NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

満足感を初めて知った。2017/02/16 22:19‐23:46

結構な日数、キツい思いをしている。

もう「キツい」と言ってしまう程度には無理がある。

普通ならここまで参らないだろう、かなり私には難しい課題としか感じることができないこととは言え。

 

私は数が理解できない。

私の総合的な知能指数は103だと思うのだが、言語と知識が異常に高いことと、スポーツをしていたので「手と目の供応動作」がそんなに低くなかったからこうなった。が、「算数」が凄まじくできない。克服できないかと本を見たりして、知的障害相当であることがわかった。例えば、もし他の偏りの異常な高さがなかったら、ここまでの数値は出なかったはずで、発達障害者としても偏りが異常に大きいとは言われている。

 

知的障害相当の「できなさ」は、こうやって何とかしようと挑戦していなければこんなに酷いとはわからなかったことだ。私は発達障害の判定のために受けた知能テストの結果をささっと言われただけで、今のように詳細なデータをもらったりしていない。

そのために苦労しなかったとは到底言えないが、今の私で初めてデータなど使うことができるのだと思う。1年前までの私では、だからできません、という根拠としてしか扱えなかったし、このところみたいに参っていたら今だってそうなる。

 

こんなに愚痴ばかりしか言っていなかった時期があったのかと思うくらい、メッセンジャーでもう死にそうなことしか言えない。

気づいていなかっただけでずっと前からそうだったのだけど、問題は今の衰弱ぶりだ。

そもそも数年前から劇的に衰弱していたのに無茶し続けたものだから、こうやって文が書けるとは思わずに書き始めたのだ。ツイート程度で終わると思っていた。

それほど体力がなく、蛋白質や野菜類に含まれる栄養素が思い切り欠乏しているのが体感でわかっているのに、私はどうしたらいいかや優先すべきことを間違えてしまうし、身体が利かないのも事実だ。だから自分自身、そのものをいたわる必要がある。

 

非常識だろうが人がどう言おうが、そのために今みたいに無謀な過ごし方をしていたら、本当に命に関わってくるかも知れない。それでも「自己責任」なのだ。いくら私がどういう育てられ方をして、数年前心身を破壊されるような経験をしたと訴えたって、他人が分かる訳でもなければ取り除いてくれることもできないし、訴えている間に無為に時間とエネルギーをロスして死ぬことだろう。

 

先日、ある過去のとてもダメージの大きかった記憶が「もう済んだことだ」と腹から思える経験をした。

あんなに満足感とかいうのは強烈なのか。あれは人にしてもらったのではなく自分が成し遂げたからだ。だから満足しているのだ。こんな凄い感覚では、そりゃ生きようと思って当たり前だ、わざわざいつもいつも死にたい死にたい言うのがわかるわけない。わかってもうるさくしか思わないか、そんなところだろう。というか、これじゃまるでドラッグだ、と思った。相当、快楽性の脳内物質が出るんだろうな。

 

そんな経験はさすがになかった。

ない人たちは大勢いるのが容易にわかるし、その経験がないこと自体が想像すらつかない人たちが甘えだ依存だ言うのも、まあ理由はわかった。これはこのままじゃ善意のつもりで当事者が自己虐待をするのを助長するだけで、別の文化圏から見れば悪意でしかないと言われても当たり前だな。外国の人が見れば、両者とも未熟なのに、一方が他方を何のかんの言っていじめているようにしか映るまい。解決法も持たないのにただ自分の価値観から感情的になって言っているだけだもの、私が外国の友人達に私の状況を話したらすぐに亡命申請しろと言われたのは当たり前だった。日本はそんな国なのかと激昂して酷く落胆していたが、私が友達だからとかいう問題ではなかったのだろう。何人に何回、何故そんな国からすぐに逃げ出さないのかと心底不思議がられたか。

 

すっかり話が逸れた。過去が過去になったぞという話で、満足感の話だ。

それができた仕組みはまだわからないが、何をしたからそうなったか、強い心当たりはあるので、自力でできたのだということはわかっている。

全部の過去がチャラになったわけではないが、1つはできたのだ。まぐれかなと思っていたが、数日して、そうではない感じがしている。他の過去の記憶全般に、それぞれ、自分がどうしたく感じているか、さっさと思いつけたからだとか、いくつか理由はある。

それができるのに、もうできるのに、他人にわかってくれ助けてくれということに心血を注ぐとか、逆に無茶して世間並みを目指しているうちに死んでしまったら、バカとしか言えないだろう。まあ、もったいないのは事実だ。

 

というわけで、ここのところ大変な話についてはまた。おやすみなさい。

入院しに行く前に、1回まとめ 2017/02/12 13:22

facebookでの更新から転載】

普通は手直しするところだけど直さないで載せます。

キリがないので。ブログ用にとなるとほぼ全文書き直しですから。

―――――

 

