NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

再度の決意。何度でも。

20時現在、入院支度どころではない状態だ。

呼吸がほとんどできないので。

いつものことではあるが、今日の苦しさは格別。
字など書いている場合かと言ったら、さて。

いずれにせよ身体の硬直も始まったから
荷づくりどころでもないので、
もう更新でもしたらどうかと思ったのだ。

 

絶望はしたままだ。私に生きる意味はない。
希望も喜びもへったくれもない。

 

あれやこれやあって、ちょっと考えないわけに行かなくなった。

これ以上は出ないだろうというところまで思案し尽くしたら、
呼吸が滅茶苦茶に苦しくなった。

考え過ぎるからだという向きもあるだろう。
だから「治らない」のだと言っておく。私が呼吸困難に陥るのには理由がある。


私は強いとも弱いとも言われるが、それらの言葉の
意味をよく考えて言う人は稀だろう。

そもそも論になるが、大方は強いとか弱いとかいう
表現を考えたことなどそんなにないだろう。

人が根本的に強いとか弱いとかいうことはないと思う。
誰か他者によってそういう感覚を身に着けてしまうだけだ。

私の強さは強さではない。
私の弱さは学習させられたものだ。

私の場合、たまたま親がそうさせた。

さすがに明日入院で、噛み砕いて説明するのは今後にするが、
生き物の心が元々強かったり弱かったりなどしない。

自分にも言い聞かせているが、誰1人としてそんなことはない。

誰1人として自分を否定的に思う必要はないし、
そう扱われても相手にしないことだ。

 

絶望している、と言った。

何故
自分がこうも簡単に参ってしまい、
本当に「心が折れる」のか、
希望も前向きさも自由も何もないのか、
ありもしない悪意を人に見てしまうのか、
生きていく気にならないのか、
恐怖ばかりを感じているのか、
行動してもめげて投げ出すのか、
それでも「しぶとさ」だけはあるのか、
何故死ねないのか、
考えた。


ずっと考え続けて来たが、何も理解していなかった。


そして理解しただけでは何も起きないことも、
初めてまともにわかった。

わかったと思ってもまた「アップデート」が要ることも。


今の私は心がほとんど死んでいるか、死にかけだ。
蘇生はできる。が、凄まじく時間とエネルギーが要る。


今は何を言っているかわからなくて構わない。


ただ、私はもう、何度も何度も言葉によって殺されては
膨大なものごとと引き換えに蘇るなんてことをやめたい。
もちろん、言葉だけではないが、言葉の殺傷力が
どれだけ強力か、私は被害者としても加害者としても
知っている。


希望なんかない。幸福とか考えてもいない。知らないものは
今はどうでもいい。


失敗だらけなのが私のこれまでだから、うまく行くかなんか
わかるわけがない。

だから酷く丁寧に決心を積み上げていた。


*****

――見ていないだろうが、私の決意のために言っておく。

そこにいてくれ。待てる間だけでいいから待っていてくれ。
私はやはり独りで歩く。それしかたぶんできないのだ。
助けようがないだろう。言われなくてもどこかでそう思っていた。

ただ、私は弱い、滅茶苦茶に弱い。

見えるところにいて、ときどき関係ないことで、
ちょっとだけ相手して欲しい。
――それ以上今望むことはない。それでも凄い贅沢だ。

きみのことだからわざわざ言うまでもないだろうけど――
信じている。初めてまともに人に言うんだ。
きみの性分を知った上で。

こんなことを書いたと知ったらそれこそ死ぬほど
渋い顔をしそうだが、そんなことに構ってられない。
今は感情は邪魔なので止めるつもり。

*****

呼吸ができるようになったのでぼちぼち支度にかかる。