。
 
トラウマ治療ではこの「意味付け」を修正する。
今こうして書いているこの文章もそうだ。
 
一度意味付けがなされた「自分にとって大事なこと」ここではこういった記憶の話になるが、文章に書き起こす、上で言った言語化をすることで意味づけは二通りの道をたどる。
 
1強化される。
2修正される。
 
1について。漫然と日記などを書いていても仕方ないのは、自分に都合よく解釈(意味付け)しようがなんだろうが誰も指摘しないし、そうなれば自分が思いたいように書くだけだからで、しかもいつまでもダラダラと悪口など書いたりしていたりする。言葉の力の強さ恐ろしさはここにある。一人でただ考えたり誰も見ないものを書いていても、例え相手がいても、一緒にただ愚痴ってただ慰めて終わる相手では、意味付けの変化は起こらないで、かえって強化される。自分で考えたことというのは正しい気がしてしまうからだ。さらに同意して一緒に悪口に参加されたら、もっと強化されるのはわかるだろう。自分の考えた意味を保証してくれるのだから。
 
2について。これは少々人の協力がいる。まずはこうした書きものの考え方がわかっている人に注意点を教えてもらうこと。わざわざ私が公開して人に見せるように書いているのはそもそも教わった注意点だ。理由はここまで聞いていない。人に見せるなら人にわかるように書く必要があるといったかなり基礎的な部分だ。
添削してもらえればいいのだが、まあ、言語化する時に人が読むことを意識していれば必然的に色々と考えざるを得ない。ともかく「人が見て理解できるか、内容としておかしくないか」を今の私は考えている。
 
いずれにせよ、まずは思い出す。意識にのぼる。そこで文章化という「はっきりなんらかの意味のつけかたがある」意識、再認識をする。これはしようと思わなくたって言語とはそういうふうにできている。人間は言語で世界のことを理解するからで、それをわざわざやれば、必ず私達の精神に影響する。
 
今回は、「つらい思い出」というカテゴリを刺激して、すぐに思い出せる強い記憶にかなり動揺したのだろう。
 
ーーーー
 
私の場合は文章力が高いようなので、かなり気をつけている。おかしくても説得できてしまうのだ。それが以前の「自分を苦しめる意味付け」のままで停滞していた理由の一つであるし、今もかなり文章や短文を書く機会があるが、その文章を作る時や、話し合いだの議論だの討論だの口論だのになった時、私はどうあれ相手が言い返せないところまできっちり物が言えてしまうので、正しいのかおかしいのかわからないままなのだ。
これがもっとずっと単純な問題を扱っているのであれば、解決に向かう話をしているか、建設的か、で判断できるのだが、私の話はそういうふうにいかない。今だってRさんについてなど、他の人が見たら、私がここで「意味付け」をし直す前の解釈で何もおかしいとは思わないだろう。ありうるとすれば、いつまでこだわっているのだろうとかそういう話にしかならない。私がしないと終われないのはそういうことではないのだ。
 
難しく考えるなと言われるだろうと予測できるが、別に難しくもなんともない。
私にとってはできることとできないことの差がとても激しいうちで、こういう考察は、体力などは消耗するが、難しさはあまり感じないのだ。
 
ただ記憶や事実の整理がついていないからゴチャゴチャしているだけだ。
 
私はずっと世界のほぼすべての「意味付け」をわざわざ自分を苦しめるように行ってきた。
現実世界は私にとって耐えられる場所ではなかった。
何十年と私は自分の作った牢獄に閉じこもっていたが、外部とのやり取りは言葉で行うわけで、そこに「何かおかしい」くらいはわかる人がいても、私が現実にいないことまで理解する人がいても、大抵は私が知らずに追い返していたのだ。離れていくか、手をこまぬいて見ているか、ただ待っているか、それくらいしか通常は選択肢がないだろう。
 
今年、現実に連れ出してもらえた。彼でなければ相当難儀しただろうし、たった半年ではすまなかったろう。
 
その端緒、最初のきっかけがRさんだった。
その後深くはなくても何人かの人とのつきあいや何かを通して、一人で考えたり悩んだりして、ずっと自分だけで色々なことと向き合い続けてきた。
 