最近ブログ書いてないのは、やはり体調体力が一番の理由だけど、次になんかすごく忙しくなったことなんだけど、書き方が酷いなと思い直したんだよなあ。

書きゃいいってもんじゃないでしょうがと。

もちろんブログなんか自由ではありますがね、私がしたいことは何だったんだと。それに行きあたったらアレじゃ私は納得いかん。友達に手紙書いてんじゃないんだありゃ。

もうちょっとは元気じゃないとやりたいことのための書き方ができないのだと思った。気をつけるべき点に留意できないし、書いてるうちによくわかんなくなってるよね。自分ですごいムカついた(苦笑)外出記だって書けないでいる。

あれこれ気づいた時にちょうど病院からベッド空いたって連絡が来たわけだ。

スマホも半壊してます(苦笑)

ここに比較的長い文章書くのはメモなんだよね。
もちろん公開だし友達いるので本当に自分だけのメモじゃないんだけど、最低限、人が読む可能性があることを意識してるってうまく活かせるならした方がマシですね。莫迦なことも書いてるけど(苦笑)

本当に自分用のメモならEvernoteもあれば手書きノートもある。全部使い方が違う。

まだあんまり文字読み書きしてられないのだけど、今さん(注 今一生さん)の『プライドワーク』の「はじめに」を読んで、やってる行動とかはともかく、ただ共感しただけじゃ無くて、何かにつけての大体の年齢が一緒だなあ、と思った。(まだ中身読んでないんですが)

もう1人、来未(注 来未炳吾さん)が映画についてブログで書いてるように(制作日誌ね)、30歳の頃に、私は似たことをした。もうちょっと若かったかも知れないけど、まあその頃、自分の人生を全部振り返って書いてるんだよね。小説にしたので、そして書き方がわかってなかったので完結とかしてないんだけど、振り返りだという自覚が一番欠けてたんで、そりゃ完結しない(苦笑)

年齢とか何十世紀とかそういう数字は恣意だという人がいたんだけど、そうでもないだろうと思った。

感覚的な話だけど、40歳くらいって「ん?」ってなるなーって思う。これでいいんだっけ、とかそういう感じ。人によって誤差はあろうし、気にせずに過ぎる人もいるだろうけど。

私は年齢を気にしたことって本当に1回もなかったのに、昨年、40歳になるというのは何故かすごく気にした。何だったのかはもっとゆっくりちゃんと考えないとわからないけど、本当に気にした経験がなかったから、放っとくの気持ち悪い。まあ考えるよりも別の方法もありそうだからとにかく時間かけようかと思う。

私がわかってなかった最大のことは、自分をちゃんと大事にすることだ。自分で壊し続けながら助けてくれないったって人はどうしろっていうの。賽の河原ですか(苦笑)

わかったからまあいいと思ってるけど。

そのことでゴチャゴチャしてることを片づけるには、今はちょっと休ませてもらえる環境が要るなと思った。

日程調整ついたら入院して来ます。

記憶奪還 2017/02/02 19:54-22:32

例えば、休もうと思い、寝ようと思った途端に息が苦しくなる。こういうことだらけだ。

 

私の世界は「ねばならない」「であるべき」でできている。

 

私の意思、なんて文字を打つだけで気道や肺が潰れたんじゃないのかと思うほど苦しい。

 

休むとか遊ぶとかいうのが「しなければならないから」だという理由でしようとすると、こういう現象は……やはり起きる。頭痛もして来た。どんどん追加される。

 

今ブログを書いているのは、私が書きたいからだものね。何故書きたいかって、こういう何かにいつまでも縛りつけられていたくないからだ。

 

押さえつけられる感じがして身体を起こしているのがきついけれど、横になったってそうなので、姿勢を変えても楽になんかならない。

あんまり「相手してやる」もんじゃないな。何だか骨が砕かれそう。ちょっと意識を向け過ぎかな。

 

相手、って誰だかわからないけど。ただ、現実にここにいるのは私しかいないから、私の脳内にしかいない人だろう。

過去とも限らない。とにかく、私にとっては人間というのはまだ怪物である「べき」なのだとわかってしまった。

 

この本を読んだからだ。

 

COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇

COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇

 

 私はどうしても昔のことをちゃんとは思い出せなかったが、この本にはこの著者の経験がかなり詳しく書かれていて、読んだら読んだ箇所と同じ時期に自分が経験したり思ったこと感じたことをずいぶん思い出した。

 

読んだばかりだから相当影響は受けていて、似ていないことまで似たことだと思っていると思う。それ自体はたぶん普通のことだと思うので構わない。

 

今これだけ体調が悪くなったり様々の混乱を起こしているのも普通だろう。大まかにはやはり共有できる経験を詳細に書いてあったから。

 

フラッシュバックが起きるから避けた方が良い人もいるとか普通言うのだろう。無理に読むことはないが私にはあまり意味のわからない台詞だ。私は読んだから今死にそうに苦しいのだが、得たものの方が多いはずだ。

 

記憶がずいぶんと乏しかったのは、この数年間に2回受けた故意の悪意による強烈な経験のせいだったのだ。だからそれらの経験以降の記憶も、実はそう鮮明ではない。「感じない」ようにしていたのだ。それが私の発達障害とも影響し合っただろうが、ますます私にとってこの「障害」の意味は薄いものになった。

