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NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

「子どもが病気の時 3」

過去の話-実家

私は新体操などやっていた。これにも面倒な話がついてくるが、病気になったりケガをしたりして、今思えば何らかの処置が必要だったり、大人の目から見たら無理にも休ませるべき場面が相当あった。

「好きでやってることで文句を言うな」

新体操も学校も、あからさまに具合が悪いから「まずい」と思って体調を伝えていたつもりだったが、「サボりたいのか」と怒られた。これは仕事でも続いた。

私の体調は幼い頃からメチャクチャだったと思うが、その重さを考えると「この人たちは私が死んでも構わないんだ」と怯えが定着する扱いを受けていた。寝込むことをした経験があまりないが、本来安静にさせておくべき体調でも元気にふるまい、家の用事をこなさなければならない。

普通のことだと思われるかも知れないのだが、そこに「殺される」恐怖はあっただろうか……。何も教えられたことがないのに、自分で対処が身につくのだろうか?40度の発熱時によろけたら叱り飛ばされるものなのだろうか?

そしてこういうことを思い出すと身体が硬直して吐き気や恐怖感がよみがえって考える力がなくなり、首を絞められる感じになって、訳もなく謝り、「どうか好きにしてください、お願いです、殺さないで、いたぶらないで下さい。殺すのならすぐにして下さい」………という気持ちになるものなのだろうか。

それでも人を見るとどうにか自分で生きようとしている。
私には意味も理由も動機もわからない。私が死を恐れるのは苦しくて怖いのに何もできない状態を経験しているからだと思う。生きる理由はそのくらいしか思いつかない。

私はただ、甘ったれているのだろうか……。
わからない。何も含みはない、恐怖の反動以外で、何故生きようという気になるのか、本当にわからないのだ。