NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

グリーフケア

グリーフ【grief】悲しみ、悲嘆、心痛
ケア【care】手当て、治療

自分のこれまでの人生があまりにメチャクチャだったので理由を探って、ひとまず行き着いたのが幼稚園時代の親との関係だった。

長らく、理屈ではそういうことだろうと思っていても実感がついて来なかった。記憶がほとんどなかったことと、あらゆる感覚が麻痺していたというか鈍麻した状態だったためによくわからなかったのだ。

18歳くらいまでは病気という形で無理に適応し、通院を始めてからは病気と薬の両方で無理矢理生き延びたから、記憶障害や感覚全体の過剰な抑制が常に続いていた。ここ数年で2回危険な目にあったがカウンセリングも何も助けになるものがなかったので薬で更に抑え込むことになった。

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今は薬を減らし出して、一気に神経系への抑えが取れて感覚やなんか全体が過剰に働いている状態だから、抑えていた記憶にアクセスできるようになり、それに対して心身が「ちゃんと」反応するようになったが、とにかく過剰で過敏だ。いちいち症状に向き合い過ぎてしまうと余計神経が興奮して悪化するから、「正面切って闘って」はいけないのだとは気づいた。「何とかしようと抵抗する」ことで危機感が上がってしまうのだろう。

過呼吸とか動悸とかいうのは危険から逃げるか戦うかするために酸素を取り込んで血流を上げるためのシステムが働いている状態だから「苦しい、何とかせねば」と慌てたら「え、もっと必要?」と神経系が「誤作動して更に興奮する」感じだと思われる。こういうのが「パニック」と呼ばれるらしい。
症状は「起きうることは何でも」のようだ。痛いとか苦しいとか気持ち悪いとか感じるのは神経のかたまりである脳の働きだから、何だって起きうる。また神経系が過剰に働くから刺激に対して知覚が過敏だ。目が凄く痛くなる(見え過ぎる感じ)、耳鳴りがする、幻覚も見えたり聞いたりすることがあるらしい(私は幻覚は今の所未経験)など。感情も過敏になるが症状だらけでストレスフルなのと過興奮性の両方の理由による感じだ。

薬や他の不自然なこと以外の方法でがっちり対応できるようになれば脳は過剰に活動しなくて良いので安定して行き(=適応が新しく形成される)、不要なことは自然におさまるということのようだ。

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幼児期の「とにかく怒られる、何をしてもしなくても非難される、絶対に優しくもされず褒められもしない、恐ろしいだけ」でしかなかった親との関係から私は小学校前に色々な症状を呈していて、そこから何も変わっていないように感じた。4、5歳で人間としての成長が止まってしまったのではないかと強く思えた。

心の中に見える、園児服を着たガリガリに細い子どもに声をかけてみるということをしてみた。

その子は私自身なので、彼女が抵抗感や罪悪感を持つと思い切り症状が出た。その子は終始おびえていてひと言も口を利かず、近くに寄っても来なかった。私が感じる激しい息苦しさやあちこちの痛みが返ってくる答えだった。彼女が背負っている重荷がやっと感じられた。幼児が負えるものでは到底ない。少なくともその4歳児には彼女の親が乗っかっていた。それだけには見えなかったがよくわからなかった。

とても悲しい。私が何と言ってもすべて彼女が苦しむ言葉にしかならない。全部自分が悪い子だからこうなるのだ、自分は人間じゃなくてモノだと思っていた。それは違うと言えば酷い罪悪感で苦しくなる。親を否定することになるからそれは子どもには苦痛だし恐怖だ。あんまり苦しいから人間であることを自分でも拒否したのだ。

これからは邪険にしないで大事にすると、言おうとしただけで息ができなくなったが、そう言った。今書いていても苦しいし痛いし悲しいが、こういう対話の仕方をしなければ、全然、わからなかった。自分がどう感じていてどう考えてきたのか、ただ自分の記憶を探っても出て来なかった。

その子が無事に重荷を降ろして成長するよう、私がまず、優しくしてやろうと思う(人に優しくするというのもわからないけど、とにかく)。自分を大事にすると言ってもどうせ感覚的につかめないが、血色の悪い、食の細い、寝不足で、いつも独りの、いたいけなちっちゃな女の子を守ろうとするなら、それはそんなに感じるのが難しいことではない。可哀想に、とも思える。だって、可哀想じゃないか。

彼女を見捨てる理由は、私にはない。見返りだっているわけがない。そうしたいからそうするのだ。