NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

つらつら考えごと

★いつもはワンテーマに絞って一応構成して書くのだが、体調などもあり、ただダラダラ書いた日記をそのまま転載しただけである。

 

言わなきゃわからないと言うが実際は言ったって大してわからないのだ
こちらは不毛な相談交渉を何年もやってるからもういい加減いくらか話せば聞く人かわかるようになって来た
と言うよりこちらの状態を汲む能力があるか、こちらの事情(主に支援制度についてだが病気障害を考慮する気があるかもだ)を考えられるか、知っているか、それを話して意味がある相手か、その辺りだ

その意味では「言わなくてもわかる」能力が要るのだしそれは存在する

「わかる」という言葉が曖昧で範囲が広くて程度の差をカバーし切れていないので齟齬が大きくなるのだが

把握力、思考力、想像力、まあどれも明確には表現できないな

重要なことは「わかるはずがないことを知っていること」「相手にも自分にも限界があり、何か強制することはできないこと」「自分の知っていることや力や判断力や認識は必ず間違いや過不足を含むこと」「自分のことも相手のことも認めることが原則で、それは『人はそれぞれがあまりにもかけ離れて違う生き物なのだ』という理由であることによる。その上で受け入れられない、相手も受け入れようとしないなどの場合、『わかる人だけわかればいい』として離れれば良い。縁があれば変化した自分が変化した相手と再会するかも知れない」もう少しあると思うがまずはこのくらいか

俺は「執着しなくていい」という選択肢を知らなかったから苦しんで来たが、そのためにこの程度のことはとりあえず「わかる」能力もついた
もちろん誤謬を含んでいることだろうがこれが今の時点の完成形であることに何も遠慮する気持ちは必要ない

完璧などあり得ない
皆その不可能なものを自分にも相手にも求めていることに気づかないといけないし、不可能なことだからこそ摺り合わせが必要なのだ
「現時点での一緒に作れる完成形」これがちょっとやそっとでできる訳がない
それには考えて行動してそれを自分にフィードバックして考えて、と循環させることだ
助けが要るなら誰かに頼る
全部自力でなんぞできん
また、最初からわかってる人はいないので答えを知ってる人に聞くことは何ら問題ない
どうせ一発でわかることの方が少ないのだから遠慮することもないが考えずに全部教えて、ではダメ
それだと一生何もわからないからだ
相手に迷惑だからとかいうことではない
むしろちゃんと教えようとする人なら相手の理解や思考力なんかが上がっていくことを喜んで手伝ってくれるし、そのためにあえてあまり多くを言わないことも多い
真摯であれば(いやなくても)必ずそういう人は出会える
だから人と関わることをやめるな

俺みたいにずっと考えてずっと気を抜くこともないでは病んでしまうからわざわざ必要ないのにここまですることはない
が、だからといって楽な選択肢ばかり選んでいたのではまず自分を損なうし、それが周囲とやらに迷惑にもなる
で、迷惑をかけたことばかりに執着してしまうとどんどん自分が動けなくなる
迷惑そのものは生きていれば絶対にかかる(死んだってかかる)のだからかけないようになんて目指しようがないし、かけたことを気に病むことも不要だ
何がまずかったか(これはすぐにはわからないことなのであまり気にすることはない)、どうするといいかわかればいいのだからその程度のことなのだ

「わからなかった以前の自分」に執着してきていつまでもこちらを理解しようともしない、変わったことを認めることができない相手にこちらから執着して付き合ってやる時間なんかないのだ

人は途中で死ぬ

人生なんかそんなに時間ないのだ
70何年生きてもその人生を全部自分の若い頃の冤罪を晴らすことに使い切った人もいれば生活保護法が違憲だと闘い続けて結局公判が終わる前に死んだ人もいる
長さなんか関係ない
結果が出るかどうかもわからない

だから自分のしたいことを全力でやればいいしそのためにこそ工夫して行動して行くべきだ
誰かがやってくれるの待ってたら何も起きない
どういう人生を送るかは自由だが俺は「ああ楽しかった」っつって死にたい
そのために人を巻き込んでいることは何らおかしいことじゃないはずだ
誰もが誰かの人生に巻き込まれているのだし、俺みたいな人達が大勢いることだっておかしいのだと知らせる機会にもなる
今日も守られずに死んでる人達がいるはずだ
俺はその1人になりたくない

これができるようになるのにどれほどの歳月を費やしたか
俺の側でどう配慮しないと協力してもらえないかだって何年生きてもなかなかわからなかった
配慮しないことも必要なことだという場面もある

まだ俺はヒヤヒヤしてる
ずっと何も伝わらずどうにもならなかったからね
死んでないのは本当に綱渡りだったんだ