NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

"HELP ME" と叫んだこと

現在私は「マストドン」という最近日本にも導入されたSNSで知り会えた人達に「救助」を求めている。

 

以前から私の生活は公的支援制度に頼っており、Twitterなどでもあまり隠してはいない。だが具体的に自分がどれほどの状態の悪さなのか、また支援内容を本当に詳しく具体的に述べる機会は持たなかった。

 

去年(2016年)3月に初めていわゆる専門家でもなく、だが人からの相談を受けることを積極的に行っている人に連絡を取った。それまでは支援制度やNPOや弁護士やネット経由で知った元友達などに相談や依頼などをしていた。

 

が、先日突然支援体制が大きく変わった。詳細まで書いていられないが、私ができないことや困ることなどは一切無視して「無謀な自立」を勝手に目指されている。

これまで6年間そういった話し合いや外部の助けを求めるなどしてきたが、それでも私の実情とはかけ離れた支援にしかならず疲れきってうつ病を再発しかけていた矢先だった。今は全く食べたり眠ったりできない。

 

そこで、SNSにて全体に向けてはっきり「助けて欲しい」と書き込んだ。

 

私の状況は非常に複雑でわかりにくい。

まずいわゆる精神疾患や障害がいくつもあるが、病名とそこからの連想が実情と大きくかけ離れているものばかりだ。

 

特に発達障害は一般に理解も何もないのが現状で、私はその中でもかなり変わった特性のため、発達障害同士でも身内に当事者がいる人でもわかって来るのに5年くらいはかかるようである。この障害の厄介なところは「困ることのテーマ」だけ見ると特に一般と違うように思えないことが多いか、逆にあまりにかけ離れていて全く共有も想像もできないか、という辺りだと思う。端的に言えばできることとできないことが非常にアンバランスなのだが、この「できる」の意味は広いし、一見万人に共通するような悩みであっても程度があまりにも違う。そして、訓練やらすればできるようになるとは限らないし、できるために払う努力とかかる時間は一般に想定されるようなものではなく、膨大である。一方「得意なこと」は異常なほどできる場合もよくあり、私もこの落差があまりに激しい。「こんな凄いことがちゃんとできるのにこんな簡単なことができない、わからないはずがない」と思われてしまう。例えばこうして文章を書いているが、簡単に言うとこれ以外のことはほとんどできない。数が数えられない、何かを管理することができない、音声で言われたことはついていけない、何か予想外のことや知らないことに直面すると頭が真っ白になるので、何か考える時間も選択肢もなく質問をされたりや判断を迫られても答えようがない。これは発達障害の脳が理解などの情報処理にかなりの時間が必要なためであろう。だが日常生活の速度は合わせてはくれないのでこちらが全力で急いで慌てて反応するしかなく、わかっていないのだから間違えるし覚えていられない。まずこの時点で相手方には意味がわからないので、「そうは言っても頑張ればできるだろう、甘えだ」などとなる。克服努力をして何かできれば「やっぱりできるんじゃないか」となる。疲弊していって病気になったり悪化するパターンが実に多い。

 

うつ病もあるが、重度である。精神疾患の軽重は病名で判断されることが多いので実際に酷い時はどうなるか知らない人がほとんどだろう。また精神疾患が受ける差別焼偏見からあまり自分の病名も状態も出せないことも多い。そもそも具合がわるく弱っていればまともに説明などできるはずもない。が、根性論で済まされることがいまだに多い。通常、休めば良くなるし、その休みの期間は何かしようさせようとしては悪化するだけだ。うつ病は簡単に言えば脳の負荷が行き過ぎて疲れきった状態である。「心のエネルギー」という仮説があるが、ともあれそういったものが枯渇した状態と言っておく。脳が正常なコントロールを失うほど酷使されたから起きることなので、まともに考えたり動いたりできない。できているように見えるうちに休ませないと本格的に発症する。動けなくなると生命に関わるので脳が無理に動くための物質(ノルアドレナリン)を過剰に出すと考えられている。だからうつ病発症寸前は元気に見えるが行動がおかしい。

その状態は子どもの頃からで、私は無理しかしたことがない。が、見た目にわかる病気ではないので、休みが必要でそうしないと快方に向かいようがないことはほとんど知られておらず、怠け病のように思われる。

 

