NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

「I'm sorry」のない社会

役所の担当者が来訪した。
前段として、支給されるはずの経費がずっと放置されており、何度もこちらから連絡しても反応がなかったので、今月は本当にきついことになっていた。

担当者と顔を合わせてみると、仕事ができないとか手抜きとかではなくて私の「出来無さ」「障害病気持ちの受給者の困窮度合い」などがわかっていなかっただけで、私が結構訪問看護師から言ってもらったり自分が言えた時に思い切りFAXしてギャンギャン言ったので気づいたものらしい。丁寧な聴き取りであったし誠実味のある対応をする気があることはわかった。実行力があるかは知らんが。

ただ、だ。私ほどの困窮度合いであり、かつ私ほどの文章力や行動力を持つ、という受給者は普通いないと思う。だから私の体調の重篤さ体力のなさ障害の酷さなどは伝わってはいないだろう。そもそもこんな状態になってるのにこれだけ助けてもらってなくて生きている人が珍しいはずだ。私とて今「減薬の副作用」的に怒りやすくなっているから強引に行動できたのだし、誰も助けてくれないのを痛感していたから早めに、本当の手遅れにならぬ内に動いたまでだ。

つまり本当にこれだけの助けが必要不可欠の人は放置されるのがこの社会の「スジ」なのだ。私の周りで不本意に世を去った人、しようとした人がどれ位いるか。もう何年も世間と隔たっているから明確な数も体感的な「率」も不明だが、6年前程の時点で私の「患者仲間」「受給者仲間」(顔見知り程度含む)だった人の半分近くは既に世にいないものだと感じていた。人づてに訃報は入っていたので。

こちら側から見ると多くの国民が気にしていることはほとんどが茶番にすら見える。以前いくつかのメディアで言ったことがあるのだが、社会保障制度の利用者や様々の犠牲者を鞭打つ精神は異常なものだ。その時例えに使った通り、今なら戦争などになって、自分が動けなくなっても国は助けてはくれないし、それを助長するということは何があっても自分は死んでも何されてもいいです文句言いませんと主張しているのだ。

平時(平時なんかではないのだが)これでどうなるか想像しないことが恐ろしいとわからないのが恐ろしい。

私は複数の事件被害者だが今の状況を作ったのは数々の「セカンドレイプ」だった(当時の筆頭が役所だったので今も役所や役人が恐ろしい)。私が隙を作っただの行動しなかったのと散々責められたり、すべてが信用できない状態になって過剰反応したり攻撃性を現していたから人は離れるし色々悪し様にも言われたが(今もだ)、何故そうなったかに意識が行く人は非常に少ない。また、話してもわからない。私がどれほど自分を責めたかも絶望したかも「同情を引きたいからだ」と一蹴される。
私が欲しいのはただ、一般的な助けだった。そして「I'm sorry」― 詫びではない、この訳しにくい言葉が外国の友人達からはあっても日本人がその意を表現したことは記憶にない(あっても覚えていない)。説教は山程された。おかげで更に追い詰められた。

私が怒っている対象はとても多い訳だが、怒れるまでの過程を誰かが経験することを基本的には望まない。初めからこんなこと、起きるべきではないのだ。

それでも起きるものは起きる。「最初」に私に起きたこと(いくつもあるのだが)が私には防げなかった。誰が防げるというのだ。私は抵抗しなかったのではない。できうる対処もした。だが、それらができなかったとしたって私達が責められる理由はない。次はあなたかも知れないのだ。

自分を含む何もかもを恨むしかできなかった頃、私はみんな同じ目に遭ってしまえばいいとも思っていた。今もその気持ちが消えたとは到底いえないが、なったらなったの地獄絵図が容易に想像できるのだ。

その地獄はそこら中にある。ただ露呈していないだけだ。ただみんな知らないだけだ。きっかけがあっても目を背ける。自分はいつも無関係だと思い込んでいる。ずっと無関係でいられて高みの見物を決め込んでいられるものだと思い込んでいる。だから無神経さを維持できる。

それが異常だと私は思う。せめて善意を持とうとも思わないなら、それが自分に還ってくるという話なのだが。