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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

薬とお別れして行く、という決断

断薬に舵を切ることにした。
週末の診察で主治医と話してくる。

私はそもそもあまり薬物療法が効果を上げていない。
主治医と私は精神科薬を時間稼ぎの道具と認識しており、いずれは薬をやめていくものと思っている。

が、私の場合は薬が効かないことが多すぎた。
それでも今まで生存できたのは、薬学も修めている主治医が本当に慎重に上手に、私の様子をチェックしつつ、薬物療法と現実的な助力を続けてくれたからであろう。

私自身にも何か力はあるかも知れないが、私はそれを認識できていない。

少し私の事情を話す。

私の実家では、私が主体性を持つことが絶対に許されなかった。私が何かしたがったり欲しがったりすると、母は全力で嘲笑した。父は必ず理由を求めた。ほんの子どもの私が大の大人を説得することが義務付けられたが、極めて客観的で高尚な理由でなければ聞く耳を持たれなかった。「面白そう」「やってみたい」では、嘲笑と黙殺か突然の意味不明な癇癪が返ってくるだけだった。

私が自分のために何かしたいとか、ただ楽しむことに罪悪を感じ、大義名分がなければ(主には他人の役に立つこと)生きている価値がないと感じるのはこれが原点だと確信している。わがままだの被害妄想だの出て行けだのはしょっちゅう言われたし、何度も放置されて死にかけたし、親が気に入ることをし、幸福を演じることが25歳で実家を出るまで私の義務だった。

転機になりかけたのが大学に行ったことだった。

大学に行くこと、志望校、志望学部学科をきめ、浪人中の予備校探しをし、大学生活を途中まででも送った時期は、私のここまでの人生でただ一時期だけ、私の意思で私が動いて成し遂げた成功体験を象徴する期間である。
その頃の私は病んではいたが、「したいことをして楽しく過ごす」ことをしていた。成績は、高校までだと「よくわからないのに良好」だったが、大学では自分の手応え通りの結果が出た(私は予備校までは勉強の仕方も勉強というものが何だかも理解できなかった)のでのめり込めた。
それまで全くできなかった友人ができ、周り中が私に負けず劣らず変人だったし、好きにしても誰もとがめず、いくらでも活発に動いた。寛容さ寛大さがいかに大事かよくわかる。
有名大学だから就職が安泰とかいう意味ではなく、将来を楽観していた。すぐそばに自分とよく似た特徴を持つ友人がおり、学生のうちから起業して生活していた。彼は今思えばアスペルガーとしか思えないが、私も何か手に職を持つことで生計を立てる気になったお手本だった。彼も私も上手く雇用されて働くことができなかったが、なら自分ができることで稼ぐのが自然の流れだと普通に思っていたのだ。

それでも色々と邪魔が入って今に至る。

私の問題点はいくつかある。現実を認識できていなかったこと。自分の成功体験を実感できなかったこと。そのため、人生の支えになる満足感という大事な感覚が養われなかったこと。そのせいでずっと空虚感があること。それを自分が満たせるとは思っていないままだったこと。だから、他人に満たしてもらう感覚でいたこと。その空虚感が満たされない限り生きていける気がせずにいること。

他人に満たしてもらうというのは、私が自分を顧みず大事にせずに、人にとって価値ある存在であろうとすることを含む。それが主たる要素なのかも知れないが、つまり、他人に自分の存在価値を認めてもらって初めて自分が存在しても良いと思う感覚だ。これは親に仕込まれた通りの生き方である。要するに親の代わりに承認欲求を満たしてくれる人をずっと求め続けているのだ。

これは全く主体性を欠く感覚だ。純粋に自分の意思で自分のために行動して成功体験をして来れば満足とか達成感とか誇りとか自信というものを積み上げて来れただろうし、それは楽しいだろうし、くじけても踏み出せる希望の力になるだろう。

大学に限らず、いくつも成功体験の類いは経験したはずで、部分的には記憶がある。が、上記のような感覚にはならなかった。

妨害要素は数点あるが、周囲を見たり話したりするに、そういうものがあっても、生きて来てしまえばだんだんと前向きとか何とかしようとか、またはどうにかなるとかいう感覚になって行くことがどうも自然の流れのようだ。かなりの悲惨な体験があってもだ。

私の場合、主体性を育てることができなかったのが原因ではないかと思われる。

その原因を引き起こしたもののひとつが、薬だと考えるに至った。

述べたように、私は薬がろくに効かない。が、ある程度の状態にすることまでは可能だ。だから死ななかったのだが、実は自殺未遂は相当繰り返している。それで死ななかったのは「偶然」でしかないそうだ。

