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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

優しさというもの

日記 思うこと

昨日今日の話なのだが、過去が大いに絡む気づきだと思うので書いた。

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同じことを言うにも、私は優しさをもってできるようになりたい。そっけない物言いでは、疲弊した人には届かない。というのは、ちゃちな正義感なのだろうか。

今後考えは恐らく変わっていくと思うし変わらなければ困るのも想像はつく。疲弊して孤独な状態の人は適度に距離を保てない人も多いから(私自身そうである)、そういう人に接するスキルがまだなくて、相手が過度に私に依存的になった経験がいくらでもある(そして私は自分のために相手に依存されることに依存しているので、病としての「共依存」という言い方があるのだろう)。その時にしてきた対処が良い物だったようには思えない。だから無責任なことを言っていると思う。それでもなお今そうしたいと思うのは自分がしんどいからだろう。それなら、人様に手を出すべきではない。心中でもしたいのならまた別だが、私が困窮している人にできることなど今はないのだ。

だが、この数年間の体験は私の今後を決めていくことだろうな、と感じている。単純に優しいだけではダメで、それでも本当に相手のために何かするのであれば、私がした経験が下地になるのだろうから。

そっけない対応をする人で、言うことがそうおかしいことでもないなら、その人にはその人の答えや考えがあるのだと考えるようになってきて、優しくされたいなら別の人に担当して頂くしかないと思い至って、私は将来的にはその担当ができるくらいの度量が欲しいとつくづく思った話だ。

昨日、薦めをもらって、書籍を手に入れた。
正確にはYouTubeリンクをもらってタダで聞ける音声を教わったのだが、私は耳から聞いたことを理解したり覚えるのにはかなり強い障害があり、書き起こした書籍がないかと探してみたら運良く発見したので買った。

ここのところ精神的な不調が強くなっていたが、退院して環境変化についていけなかったこともあり、自死まで考える有様だった。Twitterなどの大きなSNSにはこういうことは書けないし聞いてくれる人がいるでもなし、ごく小規模のSNSで不調のままダラダラとネガティブなことをつぶやくくらいしかできなかった。そこにコメントをくださる人がいたのである。

以前ならそこでまた動画は無理だのどうだのグダグダ言い出すのだが(というか一回似たことをしてしまっていたが、まだ力になろうとしてくれていたので)、まずは聞いてみた。そこから書籍で読める今に至る。至極単純である。いくぶんか随分か衝動的な行動には違いないが、リンクをもらってからここまででそうひねくれたことはしていないだろう。

 

何故それができなかったのだろう。

 

一回似たことをしたと言うのは、その人が「世間一般など知ったことではない」という内容のことを言った直後に「皆同じことで悩んでいる」と言ったことに混乱してしまい、「普通の人が考えることがわからない」という趣旨のことを投稿してしまった(内容で何かその人を指すことは言っていないが、あまりにも直後だったから、その人が読んでいれば何か自分のことを発信していることは感づいたと思う)のだ。

私は確かに具合いが悪くて仕方がなくて正気ではなかったし、今だってさして変わらないだろう。それでも、ここで自分を責めることはなんの解決にもならないどころか誰に対しても害悪しかないことには気づいた。ではすべきことは「反省」か、と言えばそれも違う。気づいたなりの行動をするか、余計なことと気づいたことはしない、言わないこと、それだけだ。

私は「修正」と呼んでいるが、例えばここで言われた言葉にとらわれて混乱するのは相手に完璧なケアを求めているだけのことで、発達障害だからうんぬんをいきなり理解しろとか、病のことや親だった人達についてのことを知った上で言えとか、そういうのはここで発想することではないのだ。目を向けるのは以下のことだろう。

ーーこの人は善意から、優しさから、励ましと慰めを言ってくれたのだ。注目すべきはそちらなのであって、それ以外の瑣末なことではないだろう。ーーこれだけだ。 それに気づくのに2日、ワンテンポ遅れたが、これまでの人生では、こういう場面で私は「攻撃」を始めるように進むコースばかりとっていた。敵意とか悪意なんかこの人にはないし、私の親や、過去、本当に悪意から私に近づいた輩たちがしたような、利己だけの、何か私を利用してやろうという魂胆があるわけでもないのだから、恐れて攻撃する必要なんかない。単純に素直に相手の気持ちになってみたらいい。自分の気持ちは置いておく。どういう動機で言ったかが多分すべてで、どういう内容であったとかそれが事実とはあまり合ってないとかいうことは、よほど困ることが起きてしまうのでなければ、あまり意味がないのだ。

声をかけてもらっただけで十分なのに文句が出るのは、自分を自分で否定したり責めたりしているからで、そういうことで安心感を得る回路が脳内にできてしまっているのだろう。その時に私の心にある空虚を相手に埋めてほしいと思い、それが当たり前だと思い込んできたことに改めて、現実のものとして気づいた。これで優しくなんかできるわけがないし、どれだけ優しくされても底がないだろう。

まだまだ中途だが、過去、嫌な思いをしたりさせたりした人達と自分に私がしたことは、やめるようにしよう。それ以外にできることは、今はないからしないし、考えてもわからないだろうから、冒頭に書いたことは今後いつか解答が出るまで保留にするしかない。そういうシンプルなことだったのだ。それで終わらなければまた助言を請うことができる人達が、まだいる。行動から変えていけば習慣づくだろうし、またおかしくなって来たら、自分でこの記事を読み返そうと思う。