 

ほとんどの問題はそこにはない。私がどういう人間であっても、そんなことは私の親には関係ないからだ。全く何もトラブルのない脳や身体でも、重度の問題を持っていても、彼らにとっては私は脅して嘲笑して自分達だけが何か利益を得るための道具でしかなかったのだと再認識した。

 

思い出したからだ。彼らがどれだけ私を見ず理解もせず、その態度に対して私がどう感じ考えていたか。私が必死に何とか自分が存在すること、生きた人間であること、感じる心を持っていること、理解して欲しいこと、困ったら相談くらいしたいこと、そういったことを訴え続けて何にもならなかったことなど。それがどんなに私を苦しめ続けて、そのまま他の人達もそのようなものとしか解釈できないで来たか、親から離れて少しずつは変わっていた私の積み上げたものをいとも簡単に破壊されたかを。あの男は私を強烈に脅迫したが、それよりも、私を嗤い飛ばした。私がどうにか、自分を見捨てる癖をやめられそうだった時に、お前は無価値だ、死んで世間に詫びろと言った。生きていて良いわけがないだろうと言った。納税者に謝れ、まあキリがないが、働こうとして努力していることまで「ふざけるな」と言った。

 

言葉で人を殺す、など、技術的には難しくない。精神がぶっ壊れていれば本当に簡単だ。

 

もうごめんだね。冗談じゃない。

せっかく生還したのだ。

 

もう存在しないあんた。グダグダ考えてたけどね、私も同じ技術があるんだよね。あんたのあとからも私はずっとあんたにされたこととあまり変わらんことされ続けてんだわ、おかげさんで。これをただ赦せって?私は好きでこんな技術がついたんじゃないんだよ。どうもアリガトウ。もう無意識に悪用せずに済みそうだ。どんな思いしたか思い出したから。

 

どうするかはこれから考える。

足りないもの 2017/01/27 20:08-22:47

「どうしてそんなに動じないようになったのか」と聞いたのは11月だった。答えてはもらったが、別段方法とかを教わったのではない。

 

正直に言えば不満ではあった。単に貴方の場合はどうだったのか、を参考に聞きたかったのにと。

莫迦だなあと思う。それを聞いてもしょうがないことに、半分程度しか気づけなかった。

 

そんなことよりも大事なことを言われたのは何となく理解していた。私が迷ったり困ったりして来たのは、その時にもらった回答を理解しきれずにいたからだ。

言葉でだけなら「識っている」ことだった。でも、わかっていなかった。

 

今もわかってない。少しだけわかったけど。

 

引用も説明もしないのでは何のこっちゃかだが、私がわかったのは「自分が全然わかってないということ」だ。わかってない話を説明するのはあんまり意味を感じない。説明して私がわかるんだったらいいけれど。

 

前の記事で書いたことってのは、要は私には「身体で体験する」(トートロジーっぽいけど)ことが凄まじく欠けているということだった。

 

その前の記事だってそういうことなのだ。具合が悪くても焦る必要ない、ということにたどり着く体験が足りなかった。というかほとんどなかった。

 

例えば今、私はすごく空腹だし、ブログなんか書いてないで先にすることがある。それができるのが生活なんだろうし、もうこうやって気づいてる。

ここでじゃあやれと言うのはすっごく簡単。

やったとしましょうか。私はおかしくなるだろう。そもそも、そんな風に無理矢理一時的にやったことなんか身につきゃしない。

 

――っていう反論を続けると、私は相手を論破してしまうんだよね。これを「頭が良い」なんて言う。

 

知能はそりゃ高く出るでしょうよ。それが何なの。自分で生きにくくするためにその知能使ってどうするんだ。

 

と、糾弾するのも非常に簡単。何か役に立つかって言えば、自己嫌悪とかそういうのに一役買うのじゃないかな。自己否定を強くするとかまあ何でもいいけれど。

 

「大した問題じゃない」と言われた。

何に焦点を当てるべきなのか、だ。

こうやってグダグダどうでもいいこと考えてどうするかって、私の習性を理解して整理したいのだ。

直ってないからね。「気づいてるのに」。ずっと前から気づくのは気づいてたけど直し方がわからなかった。

それだけのことだから「大した問題じゃない」のだ。

 

わからなかったと言ったけど、そんなの「やめれば良い」。「やめたいって思って別の考え方を選ぶだけ」。なんでそれができないか?

 

「やるべきだと思うことをやっていない、本当はできることもわかっている、それに気づいているのにやらない」から、だと言われた。

 

これじゃ読んでる人にはわからないはずだ。

 

私には「自分の意思」が足りなかったのだ。何故か?

