過呼吸と怒り
今起きている不調は、いつも起きる、変化の後の反動的なものだろう
この記事はあまり正確だったとは言えない部分があるのだが、心理的な変化が起きたことには間違いはない
どの程度の変化かと言ったら、そんなに凄まじく変わったわけでもない
それでももう元に戻るとはあまり思えない
絶望そのものは取り消し不可能だし、今の苦しい症状が消えたら定着に向かう性質のものだと思う
一昨日、あることが自分に起きて少しダメージを受けたが、そのままであればただおさまるものだった
考えはするが、感情は少しの時間が経てばどうというほどのこともなくなる
以前なら怒りを覚えたことだが、今は傍観できる
それがたまたま同じタイミングで友人の身に起きたことで、どうも感情が動くことになった
怒り、である
私は30歳を超えるまでまともに怒ったことがなかったが、抑えていたぶん、かなり血の気が多い性格に変わったかのような状態でこの10年ほど生きて来た。そのため、怒るようなことがあると簡単に激怒してしまうほどだった
感情を抑えなければ生きられなかった人が初めに覚えるのが怒りであるが、おおかたの人は他の感情も覚えて行き、バランスを取るようになる
そのうち怒りも日常的なものではなくなって行く
私はいつまでも怒りを手放すことができなかったうえにさらに怒りを維持しなければならない経験が重なったし、簡単に人に言える話でもないため、全部ため込んで行った
それを手放し始めたのが、私が絶望と呼んでいる状態だと思う
別段何も考えていなかったが、これまでの経験上、ほぼ必ず反動とかゆり戻しが起きる
これは私に限ったことではないのだが、どうやら程度や内容が尋常ではないらしい
怒りから始まったが、それに誘発されて、酷い情緒不安定の状態に陥っているのが今である
連動してか、今、ほぼすべての苦痛な記憶がよみがえっているので、反応として過呼吸発作が起きていた
ここまで書いている間に呼吸困難はずいぶんましになったが、体調は悪いし、不安定さがそう良くなったでもないと思うので、SNSなど人がいる所から離れた(何しろ週末だし、時差もあるので人がいなくなることがあまりないのだ)
眠れるものではないし、ただ書くしか能もないから書いている
あまり文句を言う気にもならない
ただ文が拙いな、と思っているが、これを書く直接のきっかけがとある自閉症児の子育てブログ記事を読んだことであるあたり、やはりその部分は変わっていない
それ自体が今はどうでもよく感じられてはいるけれど、手間がかかりすぎだし、何も友人の役に立つわけでもないし、私は恐らくまた怒り始めている
友人を心配するのは良いかも知れないが、自分のこととまぜこぜではしょうがない
反動が落ち着くのを待つくらいしか、私にはできることがない