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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

減薬報告と色々混ざった。

減薬5日目である。(2017/04/26時点)

ずいぶんときつい症状が出ているのでネット上にはほぼ現れていないが、精神的にはさしたることもない。
薬を減らしたり断ったりして、「薬物が足りない状態になった」ために出る症状を離脱症状と言うが、これはどうせ待っていれば消えて行く。何より理由がわかっているなら不調と言っても慌てて不安がることもない。だから断薬自体を苦痛とは認識していない。むしろ楽しい。

(蛇足。禁断症状という言葉は完全に断った時に使う表現で、完全に断たずとも「不足」すれば症状が出ることから現在は離脱と言う。Wikipediaに詳しい)

どんな症状が出ているかというと(本当はもっと増えているがあまり断薬する人を脅しても何だし。グラグラの状態で書いたものなのでちょっと不正確でもある)、

「頭痛、悪心、胃痛、腹痛、強い眠気(1日続く)、めまい、耳鳴り、身体が動かせない、注意力散漫、思考力低下、緊張がとけない(頭が興奮してる感じで、座ったままだけど何かせずにいられない。眠気が凄いのに寝られない。夜遅めに疲れ果ててからやっと寝られる)→そのためか休んでいられない、すぐ体力が尽きる感じで考えたり目を開けてたり字を書いたりほんとに簡単なことができないです。
かなり長時間休んでやっと少し普通のことができますがすぐできなくなるし、何をするにもかなりしんどいです。入院してもいいと思い始めたくらいきついです。」
(減薬3日目に主治医に送ったFAXから一部転載)

主治医からすぐに返信が来た。これ。
f:id:shinovieshinovie:20170427154816j:image

いや、ちゃうねん。先生、ウチそういうつもりで書いたわけやあれへんねん。ええけど。

……苦しさのあまり、意図が伝わらない文章を送ってしまったのだ。(私からの全文は超長いので割愛)

今から思うと、私はこの状態が何なのか、もしかしたら離脱症状ではないかとやっと思いついたので、その特定ができるかということが聞きたかった。そして、この状態が何であるにせよ、支援機関とうまく行っていな過ぎるため「この状態では彼らに対応できないし、私が説明なんかできた状態でもなければしたって聞かないので先生から言って欲しい」ということが言いたかったのだが、頭が働か無さすぎてそこまで言葉が出なかった。(なお、支援関係者に主治医から説明なり行う段取りは既に組んである。それが来月半ばなので、今困った、と言いたかったのだった。嗚呼)

私は事前に離脱症状が起きる可能性を全く説明されていなかったし、
「リバウンド(断薬、減薬、治療中止などで病状が悪化すること。離脱症状と意味が同じかは調べたが見つけられなかった)を防ぐために少しずつです。(私がバカスカこの薬は減らせるか、あれはいらないのではないかと言いまくったので)少しずつ、急がないこと(笑)」
と念押しされていたので、何か症状が出るという予測をしていなかった。というか離脱症状とか失念してました。断薬にたどり着くまでの思索と模索と主治医に説明するまでの準備が必死すぎてそこまで頭回りませんでした。嗚呼
_| ̄|○

4月22日土曜日から減薬を開始したが、内容はFAXのように

リボトリール1mg→0.5mg
セパゾン4mg→2mg
柴朴湯→中止(これはあまり関係ないので切ることにした)

私は「え、これだけ?」と思ったくらいで、何か起きるとは思わなかったのだ。
先生、ひと言言っといてくれれば、その。ねえ。

ともあれ、意図せず主治医から激励のFAXを受信したのである。
思うに、こういう医者にかかっている人なんてほぼいないのだろう。

****
22日に診察に行ったが、私は開始早々「断薬することにした」といきなり告げた。誰かがやめろと言うんだけれどとか、やはり薬ない方がいいですよねとか、相談したのではない。もう決めたので断薬のために減薬する内容を話しましょうというわけだ。

主治医からは笑顔が返ってきた。
私は自分の考えを話したが、主治医が意見を挟んだりはせず、ほとんどニコニコして聞いていた。
プリントアウトした前回の記事も読んでもらった。

自分が自分のためだけに決めたから協力せいと言って嬉しがられるのは、それは私も嬉しい。が、やはり主治医には私が誰かを喜ばそうとか誰かの顔色をうかがって取った言動でもないし、そういう無理をしているわけではないことが即伝わったのだと思う。
****

日々しんどい中でどうするか、自分で様々なコントロールをする感覚と力がついていくのが楽しい。こんなことだったのか。症状はつらいが何も頑張るとか気合いとか、そういうものは特にいらない。ずっと原因不明の体調不良に悩まされて来たのだ。理由がわかっていて、消失までのおおよその期間も見当があるのだから基本的に大したことではない。たださすがにきつい時もあるので、少しサポートになってくれる人達はどうしても必要だ。気をまぎらしたいだけだが。