体験が足りないからだ。

楽しい感じも知らないし、生活している感覚も積み上げていない。もし体験することが当たり前であれば、自分にとって良いと感じる物事は欲しくなるし、嫌なことはどうしたら処理して良い気分になれるか必死に「考える」し「やる」だろう。

 

それだけ。

 

私は渇望する対象が明確じゃなかったのかな、と思う。

「別に」生きてなくていい。

「別に」死んでもいい。

「別に」幸せになりたいと思わない。

「別に」苦しいままでもしょうがない。

「別に」助けてくれとは思ってない。

「別に」理解されるとは思ってない。

「別に」復讐したいとは思わない……

 

そんなわけが、あるか。

 

今時間がないとわかってるのにこれを書くことを選んだのは何のためだ?

いきなり大声で歌った、その行動を選んだのは何故だ?

去年1年あれだけの無茶を選んだのは私だ、それはもう苦しいのが嫌でたまらなかったからで、自分がそこから抜け出すことを結局は選んだからだ、そうじゃなければやらなかったし続けなかったんじゃないのか?

このところ泣いてしょうがないのは?その理由はともかく、そういうのハンドルしたいんだろうが。

もう人を疑ってばかりいるのも嫌だ。

 

私は幸福とか楽しさとか歓びとか満足感とかを渇望しているんじゃないのか?

もう、そういうふうに自分に本当に正直になっても殺されたり痛めつけられたりする心配はないと確信したいんだろう?

 

やればいいんだ。

 

もうそっちを選んでるんじゃないのか。

今の滅茶苦茶な状態をどうにかするのにいきなり1回でも外国に行きたいとか言い出したのだって何か誰かの真似して思いついたんじゃない。それが結果的には結構一般的な方法だったりしても、思いついてどうしてもやりたくなってるのは私のオリジナルの直感からで、きっかけになった香港の友人だって全然こんな話なんかしてない。

 

キリがないからこのくらいにするけど、昨日の記事を流したら、私の歌をそのうち披露する話になった。断らなかったのは記事を書く前からそうする気があったから。

 

でも、今もそうだけど、私は試しに録音してみることさえできない。それが「本当に自分がやりたいことだから」じゃないかとしか思えない。

 

そういう、私が楽しく生きようとする意思は、やはり奪われたのだ。悟った顔して許すとか平気なフリなんか今の私はできないしする気もない。

終わらせる努力なら惜しむいわれはない。できるだけ早くはしたいもんだけど、まあ、生きてる以上全部同時進行になるんだろうな。

怒りはそりゃあって当たり前だけど、他の感情体験も同時に積み上げなければ向かう先がまたわかんなくなるから。

 

ああ、疲れた。

「泣きながら」2017/01/26 16:34-17:59

最近更新できないでいる。珍しく、勢いで書き下ろす。

 

言うことがないというのとは違う。

表現できない。

書いても書いても言いたいことじゃない。

 

SNSも控えめだ。

現実が忙しいことに気づいたのはひとつ、理由になるだろう。

これまで一体どうやって生活して来たのだろう。

意識して何か変えたのではない。が、なんだこの忙しさは。

 

今も、何も解決や改善ができたわけではない。

 

生活と書いたが、私のこれは生活という言葉に相応するのだろうか。

広辞苑など見ても参考にならない。感覚的に言えばこれは生活している感じではないと思う。

 

私はただ生存しては来たけれど、死ななかっただけ、という感じだ。何も為してない。このまま死ぬとしたら生まれた意味なんかない。

 

ないのだ。そう感じるんだからそうなのだ。

 

死にたくないかどうか、じゃない。今の状態で死にたくないのだ。

 

暮れに心身に病気かと思うような無茶苦茶な現象が起きるようになったことは書いた。それは恐らく、感覚が現実に沿ったものに調整されたから、脳のこれまで使って来なかった部分が使われだしたためだろうという推測をもらった。

 

暮れのような激しさは減ったが、その現象は続いている。相変わらず小さな刺激にも鋭敏で、その反応に振り回されている。

減った、と言うのは、慣れただけだ。「これ」つまり「具合の悪さ」に慣れてどうするんだ。それじゃ以前と何か変わった、変えられたとはいえないだろう。

 

示唆は貰っているが、正直に言って何をどうしたらいいのかはイメージもできない。

 

いや、直後には直感的に「ここにいちゃいけない」と感じたのだ。

 

あまりこれといった理由はないが、香港の友人が見せてくれたCNNのトラベルサイトを見て、1回は香港に行きたい、と思った。知らない所だからだ。日本の外を経験してみたい。

 

現実にはすぐには行けるわけではない。私はまずアパートから出て無事戻って来ることができるようにくらい、なる必要があろう。電車もバスも何年も使っていない。出かけるのにどういう準備が要るとか、忘れてしまった。

 

都内に友人ができたのでその人の家に行ってみようと思ったことも書いたっけ。

 

今は悲壮感が強くて楽しみという感じにはならない。来週末に行く予定だが、私がどれだけヘロヘロかはきっと想像つかないだろう。が、悲壮感の理由はそこではない。

 

私は、崖っぷちに立っている気分なのだ。

 

―――――

 

今朝、早朝、私はかなり久しぶりに歌を歌った。

ボロアパートだが何故か音だけは相当伝わりにくい。

 