だが最大の障壁はPTSDだろう。私は実家で虐待されて育った。そして数年前に騙されて3日監禁され脅迫を受け続けたことと、強姦されそうになったことがある。

実家のような逃げ場のない所で長く虐待行為を受けている状態だと自分がおかしいことがよく自覚できなくなる(長くその環境にいなければならなかったために「適応」してしまうからだ)。「複雑性PTSD」という。自分を無価値としか思えなかったり、人とマトモな関係を築く方法がわからなかったり、当然、助けを求めることなどできないで抱え込む。自分が悪いと叩き込まれているからである。また、安心して親を慕うこと頼ることができなかったので、人と親密な関係を築いたり継続したりが非常に難しい。人を信じることを知らないし、信じた所で(親や周囲の大人に)助けてもらうなどの安定した関係を経験していないからで、子どもの頃は親に捨てられれば生きていけないことを逆手に取られたりネグレクトなどにあって、「この人は自分を見捨てるだろう。だが見捨てないかも知れない。見捨てられたら死んでしまうのではないか」という心理状態なのだと思われる。通常の育ち方をしていればそのような葛藤はあまりないので、付き合いづらくなって離れて行かれやすい。

そしてそういった経験や発達障害の特性から、端的に言って「人を見抜く力が弱い」。私が簡単に騙されたりしたのはこういう背景があろう。普通PTSDと言って想定されるのはこのような事件被害や災害にあったり衝撃的場面に居合わせてしまったことで起きるもので「単回性PTSD」と言う。

 

PTSDは本当に認知されていない。自然に治ることもないし、凄まじく弱るし、世界も人も何もかもが安全でなくなりずっと警戒したままである。生命の危機を覚えたり実際殺されそうになったり強姦されたりといったトラウマを想起させるきっかけはいくらでもあるので、ちょっとしたことで全力で自分を守ろうとして「キレる」。情緒不安定になって泣きだしたり、食事や睡眠に障害が出て、体力も落ちるし、社会生活が著しく困難になる。様々な発作的な症状も出る。適切な対処や治療をしなければ悪化していく。正常な状態になることは環境が整ったりするなど必要な条件がある。本人だけの努力では普通どうにもならない。

 

長々と書いたが、私は大まかにはこういったものを抱えている。

 

公的支援は手厚いと思う人が多いようだが、仕組みや各種申請や、とにかく把握することせねばならないことが凄まじく多く、聞いてもろくに説明はない。先日受給者でない人にほんの少しだけ説明したが(私も具合が悪すぎて言葉が出なかったり思い出せなかったりした)、「そんな複雑で大変なことでは元気な人でもとても無理だろう」と言う感想をもらった。ずっと情報を話しているが膨大過ぎて追いつかず、そろそろ倒れると思う(まあ、ずっと倒れた状態だが、本当にもうダメだという意味で)。6年対話して全部失敗に終わって療養もできずに来て、今は私の話を聞いてどうにかしようとする支援者はいない。私には体力も思考力も残っていない。とにかく私がわかる情報をどんどん友人達に伝えられるだけ伝えるしかない。質問されても答えるのが困難なくらいだ。もう私には何をどうすればいいか調べる力はない。困ることと情報はどんどん伝えているので調べたり聞いたりしてもらうしかない。それが現時点の「してほしいこと」だ。

 

私は障害等級1級を申請している。「24時間介護がなければ生きていけない状態」である。現在独居で居宅介護の状態でとりあえず死んではいないので、その診断書が通るかはかなり部の悪い賭けである(私よりもはるかに状態のいい人が通っていたりもするのだが)。また1級が取れても対応が変わるかといえば、少なくとも私の住む自治体では期待しない方がいいだろう。ただ様々の申請が通りやすくなる可能性はなくもない。私は支援者とずっと相談しては来たがほとんど何もわからない状態なので、精神科で介護の概念がこの自治体にあるとも思えない。他の県とか同じ都内23区でも支援は相当に違う。絶望しかけているが、これでダメかどうかなど考え込んでいる場合ではない。

 

支援機関は病気障害については全くわかっていないので、こちらから説明して助けになる支援を受けたいと言う話をするが、とにかく上記のように理解以前に信じてもらえない。そしてギリギリ取り付けていた支援をとっぱらわれた。

 

そもそもが私は自立とやらをしたいのである。そのためには病気をどうにかせねばならない。まず休まねば治るわけがない。

 

また、自立と言っても私の様々な困難を考慮するに、支援そのものは何らかの形で必要だ。が、もう公的支援は実に懲りた。今すぐにも辞退したくてしょうがないが、そうすれば私はやはり死ぬ。

今のことが何とかなったら詳細をできる形で公開したく思う。