今の私は本当の寝たきりに近く、1日の間で「使い物」になる時間もエネルギーも短く少ない。が、もう納得して決めてしまったことであるためか、減らした薬を元の量にしたいとか、そんなことは全く念頭になかった。なので、主治医のFAXには笑ってしまった。(どんな顔で打っていただろうかということも目に浮かぶので……形容しがたい笑顔なんだけど)

もちろん、気持ちはメチャクチャに嬉しい。こんな主治医にずっとおんぶに抱っこで来たのだけど、「自分で歩くから下ろして下さい」と言い出した訳だ。いきなりはできないので、徐々に二人三脚になって行くことだろう。

薬をやめることにしたというのは、私にとってはそういう象徴というか、印のようなものだ。

相談という相談は結局せずに1週間くらい考え続けて(本当、その期間はいつでもどこでもずっと筆記具に書きまくって考えまくりだった)前の記事ができたのだけど、あれを書き上げてから感覚が変わって来たことがある。

私は過去の記憶がほとんどなく、極めて断片的に思い出すことがあってもそんなに実感も伴わないし、すぐに頭から消えてしまう。だからあまり詳細に昔の話ができない。それ自体は今も同じだが、過去の自分と今の私が繋がった感じがするのだ。

それと同時に、「感じること」ができるようになりつつあって、理屈だけで物を言うこと考えることが気持ち悪くなった。正確には「元の感受性を取り戻しつつある」だろう。いくら何でも昔からあそこまで不自然な状態だったのではない。理屈屋ではあったが程度が全然違う。

長いが経緯を書いてみる。読みやすく構成する余力がないので、面倒であれば飛ばしてもらってもいい。

この状態が狂っていたことについては、数年前のトラウマ体験が引鉄だと断定する。5年間、私は現実からどうしても逃避せねばならなかった。

もちろん下地には虐待体験があるし(※WHOでも正式に認められるのは今秋らしいが、「複雑性PTSD」という状態である。病名に頼るとろくなことがないので普段あまり使わないのだが、名前がないと意味が伝わらない場合もある。この場合は言った方が正確に伝わるだろう。これも詳しくはWikipedia、できれば英語版で読まれたい。Google翻訳で読んでも元が硬い文章なので割合正確に訳される)、発達障害の特徴も強くかなり偏りが大きいらしいのでそちらも色々と邪魔をした。

何よりこうもガッツリとPTSDになってしまっては私から何があったかなど言えたものではないし、勇気を出して明かした人達の反応で、これがどれだけすさまじい状態を起こすものなのか全く伝わらないしわかろうとしないことがわかって、私から話したりはおろか、人も世界も何も余計に、全く信じられなくなった。克服した人達もいたが、その人達は既に別の世界の住人であった。

私は結局誰からも怒られているか脅されている感じしかなかった。支援機関と全然噛み合わないのはこういう背景だろうし、私は直後に支援機関から2年間恫喝としか言えない行為を受けていたから(違法行為だったがもう時効のはずだ)、寝込んで当たり前だった。

「魂の殺人」とはよく使われる言葉なのだが、いくら陳腐に聞こえようとも私がされたのはそれでしかない。それは私から見れば世界中の「共犯」なのだ。

私は世界から分断「された」。自分が自己防衛のためにしたのではあるが、はじめから私が何も行動しなかったなんてことはない。あちこちに相談したりしてはいたし、自分でどうにかできないか調べまくって考えて、だけどうまく行かなかった。
これが私のせいだとはとても思えない。誰がどう言ったって、あの状態であれだけ動いて誰も助けてくれなかったら誰も信じられなくて当たり前だし、それも含めて自分でした試みが全部失敗したら、いくら私に故意の攻撃を加えて来た相手の目的を阻止し逃げ出すことに成功した所で、そんなこと大したことではなくなる。自分が悪いのだと、自分は否定されるべきゴミくずか何かだと感じるのは、今思うと当たり前に過ぎる。その後も「故意の攻撃」を別の人が引き継いでくれれば完璧だ。

エネルギーには限度がある。日本語に拒絶反応が出始め、身体が動かなくなり、色んな症状に見舞われ、自力で解決なり行う気力は尽きた。周りの誰もが敵の状態になり、SNSで外国の人としかほとんど話せなくなった。そこが私の仮の居場所になった。日本人と日本語で話すよりはマシだった。私はその「世界」で、それまでの私とは全く違う人間になっていった。英語力がさして高くもなかったことも幸いしたのだと思う。日本語では私はしっかりしたように見えるから、余計に信じてほしいことこそを信じてもらえないのだ。こんなに具合が悪いことすら。見ればわかるようなことまで全部信じてもらえないなら私が信じる力だって損なわれ続ける。