私が歌ったのはB'zの曲で、大昔からファンであり、私自身がヴォーカリストをやろうと思ったこともあった。20年くらい、邦楽ならほぼB'zしか歌ったことがない。それも「耳コピ」にあたるのかも知れないが、とにかく同じことをなるべくできるようになってやろうとした。声量、声域、独特の歌唱法、安定した音程など。だから私が本気で歌えればかなりの大声だし、肺活量もたぶん結構あっただろうし、技術的にもそこらのカラオケの集団飲み会なら、私が歌い出したら皆がビックリして思わず最後まで聴いてしまうくらいの力はあった。

 

大したレベルではない。が、その程度くらいまではできるはずだ。

 

身体感覚でいっぱいの状態は気分が良かった。考えず、分析せずとも、自分の身体に何がどれだけ不足しているかわかる。何ができるかもだ。腹筋を中心に全身に筋力が足りないから声を支えられない。練習不足からブレスの仕方がなってないので(肺活量もたぶん足りない)次のブレスまでもたない。声量と音程がコントロールできない。――が、それを感じ取ることは即座にできた。大胸筋がしばらく痛かった。知識ははっきり言ってまるでないのだが、歌いこんでいたから感触はわかる。歌詞は英語版を選んだが、それは練習した当時英語に悩んでいたから英語曲ばかり歌っていたせいで、日本語版と英語版がある初期の曲ならほぼ英語版ばかりに没頭していたので、馴染んでいるし覚えていたからだ。

 

20年近く経っても覚えていた。歌詞も、色んな感覚も。身体の使い方も。ついでに色々な記憶も。

 

もちろんだいぶサビついているに決まっている。もう一度身につけ直したら楽しいだろうか。

 

頼む。そうであってくれ。

 

こんなに心細いのをはっきり感じるのは、きっと初めてだ。だってこんなもの、誰かに頼れるわけじゃない。

【私にとっての「苦痛」の意味 1】 2017/01/19 18:07-19:14

あまり眠れない。

酷くうなされていたような気がするが、目が覚めても同じままの苦痛が消えも弱くもならないので意識がはっきりしないのを放っておいた。

 

【苦痛が意味して来たこと 1】

いくつか私に独自の意味があるから、比較的わかりやすいことを初めに書く。

 

まあ、そんなに特別なことでもなさそうではある。そうでない人にとってはびっくりすることらしいが、私の予想だと日本中に似た人はごろごろいそうである。あえて言えば程度とか続いた長さが私に独自かも知れないけど。

 

私は夢を見ないように、特に悪夢を止める作用がある薬を服用している。とてもそれらがないと本当に寝ていられないから、仕方がない。今もうなされていたような気はするけれど、何か内容を思い出すという訳ではない。

 

酷い寝汗だ。動くに動けないくらい。

 

頭痛、呼吸の引っかかり、胴体部分に上から圧力がかかる感じ、酷くてはっきりしているのはその3つ。

 

今日に特別な災難だった、とかでもない。まあまあいつもこうだ。痛み止めは飲まないとどうにもならない。苦しいのと重みがかかる感じは無視しておくしかない。……と言いたいが鎮痛剤が効くくらいまでの時間程度しか、それは無理かなという気もする。

 

動けたらシャワーに行こうと起き上がったらもっとあちこちが痛い。

 

やれやれ。

 

そんなに苦しんでないといかんかね、私よ。

鎮痛剤とか夢を止めるくらいはすぐにどうこうならないのかなという感じだけど、他は大体は何なのか分かれば経験上症状は消失するはずだ。

 

だから薬なんか本当は要らないのだ、と最初から主治医が言ってる。医者としちゃ、変な人なんだろうな。

 

苦痛については意味合いがいくつか重なっているからちょっと慌てずに解きほぐすしかないみたいだけど。

 

とりあえずは、何か苦痛な現象、症状が起きても「もう大丈夫だ」。

そういうのが起きても全部放置されて死にかけたりまでしたのに、親が何か反省するとか変わるとかいうこともなかったから、子どもだった私は何かあれば全部緊急事態に感じて慌てるようになったのだ。

と、思いいたり、なんだそうだったのかと思った。

今の私はとりあえずは重症度が大まかにならわかるし、わからない時の問い合わせ先もあるんだし、どうにもならないなら119くらいはできる。だから「何か苦痛があっても安心して無視していればいい」と気づいた。

 

わざわざ苦痛なことに意識を向け続けていたのだ。吐き気とか頭痛とか呼吸困難とかなんでもだが、そんなことしたら苦痛が倍加して当たり前だ。わからなかったのは、誰も助けてくれるべき時にしかるべきことをしてくれなかったからで、私はそういうもの(症状など)に対する認識が多分、幼稚園児くらいで止まっていたのだ。

 

もうこの悪びれない放置についてはずっと自覚的に怒りがあったから、いまさら改めては腹は立たなかった。ただ、私は私をねぎらった。よく独りで誰も理解しない中、何十年もこんな苦痛に耐えた。もう安心していい。

