NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

「被災」から「復興」へ向かう道 2017/01/07 0:39

 

夜行バスの人々

夜行バスの人々

 

 最近ちょくちょく開く本だ。著者当人がはてなでブログをやっていて記事を引用したこともある。発達障害精神疾患、その他何か抱えている人は読むといいと思う。特に何か考えたりしないで、ただ読めば良い。群像劇っぽいので(まあ群像劇なのだが)混乱しそうだが、追えなければそれはそのままで良い。ストーリーよりも言葉や個々のエピソードが大事にされている気がする。

 

私はこの本を発売後割合すぐに購入したが、ずっと読むことができなかった。元々、小説を読むことがかなり苦手だからでもあるが、抑うつ状態が酷くなってからは文字列を追うことも困難になっていた。その状態になってからもう6〜7年ほど経つ。その状態の人は多いだろうが、それでもというか、そういう人が読んで差し支えない。そもそもあまり小説を読めない人を想定して書いたそうだから。

 

 

著者は友人だし、昨年はずっと相談に乗ってもらっていた。

今年は全くやり取りしていない。こちらから連絡したが向こうからは何もない。

 

それだけ言えば別に普通のことだし、別に友人側に大した理由はないかも知れない。大体、そんなに暇な訳でもないのだし。

 

これまで何度もそういうことがあるたびに酷い不安にかられた。今もそうだ。

私が対人トラブルを起こしまくってきた、最大の理由がこの対人依存だ。さらに私は現実離れした感覚で生きて来たから、トラブルメーカーで当たり前だった。

 

こういった話を書くのは相当の苦痛が伴う。

済んだことよりも、今もってつらくなったり困ったりするとこの人ばかり浮かぶし、他に相談できる人をこれまでうまく持てなかったために、どう、何を言えばいいかがあまりわからないし、今も常にある心身の苦しい現象が強くなるからだ。今も息が苦しい。

正直に言えば今この本は苦しくなるので読めないし、ここに貼り付けただけでも「具合が悪く」なった。

 

連絡が取れない理由などよりもこの私の状態について考えるべきだと気づいたのはついさっきだ。

何回私はもう自力でもそうは問題を起こさない、できる、といった意味のことを言われたろう。そうは思えないで来た。

何かに際して「どうしたらいいか」といったことは山ほど教えてもらったが理解できなかった。

 

したくなかったのだ。

 

決してわかりやすい言葉を使う人とは言えないが、それ以前の問題だ。

私は自信があまりにもない、と他の人に言った途端理解した。何を言っているんだろう。私は誰にも理解されなくたって、過去にたくさんのことを乗り越えて来たり、克服したり、ここまで失敗や酷いことがほとんどだったけれど生き抜いて来て今も生きているじゃないか。それらはすべてが糧になる。

理解者が不要だったとは言えない。さすがにそれで生きられたとは思えない。私は主治医1人が理解者だった。もう1人、分かち合える人が現れた。十分だ。何も全部わかることもない。だけどここまで共有できたら十分だ。

 

ろくな過去はないが、基本的には自力で乗り切って来た。生きているだけでもその証だが、私は思い出したくなかったり、それらの意味をただの酷いこととだけしか考えられなかった。それは苦しいに決まっている。被害者としての証明に、病気にもなるし治れないだろう。

 

生きることに消極的にもなるし、恐怖を手放すこともない。

 

まだ済んではいない。私はすぐに忘却する。これまでの私で居たがるからだ。心はそうやって生命を維持しようとする性質がある。

 

だが、1回気づいて知ってしまったら戻れないのも心である。

 

これから「復興」するために、このことを忘れても思い出せるように、この記事を書いた。

 

できたら誰かの役に立って欲しい。

 

この記事の引き金になった、来未炳吾の言葉を置いておく。どちらでも書いている。

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