物心つく頃には死を理解しており、私は人生通して希死念慮がない時期がなかった。実家の環境から、私は基本的に絶望したまま生きていた。
通院開始は浪人中の18歳で、まだ実家にいた。そして私にとって投薬は最低限死なない程度の効果をもたらすに留まった。が、それだけに、服薬をやめることができなかった。死んでしまっては元も子もないからだ。

薬を時間稼ぎのものと考えていたが、それは薬効があって、成功体験を積むうちにいつの間にか薬を必要としなくなるという感覚だった。自分には大きな効果は出ていないが、何とか薬で精神状態などをコントロールしていた。これは薬効と言うには満たない水準でだ。

薬があって初めて成功体験がある、という状態だ。

薬がどれほど重要なのか考えてしまう事例がある。

数年前、私は10年以上続いたパニック障害を考えることで治した。症状が出る理由を考えて理解したら、消えたのだ。以来その時用の頓服薬はほとんどお守りと化して、滅多なことでは飲まなくなった。

今も過呼吸くらいは起きることがあるが、薬を飲むことは非常に珍しくなった。

更にこの話は私が何かおかしいと思われる内容にもなる。

この克服は普通の患者などにとっては大したことらしく驚かれるのだが、私はほとんど達成感とか自信とかいうものを感じていない。

そんなことは私にとって力や支えにならなかった。達成したのに、成功したのに。それが悲しくて絶望感を覚えることはあるというのに。

絶望までするようになったのは最近だが、このように、絶望までする理由がないことで希死念慮まで出る。確かに今の状況はキツいし、疲れのためかと思っていたが、大まかに見れば私の人生は好転し始めているし、この精神状態になることがあまりに頻繁すぎる。

薬でコントロールしているということは、自力ではないということを思った。
元々主体性、自分の意思がないところへ、ギリギリ死なないように薬で精神状態をコントロールして来た。無理矢理なのだ。私の手柄じゃないのだから私が成功した感覚なんかない。自分でどうこうしようとして頑張ってできたのでもない。これで何か気分よくなるだろうか?なるわけがない。
人生で1回だけ本当に満足したことがあるが、自分がやりたくて自分でやり切ったからだろう。大変強烈な体験で、あれが断続的にでもあれば、絶望する意味がわからないだろう。薬だってとっくに卒業しているはずだ。

そして私の処方は多種多剤である。ずいぶん減ったが、まだ多い。
これが脳にずっと影響していることは間違いないことで、ギリギリ死なない程度の効果なら、もういらないのではないか。さして効いていないのだから、ないほうがいいに決まっている。上に書いたようなことが実際にそうなら、主体性が育つのにも邪魔だし、それでは満足感を覚えることは難しく、だったらもう実家ではないここでも希死念慮に悩み続けることは別に突飛なことではない。

自分以外に検証材料がないから、ここまでにずいぶん時間や思考力を費やした。他の人の服薬がどうとか言えるほどの情報はない。

私は薬に向かないタイプだったのだ。でも、周りに誰もいなかった。いたのかも知れないが、ほとんど去って行った。残っている人には「私が欲しい優しさ」はない。誰が悪いとかいう話はあまり意味をなさないが、はっきり私を害した人間だけに、私だけは激怒していいはずだ。それはいつまでも恨むためではなく、自分のこれからのためだ。

ただそれだけだった。

――――

読みにくい文章だったことと思います。自分で整理するために数日かけて考えたのですが、まだ仮説に過ぎません。また、21〜22年間、薬に依存して来た状態だと言えますから、現状の環境があまり良いものではない今、正直に言えば薬をはっきりやめていく(まずは減らすわけですが)ことに懸念や不安がないと言えば嘘になります。

ただ、現実の世界での友達に言われました。
「そうやって生きて来なきゃならなかった状態で断薬って本当の『決断』だよね。できたらすごいことじゃん!きっとすごい自信になるよね!」

蛇足的に見えるかも知れない私の家庭事情と人生の話も書いたのは、私にとって薬をやめようという結論を出したことの重さや意味をきちんと確認したかったからです。

事情(ここに書いていないことも)をほぼすべて知った上で何の批判も否定もせずストレートに優しい言葉をくれて力になってくれている友達に感謝しています。

私には、そういう経験がほぼありませんから。

あっても、ほとんどの人と上手くやって行けず、去って行きました。繰り返しになりますが、私が自分を責めても意味がありません。過ぎてしまったことだし、誰が悪いとかいう話をしても仕方ないからです。

たった数人のために私の人生は40歳の今も確実に滅茶苦茶です。それは、私の中でケリをつけるまでは、許す気にはなれないのです。そのための取り組みのひとつが、薬に頼ることをやめていくことなのです。