私はずっと同情とかが欲しくて症状を訴えたりして来たのでは全くなくて、どうしたらいいか大丈夫なのかまるで見当がつかず焦っていて、だからただ、言葉どおり困って相談していただけだった。それを依存とか言われたらもっと慌てる。死ぬようなものなのかそういう感覚を持つ必要のないものなのか、わからなかったから。それだけだった。

 

 

これは長年の習慣だから反射的には同じように反応してしまうのだろうけど、もう大丈夫だ。わかってしまったことはわからなかったことには戻せないのだ。

 

これとは別の、苦痛に関する私の感覚がある。長くなるに決まっている。さっき起きてもう疲れたのではしょうがないので、これはこれで「連載」とかでもいいかも知れない。

心の休暇 2017/01/19 10:24-11:38

ゆるゆるな記事になりました。面倒だからサマリーとか作んない。サマリーって日本語あるっけ?

 

あ、要約だ_| ̄|○

 

このくらいな記事です。そういう感覚も思い出したよっていう報告を、ああもう、もう真面目に書きたくないから良いっすか。

 

だってテーマはタイトル通りだし。私今から寝るし(今昼です)。

 

出だしはマトモに書こうとしてました。うん。

 

――――――

 

最近は色々な感じに振り回されている。何度も言っているがとにかく、強固な現実感のなさで自己防衛しなくても良いように手伝ってもらったので、この世界の感覚にかなり戸惑っている。

 

医学用語的に言えば乖離や離人と呼ばれる状態が解けた、ということだ。解けたけど慣れていないので、というか体験がすごく少ない状態なので、どうしたら良いのかまでは言葉で教えてもらっても、腑に落ちたり定着するのは、私にとってはかなり難しく感じる。

 

不健全な習慣があることは言っているが、それでもあまりに自分にストイックなのはわかっていた。昨年、よく何事も起きずに済んだものだ。偶然ではなく、守ってくれていたのだと思っている。

 

最近の書き物の仕方を何記事か前に書いたが、当然滅茶苦茶に疲弊するやり方だ。更新後しばらく経つと死にたくなったりしていたが、当たり前だ。過労自殺する気か私は。

 

やっと今日、自分が大学生だった頃、もっと時間の使い方がマシだったことを記憶とともに思い出した。

私が思い出す過去すべての記憶には必ず耐えがたいものもくっついて来るから無視してみる。この、「必要な無視」ができなかった話をすると無視してないので(苦笑)こんど説明する。

ただ、その感覚がわかったことはとてつもなく嬉しいことだ。

 

時間の話。

 

私はいわゆる「引きこもり」に該当すると言えるので、非常に近視眼的だ。小さいことも視野いっぱいに見てしまい、心を占拠した状態にさせてしまう。ちょっと動くことにも過敏になったりする。寝込んでない人でも外が怖かったり、とても敷居が高いものに感じる。

 

この感覚で何か考えだしたらまあ悲劇である。離れられないし終わらせられないし、だが出口がない。ないのでなく見えない、見ないと言うことだけど、本人がそれに気づくのにはかなりの条件が必要だ。気づきたくないからね。それは自分を守る反応だから、あんまり自分で破れる人がいないのだ。すごく幸運か、正反対に、気づいてその状態を抜けないと生命の保証がないくらいの状況か、その両極端の気がする。

 

私は危険がないようにして脱出する手ほどきを受けたのだと思うのだが、まあ、ドアから出られるのは私が歩いて行ってどうやって開けるか実際にがちゃがちゃいじって、さらに開いたら今度は恐怖心があって戻っちゃったりする。いや、こういう感覚だとしかまだ言えないのだ。まだ私は脱出できていないのでよくわかっている訳ではないから。

 

先へ進めよう。全然時間の使い方の話に行かないじゃないか。

 

大学は授業数がそんなに多い訳ではないが、自分で勉強しなければ追いつけないからだ。

 

ヒマな訳でも遊ぶ時間が与えられているのでもありません。

 

私は実家が貧乏なのを無理して行かせてもらった。勉強がしたかったのに決まっている。なので、飲みに行くくらいはしたし不要と判断した講義はサボったが、いいオトナの入り口に立ってわざわざ学校に入って、で、遊ぶ、というのは実際に何をするのか実は知らない。カラオケとかスノボとかサーフィンとかですか。コンパ?って行ったことない。

 

あ、答え別にいらないです。そこじゃないから、もう。

 

時間割です。1日に入れても3コマ(1コマ90分)がホントに限界。バイトない日で。その他の時間?勉強するんだよ。でもずーっとギッチリやってる訳じゃないです。それは去年の私だ。病んでるからそれ。

 

先生の研究室に行って良い曜日と時間が決まってて行ったりしてましたけど、アレ日本の先生やってないな。ということは今もないのかな、オフィスアワー。ああいうの決めとけば先生もラクじゃんね。

 

