NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

2016/12/02 8:09 父の誕生日

さっさと抜けて普通にすべきことやしたいことやなんかに移りたい。発作症状がいつまでもおさまらない。
 
おさまらないままでも他のことができるなら良いのだが、そう軽くない。
 
何度も思い出し直しているのはわざとじゃない。どうやれば良いのかまだわからないのだ。だからなのか落ち着きかけるのだが不意に何かのきっかけで元々起きかけた理由やらを思い出す。
 
父親とひとことのメールをやり取りしただけだ。たったひとことずつ。
 
それで何を思い出した訳でもない。が、少し間をおいてから呼吸困難やら震えやらが始まったし、明らかに激しく動揺していた。
 
よほど恐ろしいのだろうと思うが、とにかく具体的な記憶が出ている訳ではないのだ。
 
私のバロメータとして、これ以上はダメだという時、日本語で例えばTwitterなど書いたりできなくなる。大した英語ができる訳ではないが他に一応でも思考できるレベルの言語はないから仕方なく使う。
 
理由はまだわからないが2012年からこうだ。だからその頃のネットではほとんど英語か、少々のドイツ語が97%くらい。
 
 
今も苦しくなり過ぎたら中断するけれども、以前のパニック障害が順を追って考えたら消えたことを思うと他に方法が浮かばないのだ。
 
3時半から6時近くまでドイツ人の友達をチャットに付き合わせたが、今回が特別なのは私が勝手に1人で何か思い出したからではなく、当の本人とやり取りしたからだろう、「とりあえず大丈夫」になれない。身体が動かせないから思考に戻る。
 
こんなものを続けていたくない。
 
 
最近、追い詰められて書いた記事で、いくばくかの人が私の事情を新たに知って声をかけてくれた。
 
それでもこういう時に助けを求めるのにもの凄く勇気が要るのは、普通のことだろうか。
 
画像で私が言っているのがそれで、「こっちから声をかけろ。待っていても誰も来はしない」「誰も私を痛めつけたいなどと思ってはいない。それはもう済んだことだ」わざわざ言い聞かせて話しかけにやっと行けたのだ。
 
 
今日だって用がある。何か食べたい。眠りたい。
 
大体数カ月くらいから1年くらいかなと何となく思う。「いったん、この程度なら」という区切りがつくのは。根拠はあまりない。敢えて言えば経験値からだが、自信がある訳でもない。どちらかと言うと長引かせたくないから線引きをしてみたのだ。そこで「もう済んだ」という状態まで行くとも、あまり思ってはいない。行くかも知れないが、そんなに簡単に行くほどの話でもないだろう。
 
必ず邪魔も入る。
 
味方と言える人たちがいることがまだ救いだ。
 
 
自分で日々変化していると感じるのが、今は普通に生きたいと思っていることだ。ちょっと信じられ無いが実際こうも生に執着しているとは思わなかった。
 
 
こんなふざけた理由で死んでなどやらない。
 

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