NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

薬とPTSD

減薬5週目、32日目。

当初は離脱症状と呼ばれる、「薬の量が減ったりなくなったりして起きる症状」が酷くてほとんど何もできなかったが、今月13日か14日からそちらはいくらか軽くなり出した。が、PTSDの症状が出るようになり、そちらがかなり酷くなって来た。ここ3日間は毎日フラッシュバックを起こしては激しい症状に見舞われる。

薬で神経系の活動を抑えていたので薬が入ってくる量が減れば、神経系(簡単にいうと神経全体)の「たが」が外れた状態になる。過剰に活動するようになるのだ。何にも過敏に反応する。過剰な興奮状態になる。

症状を挙げるのは難しい。何でも起きうるからだ。私が経験しているものを書くと、

頭が興奮したままなので休むことができない。じっとしてもいられないが身体を動かすこともほとんどできない(身体に力が入らないのと様々の症状が激しくて苦しいので動くどころではないからだ)、眠れない、思考力や記憶力の低下(認知機能の低下。物忘れ、記憶できない、理解できないなど)、怒りやすくなりイライラし続ける、ストレスや負担に極端に弱くなる。最近の私はずっと機嫌が悪い。些細なことで感情的にもなりやすい(疲れるとそうなる)。起き上がっていられない。寝ているのもしんどい。

考えることが酷く負担で、言葉を考えたり、書いたりするのが脳には一番負担らしく、あまりできない。字を書くのはしんどい。手に力が入らないことが増えたので手書きがよくできないし、スマホを正確にタップするのが難しいし、酷くなるとスマホを支えていられない。画面が眩しい。他、自分にとってストレスや負担になることをしたり、そういった刺激を受けたりすると、頭痛、腹痛、強烈な眠気(だが絶対眠れない)、耳鳴り、眼痛、過呼吸(呼吸が浅く速くなるが止まってできなくもなる。酷く苦しくて何もできなくなる)、動悸、酷い汗(体温調節が狂うようだ。断薬経験者に聞いたがやはり発汗は酷くなったそうである)、各種の神経痛(三叉神経痛=顔面の神経痛、肋間神経痛など)、胃痛、吐き気、背中痛。また常時お腹を壊している。元々弱い箇所の症状が強化して簡単に出るか出っぱなしになりやすい。

なお、負担がかかって出る症状についてはおおむね負担が強いほどあとの症状まで出る。
このリストは大体減薬3週目に作成したものなので、少し今とは様相が違うが、こんな風に「身体に出る」ものが多い。もちろんこんなものが続いているから酷く疲れる。疲れるからまた悪化する。

他に起きうるものが抑うつ状態とか幻覚などだが、キリがない。幻覚も過剰に神経が活動するから起きるだけだし、抑うつ状態も攻撃的なのもこういった経験がストレスだからでもありまた過敏で過剰に反応するからだ。薬で思い出さなかった昔の記憶が唐突に蘇る。それも大抵不快な形で。こういうのがフラッシュバックだというのであれば、私にも起き始めた。大変簡単なきっかけで昔の酷い記憶が「襲って来る」らしく、私の場合はあまり詳細に思い出す前に吐き気や動悸、酷い過呼吸が起きるが、めまいも神経痛も起きる。

だから「離脱症状」という名称は恐らく便宜上である。

こういった症状、神経の過剰活動は、環境や負担、ストレスに対して新しく適応ができあがれば消えていくらしい。

私には離脱症状が起きるとは思わなかったと主治医が言った。つまり、見立てでは薬は大して減らしていないのだ(私も減薬を始めた日は「これだけ?」と拍子抜けした)。
このように個人差が大きいため、断薬までの期間は想定できない。

私の減らした薬の1つは「力価」というのが大きい。少しであってもたくさん飲んでいるのと同じだという話だから、いきなり半量になったのは「減らし過ぎ」だったかも知れない。また、私はかなり長期にわたって精神科薬を飲んでいるし、少ないとは言えない。そうなった経緯は少しおいておき、薬で何でも対処する習慣が強くついている。依存というわけだが、これを自覚することはかなり難しい。自分で気づくことはできないだろう。だから薬なしではストレスに上手く対処することがまだできない。

上手く、というより、「今しているこれでいいのだろうか?」とか、そんな感じだ。毎日切り抜けるのが精一杯で、「こんなことやってて先へ進むのか……?」と思うのが正直な所だ。

私はカウンセリングを受けているわけでもないし、主治医の予約は減薬後1回しか取れなかったうえ、その日は支援者が同行してそちらへの説明に時間を取られ、減薬などに関わる話はほとんどできなかった。そして次の予約は来月だ。本当は毎週通院が先生からの指示だし私の希望だが、今回は連休や学会があったりしたこともあるし、交通費が確保できないのが一番の理由だ。主治医ほど私の理解をしている人はおらず、カウンセリング能力もある人なのだが。