この状態がいつまでも保つわけがない。
3回致死量の大量服薬をしたが何故か死ななかった。
今は実際に死にそうな状態でやっと救助を求めたあと何時間も放置された経験があるためか、希死念慮が起きることはかなり稀になり、起きてもまた失敗したら後が本当にきついのでどうも踏み切るに至らない。

それでもそんな経験だけで生き続ける気になんかなるほど簡単なわけでもない。生きていることにそもそも理由なんかない。生きる気になる気持ちは元々作らなければ存在しない感覚なのだ。
通常はそれが作られる条件が大体揃うので生きようと思うだけだ。そうでなければ、生き続けるなんてとても大変なことを続ける気になんかなれない。

絶望しないにはそれなりの条件が必要なのだ。
が、普通、難しいことではない。単純に言うと、いいことがあれば七面倒臭いことはいったん忘れるようにできている。問題はいいこと、気分が紛れることを継続的に起こす必要があることだ。
内容は色々だが、身体的な体験がいいと思う。思考というのはどういう方向にも行ってしまい、私のような悪条件が重なっている人間だとろくなことを考えない習慣が強固についているので、ずーっと嫌なことが頭を支配する傾向になる。絶望するための回路ができている感じだ。

【ここからはおまけだが、辛いのが嫌なら、あまり不健全な体験で快感を得るのを使うのはやめておいた方がいいだろう。悪いことだからやめろというのではないし、無理にやめる気になっても文字通り無理だ。
不健全なことというのはある意味では不自然だから不健全と言われるだけだ。時代や文化でどれが不健全かは細かく変わるが、明らかに身体に毒だということがわかっていることよりも、単純に運動することとかが良い。

不健全と言われることをわざわざ使うのをやめておいた方がいいと思う理由のひとつは、面倒くさいことになるからだ。否定されて感情を害されたりして余計に依存したり、反論を考えることになったり、自分を責めたりする。ものすごく面倒だ。
同じ依存するなら自傷行為やセックスや薬物やギャンブルや煙草よりはマラソンやらヨガやらのスポーツ(何でも良い。格闘技など発散には良いし)とか軽作業やらの方がその意味で「面倒じゃない」のはわかるだろう。
(第一、脳内物質の出方や脳内がどう機能しているかが全然違うのだが、「面倒くさい」のでもうちょっと元気になってからにする)】

で、だ。
最後の方がいきなり何言ってるのかと思ったかも知れないが、こういうことが「感触」でわかってきたし、昔の私が考えたり感じたりしていたことを思い返せたので書いてみた。

わかってきたと言うのか思い出せたと言うのか微妙だが、過去の自分と接続し直し始めた感じがある以上、まともな変化が起きているのではあると思う。

―――――

このくらいで今回は切り上げる。今回はさらに全然読みやすくないし要が何だかぼやけてしまったが、8割方離脱症状のせいなのでもう諦めた。

―――――

ついでに、こういうものが無料で配布されている。偶然拾ったのだが、(症状がすごくなってからだからあまり読み込めないが)通称「アシュトンマニュアル」と呼ばれる、ベンゾジアゼピン薬をやめるためのマニュアルPDFで、114ページある。
http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf

薬や医療がどうこう言う話は、どうも剣呑というか喧嘩腰になりがちである。感情を煽るような押しつけがましい表現で物を言う人が何と多いことか。
だから私はそういう手合いの話にはウンザリして来たし、脅迫しているようにも見えるし、何故わざわざケンカになるようなことを言い合うのか理解できないでいる。内容がどうあれアレでは不毛だと思う。不愉快過ぎて減薬前からストレス性と見られる不調を来たしていて、そのためもあってほとんどネットに行けないのだ。

そこでである。

何故このマニュアルがこんなに長いかというと、薬をやめる人のあらゆる不安を取り除く試み、理性的で優しさに満たされた知識の解説、患者自身が「主人公」であることを丁寧に説き、無理を強いるような表現をしないで、挫けないように勇気づけ励ます試みで書かれた文章だからだ。冗長なのではない。

さらに少し古いマニュアルなので少々情報を検索したうちの一記事を付す。

アシュトンマニュアルに信憑性はある?多くの批判が集まる理由
http://xn--bfv610btf455cba.net

「さああなたもこれで断薬しよう!」と言いたいのではない。それはあなたが選ぶことで、私があなたの人生にそこまで口出しできるわけではない。
(そもそも今そこまで頭が回らない)

私が平気な理由のひとつがこのPDFの文章なのだが、長いしちゃんと読める状態でもない。それでも、「感じること」ができる温かみが確実にある。その私とこの著者の「感受性」について、元気になって行った時に、また書けると良いと思う。

 

あああ。本当眠い。