NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

日本人と日本社会の「悪意」 2017/01/18 2:55-4:59

少しは落ち着いて来て一応日本語でも書けるようになって来つつあるが、何かで怒りのスイッチが入れば日本語で書くことは続けられなくなる状態である。

 

前の記事2017/01/16 18:17 - NIKITAのリハビリ的日記は意外にアクセスを呼ぶひきがねになったようだ。

 

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スマートフォンのアプリを主に使うので詳しい解析ではないが、あんな短文で何も話しておらず、ただ吐き捨てたような記事を更新した途端にアクセスが跳ね上がったのだ。

 

あの記事を更新するのは凄まじい苦行だった。反吐が出そうなんて書いたが本当に吐くのをこらえていた。

 

結果を見ていると、「みんな根の同じ苦しみを持って怒っているのだな」と実感する。

 

来未炳吾(ブログはHyogoKurumi.Scribble)の書いたKindle本を以前紹介した。

 

 

夜行バスの人々

夜行バスの人々

 

 


 この本に「皆、社会に対して叫びたいことがある」(元の書き方とはいくぶん違う)という内容が書かれているのだが、私もご多分に漏れずその1人であったことになる。

以前から日本語には拒絶反応があったし、日本人も日本社会も大嫌いだった。その怒りの強さ大きさが本当に自覚できるようになったというわけだが、こんなに激怒が凄まじくて巨大では、そうは書いたり表現することができなかった。

 

理由はどうとも言えるが、英国出身の友人が何度か断じた言い方を借りると、「悪意」に満ちているからだ。これをどう言えば伝わるかなど考えていると激昂するに相応しい事例がいくらでも思い出されて、そのまま日本語で書くのは難しかった。この人はもう自分の言ったことは言い過ぎの失言だったと言っているようだが、私はその時の彼の怒りが理解できたし、私自身は彼の言った過激な発言を私の言葉として頂きたいくらいだ。私は日本から現実には出たことがないし、人は基本的には日本人な訳で、その状況ではっきり悪意しか感じない生を永く送って来たので、別に彼の台詞を言い過ぎだとも思わないままだ。

 

このまま何故かとかいった説明に入ると具体例が出て来るから、そのせいで日本語が書けなくなる。ひとまず今は概要にとどめようと思う。

 

私の言いたいことがあまりにも大量な訳だと思った。相手は1億を超えるし、その悪意にさらされた期間は40年だ。

同情が欲しいだの構って欲しいだのいう話だと思うならあなたはとても日本人らしい嫌らしさに無頓着なのではないか、としか、今のところ思えないし、それこそがただの悪意に過ぎない。

悪意はどこにだってあるが、こうもまあそれを当たり前のものでありそこからズレた人間を「本人が悪くてわがままだ」と言うのが当然で「常識」として通用する社会はそうそうない。

 

だから私にも悪意しかないかもね。何しろ善意を学習する機会は昨年までなかった。日本人からそれを感じろと言われても私は「とりあえずすべて悪意だと思う」ことで自分を守って来たので。今でも穏やかで明らかでわかりやすい善意を感じるのは日本人以外からがほとんどだ。

 

耐えられなくなってきた。

続きはまた書くつもりだ。

 

最後に、昨晩SNSに投稿したものを貼り付ける。悪いが日本語訳はできない。どうせ私の英語は英検3級が危ういくらいだから、読める人は多いと思うし、読まなくても死ぬわけでもない。翻訳サービスでは口語的過ぎてちゃんと訳せなかった。

 

... I still lose my mind so often.
In my head, past matters as disasters have kept on being alive. Sometimes they almost beat me down I feel, so I am shaken up for resolution because I was alone for too long years and I kept on pushed my heart, emotions, senses, and so on away.

All were past I know but they all suddenly strike me.
I feel like that I'm drowning alone and can't expect to get any help.

That's wrong, I know, however I don't know how can I save myself, how can I call helps, or how can I just help myself momentarily.