NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

2016/11/24 23:03 孤独3

あまりにわかりにくい書き方になっているので、少し説明を加える。むしろこの記事が結局は本題なのかもしれない。
 
このブログ自体最初からかなり迷走しているのでもう今さらだが、あまり色々先に考えても仕方がないということでこうした。このブログの本題を書いているので、もうなんでもいいようにも思えるのだが、同じなんでもいいなら好きに、あるいは成り行きにまかせて書いてみるがいいだろう。
 
解説してみると、
 
「1」の時には始めたくてしょうがなかったのだが、私が単純に耐えられなかったので、感情を止めて書く方法に途中から切り替えた。そうしたら思ったより言いたいことがあまりにも多くて、一回で終わらなかった。
 
「2」ははじめ手許に残す記録として、メモとして書き出したのだが、書いていたら内容どおり「ああこれも公開しないと全然意味がない」と思ったので、とりあえず公開する文章にはした。
 
タイトルをどうしたものか、としばし考えたが、書き方が違ったりするだけで、やはり記事に書いたように私の頭の中では同じ話を続けているのであって、これまでのこのブログの滅茶苦茶っぷりからしてタイトルを揃えないと本当に別の話のようになってしまうと思った。カテゴリで揃えようにも、経験上あまり役立たないと思ったし、他のタイトルは全く浮かばなかった。
 
書きたい書き方に近づいてはいるので(それでもまだ読みにくいのはわかっているが)、私の心の準備ができて行きつつあるのだろう。
 
 
まあこれではいどうぞというのもあまりなので解説していたのだけど。
以下を読んでもらえればそれでいいだろうと思う。
 
 
したい話は「孤独」「孤立」についてなのだ。
その設定が甘かった。これらの言葉は持つ世界が広すぎる。
 
始まりが親であることは何回も言っているのでもううるさいだろうが、私はひとかけらも納得していないし、一切、親について、家族について、親族について、平気になっていることがない。
 
もう何年かで両親とも喜寿だし、家系的にそれを迎える前に世を去る可能性も高い。実際母は倒れていて何回か手術を受けているそうだ。
 
知ったことではないそういう情報をいちいち流してくる父親に苦痛と恐怖と怒りを覚える。
同じメールで私の奨学金返済について色々と書かれていたが、どうしろというのだ。私に体でも売って来いと言うのか。本当にそれくらい言いかねないから困る。
 
怒りで対処するのは本当は気が進まない。どれだけ消耗するか。負の感情なんてのは体調や精神をおかしくするだけなのだ。こういう場合はね。
 
だからこそ全部吐き出して処分してしまいたいのだ。なのにそれがうまくできない。だったら考えているよりも動いたほうがいい。
 
私はずっと孤独だったし、今もその孤独感はほとんど変化がない。
孤立するのはどうしてなのか、していると思いこんでいるだけなのか。
 
 
そんなもの今すぐわかれば苦労はない。
今の段階では、何も許すことができない。誰も信じられない。これが孤独でなくてなんだというのだ。
 
私を現実世界に連れ出してくれたKのことですら、どう思えばいいのかわからない。
感謝してはいるが、そういうことではないだろう。
 
そうじゃない。では言葉にしてみよう。「友達」、「仲間」、それはどういうものだ?
これをおもっただけで息ができなくなる。
当たり前だが。そんなこと普通いちいち考えない。余計なことを考えているから苦しいのだ。
 
 
私を独りにしたのは誰だ、ということ。
もうわかったような顔をして過ごすのはごめんだ。
 
 
私は考えることが本当は嫌いなのだ。こうやってごっそり要らないことまでついてくるからだ。
いくらKが色々とこういう時はこういうふうに考えればいいよ、こういう対処をすればいいよ、と教えてくれたところで、私を苦しめた人々を思い出したら何も出てこなくなる。忘れている時はそこそこまともな頭や心の使い方をしているらしいが、思い出したら吹っ飛ぶ。
 
 
なんのエピソードも思い出していないのに。
ずっとこんなだから病んでいるのだというのは、ごく当たり前だ。
 
 
始末をつける対象は両親だけではないが、ともあれ、私の気が済まなければ済まない。
 
誰か助けて、と泣き叫んだところで、できることではないのだ。誰か他の人では。
 
泣き叫びたいけどね。
 
「生き延びるために」という記事とは相反するようだが、今でも私は「あの時死んでいればよかったのに、殺してくれればよかったのに、生まないでくれればよかったのに」と思うことがしょっちゅうある。
 
 
「殺してくれ」とだって思ってしまう。が、それは苦しいからで死にそうだからだ。そんなことわかりきってる。
 
 
ヒマだから、それもある。ヒマというか、動けないんだから時間はある。1日のほとんどの時間を動けずに過ごしている。頭なんか働かないからろくなことを思えない。
 
上述の記事で、生活がひどい状態なのは訴えた。
 
正直に言うと「この野郎」と思う反応もなかったわけではないが、それどころではなかった。
本当に生きていたくないわけがないのだ。でなければ倒れて手以外固まっている状態であんな記事は書かないし、必死であちこちに自分でシェアして訴えたりもしない。あれを書いてあちこちに飛ばしたあと何十時間も眠った。私には信じられないことに。
 
 
その後何人かに力を貸してもらってはいるし、わざわざ読んでいない人に訴えて相談したりもした。
 
当然力尽きた。
 
今も参っている。
 
 
自嘲みたいなものしか浮かばない。私は本当に不具なのだ。理由はだんだん理解が進んで、今はあの記事に書いたようなものではなくなっている、が、連中を許すこととか、過去に引っかかっている記憶とか、ダメなのだ。全部足を引っ張る。
 
 
もう私はモノではない。
私は生きている。
私は人間だ。
私の人生は始まったのだ。先日の誕生日に、私は生まれ直した。
 
 
誰に言われたでもなく、最低限これは毎日自分で言い聞かせる。もっと長いリストになる日もある。
この意味がわかるだろうか。わかるだろうけど一応言うと、言い聞かせなければこの逆を自分に刷り込んでいるのだ。最初にそうしたのは連中だが、いつまでも続けてるのは私だ。
 
 
今年の誕生日までに色々と間に合わなければ、全部諦めるつもりだった。が、間に合った。だからこう言い聞かせていられる。そう思っても生きていられる。つらかったり苦しくなったりしても、かつてのような激しい抵抗感はないし、ある時もあるが、大丈夫だ。こんなことで死にはしない。単に忘れないためだ。
 
 
本当のところは誰かに言った所で理解されない。主治医だってKだって何も全部わかるわけじゃない。
だから私は独りだが、それはもっと穏やかなものであっていいはずだ。
こんな怒りや絶望感とセットであっていいわけがない。
自分が孤独だからといって私を巻き込んでただ「使った」人々をこんな苦痛とともに想起していたくない。
 
 
さっさと書いてしまうとこういうことが言いたかったわけだ。
 
 
 
もう誰かに邪魔などさせない。(2016/11/25  1:12)