こういうゆるい感覚でした。ゆるいって言ってもバイトもしたし色々活発にやってましたし、学生の本分はーとか言わんでも勉強楽しいに決まってるじゃん。高校までは強制されるからつまらないんです。先生も話す余裕ないし。

 

こんな感覚はホントに久しく思い出しませんでした。緩急をつけるというか、やる時にガッと集中して、あとは、何してたっけ。芝生で本でも読んだりしてたんですかね。私は誰に聞いてるんだ。答えられたら怖えよ。

 

余計なことばっか書いてるんで何だかわかんない記事になってそうだ。こんな色んな余談要らんがな。

 

頭使わずに書いたらこう、っていつもと同じですかどうしよう。

 

―――――

 

じゃあ、遅くても8時間後には起こして下さい。今、午前11時37分です。んだば。

 

 

 

何この記事。

なめてるのはどっちだろうね。 2017/01/18 21:53−23:55

はからずも日本人と日本社会の「悪意」 2017/01/18 2:55-4:59 - NIKITAのリハビリ的日記この続きを書く気になるような話を小田原市が提供してくれた。

 

ネットではとりあえず今日のところ騒ぎになっている。生活保護を担当する市職員の職員が「なめんな(HOGO NAMENNAだが)」等と書いたジャンパーを作って着用して勤務、受給者宅を訪問もしていた、という話。

 

ニュースや情報サイトのリンクは消えるから貼らないでおく。画像等も置かない。権利問題もあるが私が気分悪いので今見ていたくないのだ。

 

小難しい話をする気もないけど、わからない人はわからないか。なあんにも難しいことじゃないんだけど、これ以上説明する気にならん。

 

私は受給者である。そして6年前と5年前に担当職員から不正をしていると言いがかりをつけられた(その件は完全に言いがかりなので、実際に何かできた訳ではない。要は釘を刺す行為だったのだろうが、あの凄い威圧的な声音などは今も思い出して吐きそうになる。その通話が録音できていたら公開したいものだ)。それがエスカレートして行って違法行為(私は承諾する気がないと主張し続けたが威圧して強引に決定した事項があった)も含むし、医療機関受診や入院を妨害し続けたことについての話し合いにNPOの同席を認めないで通そうとしたり、といった過去のために冷静になれないのだ。その2年目、私の自治体では受給者が2人死亡した。担当者は左遷されたと聞いている。

 

くだんの小田原市のジャンパーは色々と指摘があるが、私はとりあえず入手した画像の英文を訳してみた。内容そのものはただ読めば非常にばかばかしいのだけどおぞましさを感じる類いのばかばかしさだった。

 

自分が働く自治体の人を守るのが彼らの仕事だ。書いてあったことは、「不正行為をした誰かを見つけ出すこと、その人達を追い回すこと、罰すること」、そんなことは彼らの職務内容ではない。別の機関がすることだ。本来ならね。

後半に書いてあったこと。

「もし自分達を騙して不正行為によって利益を得ようとするなら、敢えて言うが彼らはクズだ!」

 

へえー。「自分達を」騙すからカスだかクズなんだ。

最初に「我々が正義だし正義でなくてはならない」って言ってたもんね。

 

2点指摘する。

 

1 これがくだらない取るに足らない不正する方が悪い、元気なのに働く気がない人もいて困ってるから気持ちはわからんでもないという論調の人も多かったねえ、Twitterとかくらいしか見てないけど。

 

当人が困っているから敷居の高い生保なんかに相談しに行くのだけど、どんなものか実情がわかるのかすごいね。あなたは困っている当事者じゃないよね。まわりに絶対にわからないように隠してる困難もあるんだけど。または言っても信じないとかね。

 

2 「自分達を欺くからクズ」

これはこの人達だけの意識じゃないんだよ。

「自分が大変なんだからお前も我慢しろ」っていうのはやっとおかしいと言う人も出てきたけど、それです。

私も言われたもので。

不正を働いたら「不正をしたから」罰則があるんだけど。その意味わかるかね。あなたが仕事してんのに報われなかったからじゃないんですよ。違法行為だからです。法律はなんであるんでしょうね?少なくとも国民が等しく守られるためにあるんじゃないですかね。困窮して収入が得られる状態じゃなくなったら、皆でお金出し合って助けましょう、次は私かも知れないし、そういうのがそもそも生活保護法だって私は聞いたのね(できた経緯まで行くと別の問題も話すことになるんでちょっと置いといて)。それ、生活保護だけじゃなくて、国家と法律ってそのために、国民が幸福に暮らす基盤になるためになきゃ、国も法律も意味ないじゃん。その前提でないと成り立たないでしょ。

個人がそれぞれ幸福を追求するのはあったりまえで、福祉課の人もそうですけど、「あなた方を」騙して詐取したからその人がクズなんじゃないし、それは徒労で大変だろうけどそれを理由に勝手にクズ呼ばわりしたりバカにしたり威圧したりするのはね、別の悪い行為をあなた方がしてんですが。

 