 
孤独感はまだ続いているし、あまり孤立も解消していない。何も平気でもない。
が、ここまで来たら、少なくとも過去の記憶を処理する、ということについては、自分でやる準備はできているのだと思う。
 
ーーーー
 
書き方や内容がどこまで何を書いたかはともかく、私はブログ記事で、過去の話に踏み込む気でしか書いていない。
その直前に、役所担当に向けての手紙で、具体的な話は出さないようにしてはいるが、概要としてはこういう事情がある、こういう事実がある、という告白をしている。投函は避け、メモとして手許にある。
 
当たり前だが、あったことの内容を書いていないだけで色々と思い出してはいた。
 
だからブログ記事がどう書いてあるかはともかく、一回もう書き起こしている。ブログのほうが先に下書きしたが内容まで入れなかった。対して、手紙は用件を書くのだからあんな遠回りなことを書いていられない。
だから発表の有無に関わらず、既に踏み込みはしているのだ。
 
今日facebookで赤裸々に書いてアップしたのは「人が実際に見るのでなければダメだ」ということを痛感したからだ。反応のあるなしはその後のこと。
 
 
その記事をここにも載せる。そこから上記のように自分で修正をかけた(というほどのことかわからないが、症状はおさまった。下記記事見たらまたちょっと苦しくなったが)。
 
 
昨日英語でポストしたのは何故かっていう話をわざわざします。

個人的な話ですが、今後個人的でもなくなっていく話題であろうと思いますので、まずは制限した公開で。

英語ポスト自体は、普段なら特に珍しいことでもなく、個人的な理由も単に海外の友人達が多いからとかそんなものですが、昨日はちょっと大変でした。

きっかけは意味がわからないようなことでした。グループ内でディスカッションをしただけです。ディスカッションとか本気の議論、さらに討論(討論は勝敗を決めるというルールがあるので議論とは違います。議論、ディスカッションとは簡単に言えば「お話」です)は慣れているものなので、「きつかったなー、未熟だなー」ということはあっても、何だというわけではないのです。

いつもなら。

昨日は直後に過呼吸発作を起こしました。
別にいじめられたわけではありません(苦笑)

知っている人は読めば見られるのですが、読んでも私が発作を起こす理由は見いだせないかなと思います。

はっきり言っていつもに比べれば手ぬるいかも知れませんでした、と言っても私は必死でしたが。

議論で必死になるの自体も特別ではありません。相手は色々な人ですし、内容がセンシティブな場合もあります。

ここでお断りすべきと思いますが、私は議論が好きな方です。過去様々な場所で色々な人と議論してきました。

議論時は普段なら私が議論モードになるので(これは単に私が未熟なだけですが)、相手が議論と喧嘩を勘違いして攻撃しかできない状態になった時に何か私にとって致命的な攻撃がされなければ、それも平気です。

昨日そういうことをされたわけでもありません。
必死だったと言っても相手も内容も問題はなかったのです。

議論が私にとって全力でしなければならないものだったことにカギがあります。

過去、私がとてもたちうちできない人が、Twitterに友人としていました。
彼は天才の一種、ギフテッドの1人でした。

仲良くしていたのですが、議論中は人が変わったように容赦なかったのです。が、議論はそういうものですから、あえて苦情を言いたいのではありません。

2つ、発作に繋がる心当たりがあります。


彼は私とは段違いの頭脳を持っていましたから、さすがに議論をしょっちゅうしていたら、精神的に追い詰められてしまったこと。これはしばらく議論は休みますと宣言して対応しました。別に無理じいする人ではありませんから、応じなければそれまでです。その時、私は入院して休養することが決まっていたので、その後再開できようと思っていました。