PTSDと増薬の話。

この数年の間に私は2回、他人から故意の悪意(立件できれば刑事事件である)を受け、PTSDになったが、その当時に支援機関の担当者から更にとんでもない目に遭わされた。私に特別に必要不可欠な支援のほとんどを「怒られて」打ち切られたり、入院、通院をさせてくれなかったり、同意していないのに恐喝のような電話の後勝手にお金を天引きされたりなどだ。
弁護士相談はしたが、はっきり違法だというのに私の体調不良を理由に案件を受けてくれなかった。寝込むような状態でなければ当時の私であっても動いたが、そこで心が折れてしまった。今もその支援機関の建物など思い出すだけで吐き気や過呼吸や動悸などが起きるから、担当者が代わってもどうしても近寄ることもできないし、とにかく怖くてたまらない。本当は関わるのもやめたいが今「自立」できる状態ではない。

――全く起き上がることもできない状態になって満足に口もきけなくなっても、PTSDなど人が理解できるものではないから各支援機関の対応は本当に酷かった。そもそもいまだに私が何かされたなど信じてもらっていない。「怠けたい一心で作り話をしているただの依存」というわけだ。

私がどう動いても助けを求めても、誰も助けてはくれなかった。カウンセリングはお金がないし私は寝たきりで通うことができないしで受けようもない。せいぜい、主治医から薬を配達で送ってもらうことしか私にも主治医にもできなかった。また主治医からは自作のカレンダーが送られて来たりもした。そんなことをしてくれる人は他にいない。

薬を使う以外の選択肢は断たれたのだ。いくら何と言ったって誰も応じてくれない、主治医だって私が行かなければ私からの連絡で状態を推測して薬を出すしかできない。
通院がある程度の頻度で再開してからもPTSDの治療は目処が立たなかった。元々かかっていたカウンセラーは異動させられてしまった。主治医は一般的なカウンセリング能力はあっても物理的に時間が取れないし、そちらの専門でもない。
また、他の医者を探すことは支援の制約上できなかったし、今更この状態の私を理解する医者を見つけて関係を築けるとはとても思えない。カウンセリングができる医者、というのは恐らく自費だろうし、そもそもそういうことをする医者がいることを私は知らなかった。
支援制度でかかれる精神科は一箇所に定めなければならない。私は入院先が主治医の所ではないので、事実上セカンドオピニオンを受けていることになる。これは良くは聞けずにいるが特別の措置のようだ。藪を突突いて蛇を出す真似はしたくないのが本音である。入院先のドクターはカウンセリングしてくれるわけではない。薬嫌いのドクターだが、状況的に仕方ないと嫌々処方してもらっている。

ともあれ、薬が増えたのはこういう過程を経てのことだ。
だからどうだとも言えない。依存は依存だ。ただただ私は死ななかっただけで、この孤立状態で(というよりほとんど敵対者ばかりの状態だ)生存したのは私の力と言えるかどうか。私自身はこの間に3回自殺を試みたが未遂に終わっている。

その私が薬はやめると言ったのだが、実際に減薬を始めるまでは記憶はあまりなく、思い出すことがあってもあまり何か感じることもなかった。こんな風になるとは思っていなかった。

だからといって薬を戻したいとは思っていない。あのまま、薬しか「何かを乗り切る」手段がないと思い込み続けていたら、いくら薬があったって足りないだろう。何か感じるのを妨害するものなのだから(はっきりPTSDがある、死ぬような目にあった記憶があるという現実から一時的に逃げるのに使ったのだから)、私は現実の何もちゃんと感じることができないままだ。それでは現実に適応できる能力が育つはずはない。正しく感じないものにどうやって適応するのだ。それは、減薬を始めてからのほんの僅かの成功体験でわかったことだ。

すごくゆっくりやるしかないのだろうか。色々同時進行なので、いっぺんに全部解決する方法なんかないだろうし、これでもこれまでからするとものすごくたくさんのことを切り捨てているのだが。

そして始めなければならなくなったことが「自分を育て直す」ことだ。これはまた別の記事にするが、私は現実として「育っていない」のだ。それはそれでまた別のPTSDなのでやはり症状が出るのだけれど、どうもそれもしないとおさまりがつかないように感じるし、それが全体のカギなのかも知れない。

私は自分の感覚に自信がない。助言もらったこともどうやって組み立てればいいかわからないし、その前にあまり思い出せなくなっている。数時間眠ったら今日の記憶は容易には思い出せなくなる。これでいいのかわからない。