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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

言葉と無関心

退院しましたのでぼちぼち再開します

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幼稚園に上がる前の話を思い出した。私が覚えているのではなく親から昔聞いたのだ。

私は言葉が出るのが遅く、父方の祖母が心配して相当口出しをしたらしい。
ネグレクト(放置、無視)で死なせかけても何も考え直すことのない両親がそれで動くことはなかった。

父は何を言っているか今もよくわからない人なので、私の状態について何を考えていたかなどはわからない。

母は親戚の家に身を寄せていた時がある。その時に自分のいとこ達が赤ん坊の頃から世話をしたりしていたので楽観していたーーと言っていた。
「◯◯(私)ちゃんはしゃべれなくても、こっちの言うことはちゃんとわかってたから心配なんかしなかったわ」

発育は確かに個人差があるが、それで心配しなかったのではない。私の両親は「自分以外を心配して行動する」概念が欠けているのだ。

もっと言えばコミュニケーションが取れていなかった。今のように「発達障害」や「アスペルガー」などの概念はなかった。自閉症自体の概念はあったが、知的障害があるのが条件である。私は知能が低くはない。
両親は無自覚に偏見の強い人達なので、まだ私が自閉症系の障害を持っていることがわからない頃、自閉症の症状(特性)についてかなり差別的な表現をしていた。私が自閉圏の人間ではないかなど頭をかすめもしなかったのである。

自閉症を疑う理由はさすがに求められないが、単純に言葉が相当遅れているなら幼稚園に上がってから困る、などとは思わかなったらしい。

私は口頭で会話ができない代わりに、母曰く、
「なんか3歳くらいで勝手に絵本で字の読み書き覚えてた」
そうである。至極どうでもいいことのようである。

こういう無関心さが、今思うと不気味だ。

しゃべれないのに読み書きは教えられることなく習得する3歳児。何かあると思う祖母の心配が一般的なのではないだろうかと思う。ただ祖母は癇癪持ちだか、いわゆる「カンの強い人」だったので、相当きつくうるさく当たったと思われる。反発心から「自分達の子に何か問題があるわけがない!」と突っぱねる気持ちもあったのかもしれない。娘のことを侮辱されたという怒りや何かではなく(そうであっても本当はおかしく思うが障害持ちであることなどはそう簡単には受け容れられないものだ)、「自分達の失敗」という捉え方しかしない人達なのだ。

その後、幼稚園に上がってすぐの4歳の時に放置から死にかける。幼稚園の集団生活にも、外出することにもなじめないままで、寝つきが異常に悪く、母のそばを離れたがらない。

当時は虐待について誰も何も知らないような時代だったし(外国にはあっても日本にはないという感じだ。両親は読書家で大量の本が実家にはあった。外国での虐待について書かれた本がずっと私も読めるところに置いてあり、両親とも読んでいた)、家族についての神話じみた感覚が今よりずっと信じ込まれていた頃だから、誰も何も気づくことはなかった。

この後は私の言葉に関するスキルがおかしいことをずいぶん親からなじられたりからかうようにして指摘されたが、これでは私が会話についてめちゃくちゃな認知を持つようになっていくのも当たり前だったのかも知れない。私の言葉は、親や大人たちのご機嫌をとり、気を引くなどのためだけにカスタマイズされていった。それは現在も続いている。