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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

2016/12/23 11:33 結婚とかについて考えた。

私が結婚を選ばなかったのは、多分間違いではなかったと思う。

これまでは。

ろくな家庭や夫婦を見たことがなかったので、私みたいな育ちをした人達が結婚するのが理解できなかった。

実際に何故したのか聞いてみるとやっぱりよくわからない返答が多かったが、1人、「実家から逃げたかったからだと思う」と言った人がいた。

それなら全然わからないとは言えないけれども、私がずーっとわからないで来たのは、自分がまともな育ち方をしていないのに、皆が口を揃えて「だから自分は幸福な家庭を築くんだ。子どもにはつらい思いは絶対させない」と言うことだった。

私はごく幼い時に、自分の両親がそれと全く同じ思考過程から結婚して私達子どもを生み育てているのが理解できていたから、自分がそんなことうかつにする訳に行かないと思っていた。何故知らないことができると思うのだろう?子どもに対して責任感が軽すぎないか?―誰の話を聞いてもそうとしか思えなかった。

私が接したパートナーやその候補になりかけた人達は全員が子どもを欲しがった。私ははっきり言うと死んでも嫌だった。どうしても自分がまともに子どもを育てるなんてできるとは思えなかったし、そんな賭けをするのが嫌だった。子どもは私達の玩具でも所有物でも、クジでもない。

その話をきちんとできる関係さえ築くことができなかったのだから、結婚なんてできる関係にもならなかった。する気も起きたことはない。

その、過去の選択自体を悔いてはいない。予想通りになっただろうと、色々あった今は余計思うので。

ただ、今はこれで良いんだろうか、と思う。

よく考えたら、これは私の選択じゃないんじゃないだろうか。私は好きで独りなのではない。本当は、機会があれば、独りでなんかいたくなかった。上手く行かなかったから、そして、そこまで誰かを信じるなんて、怖くてできなかったから、それだけじゃないのか。

70や80歳で言葉も通じない同士で結婚する人達もいるくらいだから、そんなに辛く思わなくても良いのかも知れないけれど。

何がつらいのかやっとわかった。これは私が本当に自分で選んだことじゃなく、仕方ないからそう思っていたのだ。だからこれは悲しいとか寂しいとか言うよりは、やっぱり悔し涙なのかも知れない。
 
(以上、facebookに投稿した内容をそのまま転載)
 
ーーーーー
 
転載だけして終えようと思ったが、何故こういう話になったかなど書き足すことにした。
 
少し前に友人がSNSで発言していた内容を思い出して、なぜだかはっきりとはわからないが涙が止まらなくて困ったので、言葉にしてみたのが上記の文章である。
 
私はこうやって書き出すとある程度何なのかわかったり整理がついていくことが割合多い。それでも色々と難航している方だ。
 
その「難航している」ことや前の記事で「自分がどうしたいか考えたことがなかった」ことを話していた後に、友人の発言があった。
 
精神疾患の人が薬をやめていくことを難しいと感じていることに違和感を覚えたがそれがどういうことか、という話だった。私はそれを引用して文章をくっつけたのだが、正直、核心に触れることができなかった。書かなくても別にいいことがほとんどで、本当に触れるべきだったのは上記の内容になる。
 
SNSというのは「フロー(流れ)」なので、その場でアクションしないと消えていってしまうのが不便に思うことだ。私がシェアしたのは考えたくて「ストック」したかったからだった、という面が大きい。大体が何かを理解できるなんてものすごく時間がかかることなのだと思う。そしてできるのはある程度までだろう。
 
ここにまでその発言を引用するのがまだつらいので、それはしないでおく。
 
あまり心情とか感情とかいうものに焦点をあてたものの言い方をしない人なので異様に印象が強かった。というか、読んだ瞬間から泣くのをこらえていた。最初は悲しかっただけのように思う。いきなり核心に触れられる訳がなかった。私にとって、とても大きな苦痛に直結することだからだ。今このことを書くためにもう一度読んだが、やはり私にとってはきつい。恐らく、同じような境遇にいて、その自覚がある人にはやはりきついだろうと思う。自覚できている人はあまりいないという論調だったけど、そうだろうなと思う。そういう人は受け止め方が違うはずだ。ほんのちょっと前の私のように「嫌なことを言うな」とか思うんじゃないかと思う。
 
引用なしで話していてもなんだか伝わらないだろうけれど、私にも耐えられる限度がある。
 
それでも、何十年も避けて通ってきたことが数日でこうして言葉に直せただけでも結構なことだろう。結構、というのは「良かった」とかいうことじゃない。そりゃ良いか悪いかで言えば良いことだろうが、そうじゃなく、自分が以前とは随分変わったかな、ということだ。もっと言うとここまで来るまででもものすごく大変だったのだ、本音を言うと。それでもまだかなり課題が残ってる。本当に1人でこんなことしているんだったらとっくにめげていそうなくらいには。
 
今自分がどの地点にいるのかというのは、実はあまり掴んでいない。ーー恐らく精神疾患発達障害などで悩んでいる人って、こういう感じなんだろうと思う。今自分がどこにいるのかわからない。つかめるものだとも考えていない。そもそも、そんなに変われるものだとも変えられるものだとも思っていない。と言ったのはおおむね友人なのだが、本当にそうだなと思う。数か月前までは私もそう信じ込んでいた。そして英語に切り替えてネットで世界を見ると、世界中の人がそう信じ込んでいる。それは、とても残念なことだし、自分達で自分達の首を絞めることにもなっているのだけれど。
 
余談なのだけど、それで気になっていることがある。
「この世はゲットーだ」とかいう歌詞が何かの歌にあったのだが洋楽を訳したものなので原曲がわからない。ゲットーというのは中世及び第二次世界大戦の時にヨーロッパでユダヤ人が強制的に居住させられた地区のことだが、こうして比喩にもよく使われる。要は地獄だの何だのと言いたいわけだけど、そう言って放り投げてしまうのはやっぱりあんまり良いことじゃないなと思う。実は元々ロックはそんな歌詞が多いらしい。今もそうなのかは知らないが(私は英語がそんなにはできるわけじゃないので)、そういうのはいっとき憂さ晴らしにシャウトする程度にしておきたい。もちろんそういう発想とかがあるのは当たり前で、それを思うなとか、不健全は絶対いけませんとかそういうことを言うわけじゃないのだけれど(私だって相当に不健全な「カルチャー」は好きだし、そういうのが全くない世界なんてのもあり得ないのだから)、それにあまり傾倒するのはまずいよ、と言いたいのだ。
 
だって、そう思っていたら、つまり「世界が地獄だ」とか思っていたら、その人の世界はそうなってしまうから。言葉と心ってそういうものだ。