ネグレクト 1
記憶の始まりは、病院の中だった。
入院していたのである。幼稚園に入園して間もない、四歳の時だ。
病名ははっきりつけられなかったが、「麻しん(はしか)脳炎の疑い」といつも書く。
通常、記憶の始まりは三歳頃だそうだが、病室内以前の記憶はさっぱりない。
だから後からいきさつは聞いた。
まず、5月3日、憲法記念日なので休日だが、自宅アパートで一家四人で何となくテレビを見ていた。
私はいつもきっちり座っているのに餅を持った手をお膳に投げ出し、だらりとしていた。
母は時折声をかけたと言う。
私はずっと反応しなかったが、誰も気に掛けなかった。
突如、私はひきつけを起こし、事態は一変した、のだけれど、いまだにうんざりするほど覚えているのは両親が「いかに私を救うために奮闘したか」と両親の「何故ぐったりしている時点で何かしなかったか」のなすりつけ合いを、この話を聞いた小学校三年の記憶である。その時、もっとゾッとすることを見せつけられたのだけれども。
ともかく四歳の時に戻ると、救急搬送時も両親は揉め続けたらしい。私は今で言うたらい回しになっていたと言うのに。
つまり死にかけていたので、受け入れ先がなかったのである。
当然今生きているので、一箇所が引き受けてくれたわけだが、今思うとその医師の度量に感謝している。
「お嬢さんは今夜がヤマです。もし乗り越えたとしても、知能、四肢に重篤な後遺症が残ります。健康体に戻ることは、諦めて下さい」
その医師はそう宣告した。たらい回しになるわけである。消防士からの情報で、既にそういう状態であることはわかりきっていたのだから。私は既に危篤だったのだ。そんな患者を受け入れてこんな宣告をすることが平気な医師は、通常いない。
まして宣告する相手はそんな幼い子の母親である。取り乱すのが当たり前で、私は何度かそういう場に立ち会うことがあった。気丈にしていても大丈夫そうな母親は、まだ見たことがない。
自分の母親を除いては。