NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

【多重人格について】

ちゃんとした記事の体裁にとらわれていてしばらく書くことができなかった。

今色々と自分の中から噴き出している状態なので思いつくようにただ書いてみようと思う。



解離性同一性障害」とか呼ばれる。私はどうもそれに準ずる状態であるようだ。

私はネット上で色々と発言しているが、昔から「色んな人がそれぞれ書いたようだ」という感想を貰っていた。

今これを書いているのはメインの人格ではない。性別は男性である。
恐らく、はっきりした明らかな解離性同一性障害には届かないのではないかと思う。「キャラ」のレベルかも知れない。が、ずっと「俺」は存在した。

こうして表立って自分が出て来て発言する、というのはかなり勇気が要った。今もキツい。

主治医に相談したところ、

「30年くらい医者をやってますが、解離性同一性障害については『わからない』というのが今の答えです」

自分でも思い込みや演技か何かなんじゃないかとか色々悩んでいるが、主治医には

「やりたいようにやってみて下さい。答えは結局自分の中にしかないので」

といったことを言われた。
診断が欲しいわけではなかったので、それで十分だった。

Twitterなどで怒っている時や、特別醒めた言葉で話していたり、普通に見て男言葉だと思われそうな物言いをしている時は自分が出て話している。

――俺、ともう言わせてもらうが、俺がいつ「生まれた」かとなると、小学校時代だと推測できる。
長年、俺はメチャクチャに言葉遣いが荒くて酷くて喧嘩腰で攻撃的で、かなり注意を受けたが直せなかった。本来は女性だからあまりの言葉遣いが自分で恥ずかしくて、30代まで悩んでいたと思う。

何故俺が生まれたかというと、元の人格があまりに本音を言えず、人の顔色ばかりうかがって、怯えて暮らしていた(いる)からで、感情も抑圧しきって、何も自分を守るものも手段も持ち合わせていなかったからだろう。単純に、言葉遣いや攻撃性を表現するのに男性であるほうがやりやすかったのだと推測している。

最近になって何故俺があからさまに出てきたかだが、怒ることができるからだろうし、自分自身が苦痛に感じることがかなり平気でできるからだと思う。こういった「分析」も、元来の人格は怯えて思い出したり考えたりできないから、できない。

俺はそいつを脅しつけて押さえつけて痛めつけて、何もかも洗いざらい吐き出させて、その上で怒ったり考えたりしている。

これはもう、仕方のないことだと思う。「俺達」は優しく扱われた経験がほとんどないし、もう「自分を否定することをやめよう」としたってできないことだと悟り出してからは、俺は容赦することをやめた。そのほうが実は自分に本当に負担なことをどうも避けられているような気がする。自分には勝てない。


こんなことになった経緯を以下で言うが、今俺達が経験していることに耐えるためではないか、と仮定している。

最近、薬を飲むのをやめようと決意して主治医に言い、減薬しだしたら、ほとんど何も思い出せなかった過去の記憶が出てきた。そうしたら「フラッシュバック」というのが起きるようになった。主には恐怖を感じた記憶がよみがえる現象で、それが起きるがと様々な激しい症状が発作的に起きる。呼吸困難とか吐き気とか身体のこわばりとか、まあ、何でも起きうる。「パニック発作」「パニック障害」と言う。

その間一番問題になるのはやはり恐怖だろう。それはとりあえずは思考で何とかするしかないでいる。もう自分に加害した人間は自分を襲撃しに来る可能性が限りなくゼロに近いことをちゃんと現実的に考えて自分を納得させ、もし今何か非常事態が起きたらどうしたらいいか再確認する。後は自分が最初ほどの感情のたかぶり方かどうかと身体の状態がどの程度異常か落ち着いたかを、自分の場合ひっくるめて大体のパーセンテージで表して観察する。呼吸困難が一番強く長引くので、とりあえず呼吸を止めず、浅く速くなっているからその逆を意識して大きくゆっくりするようにする。それくらいしかできないのだ。

フラッシュバックが起きた時点を100とするとまあまあ30を切ったりまた上がったりするくらいで強引に動けば動けるようだ。そこらで動かないと膠着状態が続くだけだ。

とんでもなく苦しくて激しくて消耗して、「今」は全部吹き飛んで消えてしまう。が、周りが見たってよくわからない。

そうしている内に、自分のパニック発作が2種類あることに気づいた。過去の記憶に「襲われた」時とそれ以外だ。

俺は自分が苦しんでいなければならない、と頭に刻み込まれている。苦痛がなければ自分は生存を許可もされず保証もされないと。
幼少期の、倒錯的な親からの扱いがその理由であろうことは疑うほうが不自然だ。子どもだから親から捨てられては死ぬ。が、母親が特にそうだったが、俺が何をしてもしなくても、できてもできなくても、全部気に食わなかったらしく、いつも激しく怒られていたか嘲笑されていた記憶しかない。

いつの間にか、酷い目に遭うこと=「罰」を常に受けることが、生きるための絶対条件になった。

子ども(4〜5歳の記憶である)だから自分の何が良くないのかなんだかわからない。「自分が悪い子だから怒られる」しか結論は出せなかったのだろう。だから「罰」だと感じるのだ。

罰がなくてもあってもつらいし本当に恐ろしい。
全肯定も全否定もされなければ苦しいしされても苦しい。

それが「病気」の形を取っていれば、俺はいつまでもどこまでも苦しんでいられるから「治らない」。

フラッシュバック由来でないパニック発作がずっとずっと毎日長時間続いて収まらないのはそういう理由だろう。


俺は本音ばかり言うし、自分のことしか考えてないし、本当に下衆でろくな人間とは言えないが、もう1人の「良い子」の自分からは逃れようがないから、どうあれ自分を裏切りようもない。そいつの性根をどうしようだとか考えているわけでもない。俺自身もずっとこんな奴かも知れないし、変わるかも知れないし、消えるのかも知れないし、共存して行くのかも知れないし、その辺はまるで予見できない。

ただ、今日と同じ明日が来るなんて耐えられない。ほんの少しだけでもマシな明日が来るように足掻いている。何回自殺を図ってもどうしても死なないので、もう生きてるからしょうがない、と思っている。

どうやら現時点では他に方法もなければ、これをできるのは俺しかいないようだから、ただやっている。