受給者があなた方を幸福にするんじゃないんです(結果的になることはあるけど)。受給者は自分の権利のために義務とか果たすんです。あなたもいつかそっち側の人間になるんですよ。生活保護じゃなくてもいつか働くことはできない状態になって年金どうの介護がどうのってなる。その時、支援者からそのジャンパーに書いてあることが前提で接して来られ続けるとか想像してみなさいよ。

 

できないだろうね。そして自分が困ってから思い知るんだろう。

 

こんな酷い国に生まれてしまった自分は被害者だ、と。自分の悪意なんか記憶していない。悪意だと思ってないでしょう。全然。

日本人と日本社会の「悪意」 2017/01/18 2:55-4:59

少しは落ち着いて来て一応日本語でも書けるようになって来つつあるが、何かで怒りのスイッチが入れば日本語で書くことは続けられなくなる状態である。

 

前の記事2017/01/16 18:17 - NIKITAのリハビリ的日記は意外にアクセスを呼ぶひきがねになったようだ。

 

f:id:shinovieshinovie:20170118045648j:image

 

スマートフォンのアプリを主に使うので詳しい解析ではないが、あんな短文で何も話しておらず、ただ吐き捨てたような記事を更新した途端にアクセスが跳ね上がったのだ。

 

あの記事を更新するのは凄まじい苦行だった。反吐が出そうなんて書いたが本当に吐くのをこらえていた。

 

結果を見ていると、「みんな根の同じ苦しみを持って怒っているのだな」と実感する。

 

来未炳吾(ブログはHyogoKurumi.Scribble)の書いたKindle本を以前紹介した。

 

 

夜行バスの人々

夜行バスの人々

 

 


 この本に「皆、社会に対して叫びたいことがある」(元の書き方とはいくぶん違う)という内容が書かれているのだが、私もご多分に漏れずその1人であったことになる。

以前から日本語には拒絶反応があったし、日本人も日本社会も大嫌いだった。その怒りの強さ大きさが本当に自覚できるようになったというわけだが、こんなに激怒が凄まじくて巨大では、そうは書いたり表現することができなかった。

 

理由はどうとも言えるが、英国出身の友人が何度か断じた言い方を借りると、「悪意」に満ちているからだ。これをどう言えば伝わるかなど考えていると激昂するに相応しい事例がいくらでも思い出されて、そのまま日本語で書くのは難しかった。この人はもう自分の言ったことは言い過ぎの失言だったと言っているようだが、私はその時の彼の怒りが理解できたし、私自身は彼の言った過激な発言を私の言葉として頂きたいくらいだ。私は日本から現実には出たことがないし、人は基本的には日本人な訳で、その状況ではっきり悪意しか感じない生を永く送って来たので、別に彼の台詞を言い過ぎだとも思わないままだ。

 

このまま何故かとかいった説明に入ると具体例が出て来るから、そのせいで日本語が書けなくなる。ひとまず今は概要にとどめようと思う。

 

私の言いたいことがあまりにも大量な訳だと思った。相手は1億を超えるし、その悪意にさらされた期間は40年だ。

同情が欲しいだの構って欲しいだのいう話だと思うならあなたはとても日本人らしい嫌らしさに無頓着なのではないか、としか、今のところ思えないし、それこそがただの悪意に過ぎない。

悪意はどこにだってあるが、こうもまあそれを当たり前のものでありそこからズレた人間を「本人が悪くてわがままだ」と言うのが当然で「常識」として通用する社会はそうそうない。

 

だから私にも悪意しかないかもね。何しろ善意を学習する機会は昨年までなかった。日本人からそれを感じろと言われても私は「とりあえずすべて悪意だと思う」ことで自分を守って来たので。今でも穏やかで明らかでわかりやすい善意を感じるのは日本人以外からがほとんどだ。

 

耐えられなくなってきた。

続きはまた書くつもりだ。

 

最後に、昨晩SNSに投稿したものを貼り付ける。悪いが日本語訳はできない。どうせ私の英語は英検3級が危ういくらいだから、読める人は多いと思うし、読まなくても死ぬわけでもない。翻訳サービスでは口語的過ぎてちゃんと訳せなかった。

 

... I still lose my mind so often.
In my head, past matters as disasters have kept on being alive. Sometimes they almost beat me down I feel, so I am shaken up for resolution because I was alone for too long years and I kept on pushed my heart, emotions, senses, and so on away.

All were past I know but they all suddenly strike me.
I feel like that I'm drowning alone and can't expect to get any help.

That's wrong, I know, however I don't know how can I save myself, how can I call helps, or how can I just help myself momentarily.

 

2017/01/16 18:17

こんなに激怒したのは生まれて初めてだ。
わたしは自分の怒りの対象がわかっていなかった。
日本人と日本社会だ。

今も日本語など使いたくない。

こうして日本語で考えて書いているだけで凄まじい怒りがこみ上げてくる。

昨日からずっとこの感情と向き合っていた。

今は多くを言いたくない。反吐が出そうだ。

日本語でここまでの憎悪を表現する語彙を知らない。日本語だらけの辞書なんか引きたくないのだ。