入院中に一度会おうという話も、していました。

もう一つの心当たりですが、彼は行方をくらましました。私は入院までTwitterに行くことを治療者から禁じられていましたが、直感的に何かあった気がして、共通の知人にある早朝いきなり「その人に何か異変がないか」尋ねました。知人は驚いて、「彼は姿を消すようなことを言っている。負担になってはと思い貴女には言わないでいた」と答えました。私は治療者に掛けあってすぐにTwitterに行きました。間にあいませんでした。知人に尋ねていた間に、彼はいきなり「さようなら」と書いて、以後一切応答がなくなりました。皆が騒いでいるのを見るか用意していたかして、夕方、長文が読めるサービスを使ってメッセージを出しました。全く普段の彼からは内容的に合わないものでしたが、反駁しようがないものでした。つまりもう絶対に戻っては来ないことを確信せざるを得ませんでした。そして、アカウントはずっとありますが、実際そのままです。安否も何も不明です。私の想像などはるかに凌駕する人なので、ログを読んだところで、メッセージを読んだところで、真相はまるでわかりません。理由はずっと他の人が聞けば答えていたのですが、私は一切、理由も、今後どうするのかも、聞いてみることができませんでした。


私が今ここにこうして生きているのは、彼がはじめのきっかけです。

恐らくここに至る過程を、彼は大体は予測していたと思います。

私を今直接的に救ってくれている人は別にいますが、そういう人が現れること、そういう人が私に力を貸す気になるような人間に私がなることくらいは予測していたと思います。私をそう仕向けた人ですから。

それくらいずっと親しく話し込んでいたのです。でも、たった3か月しか、であってからいなくなるまで、ありませんでした。そして、最後は、知らない間に、いなくなってしまっていました。メッセージは期限切れでもう表示できません。それくらいしそうだったのでスクリーンショットなどは取得しましたけど、彼は自分の発言を削除したことは一度もなく、する気もないと言っていましたから、皆は読めなくなった時慌てていたようです。私が取得したのは単純に感傷的な理由もありますが、内容的に奇妙だったから、考えたかったのです。同じことみたいですが、私にとっては違うのです。とっておきたいからと言うよりも、意味が知りたかった。話せなかった以上、私が納得できるまでは私が考えるしかありませんから。


まだ全然昇華できてないとは思いませんでした。


私には人に共有することが難しい過去が多くあります。放っておいて先へ進めるようなたぐいではない上に、誰かに理解されたりすることも相当低い確率でしかありません。恐らく誰もわからないし、当然解決してもらえることでもありません。まず、受け止められないと思います。


わかりやすく言えばPTSDとかいうものですが、それらをどうこうする準備ができて、今ドカッと抑圧して来た記憶が出て来たらしいと推測しています。

わざわざ書いているのは自分で納得して自分が先に進むためで、人に見せてわかるように説明しなければうやむやにしたがる意識が働くからです。


SNSに書くことではないのかも知れませんが、私のブログはあまり見る人もないし、そんなところに書いたのでは絶対に手を抜いてごまかすとわかるので。現在の最新記事がその良い例です。


それだけの理由ですから、あえて何かお気遣いは無用です。無茶を言っているのはわかっているのですが、このアカウントはプライベート用にはあまり使いません。元からあったアカウントは私がめちゃくちゃにしてしまいました。ここしかまともに気合い入れて書けるところがなかっただけです。Twitterは連続投稿でなければこれだけの分量は書けませんので、それだけでも集中が分断されますし、どういう書き方になるかわからなかったので、途中で何か反応が来ると困るからです(通知は理由あって切れないので)。


見せないと意味がないので、迷ったけどやはり公開します(と言ってもここだってほぼ見る人いないですが)。制限して公開してみて、後で全面公開にするかも知れませんので、コメントなど(ないかとは思うけど)ご注意ください。
 
どう思われるだろうか。
これではダメだとは、おそらく思わないだろう。
 
ーーーー
 
読み返さずともまだまだだなというのが率直なところ。
追いかける対象もこれから一緒にやる人もいるというのは、それでも幸福だ。
 
なお、書いていたら結構な時間がかかってしまったので、昨日とかなんとかいう表記を直すところだが、転載箇所に手を入れたくないなど色々な理由から、タイトルに入れていた「書き始めた日時」をそのまま入れておくことで大目に見て頂きたい。(2016/11/25 1:00)