NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

現状を受け入れる

減薬2週目半ば。
 
どうも昨日、フラッシュバックか、それに類するものを起こしたらしい。
 
自分の過去記事を読んだら酷い身体症状がドカッと出た。「毒気にあてられた」とか言うが、そういう感覚だった。
 
私はフラッシュバックというものを起こしたことはないらしい。記憶が鮮明に蘇ることはほぼないし、カウンセラーの見立てでは「思い出した、というレベル」。それが正しいかどうか、その時の記憶も曖昧なのでわからない。
 
昨日読み返したのは、過去の酷い記憶について書いた記事ではない。だが強烈に嫌な気持ちを吐き出したものだった。ついでにいうと、非常に読みにくかった。文章が下手すぎるという意味だ。だから余計に負担だった。
 
実際に吐くかと思った。呼吸も苦しくなったし、動悸も酷くなったし、あちこち痛くなった。慌て気味に使っているSNSのひとつに行って記事を書いている内に整理ができたようで症状は軽減した。が、相当に疲れたようで、その後、身体に力が入らなくなる症状が出たりした。
 
自分の書いたものを読み返してそういう状態になったことはなかった。勢いで書いた記事なのでメチャクチャな感じだが、SNSに書いた記事を引く。
 
 
自分で読んで本当に気分悪くなった。何書いてんだ。そしてひっどい文章。読みにくいったらない。今年の1月のとかでこの始末か。

なんかビックリした。確かに吐き出すためのブログだけど、今みたく敏感になってると毒気にあてられる。なんで4人も読者いるの、っていうかアクセスが1,000超えてるって皆様何読んでるんですか。

スゲエ。自分の過去記事で吐きそうだし凄い頭痛する。

そもそも書くにあたって自分で読み返す気はなかったんだけど、「自分が」超ストレスに感じたことをメインに書いてるんだから具合悪くもなるか。これまでならなかったのが異常だよね。

今が正常なんだろうけど、はあ……。ああ、いくらか落ち着いて来た。

記憶がもっとちゃんと戻って来たらハッキリとフラッシュバックとかいうヤツ起きたりするんだろか。今もしかしてソレ?なのか?

そうなのかも。わからんけど。

わからんけど、今のが正常だってことがいくらか救いだ。前に私の記事読んで気分悪くなった人いたんだけど、どうやら書いたことについては感謝されたようなんだよね。

だから不快なことも自分が書けるだけは全力で書くんですよ。私自身は私のために書いてるんだけど、受け取って安心とかする人がいるんですよね。私も、他の人が虐待受けたことについて書いてるブログ見つけたり、そういうことがあって前向きに生きようとして奮闘してる仲間が今一応ネット通していることはいることに力をもらってるんで。

しんどいけどね。でも、手記や自伝ってよくあるでしょ。本人は自分の気持ちや記憶の整理のために書くんだけど、わざわざお金出して読む人がいる訳です。誰かには不快でも誰かには救いだったりする。

それやってるんです、私は。
 
 
無理矢理まとめている感じだが、どうにもこういう風に持って行かないと収拾がつかなかった。
 
私に起きている様々の激しい現象を離脱症状とは言っているが、これは負担や疲労やストレスに対する当たり前の反応なのだということに気づかざるを得ない。
 
薬で抑えていたのだから、薬が減れば出るに決まっている。薬の成分が定期的に身体に入って来て「安定を保っていた」訳で、簡単に言うと減れば脳だか身体がビックリして不安定にもなる。また、何の知識もないが、薬の作用で脳に何か影響があって具合が悪くなっているとしても驚くに値しない。ただ減ったというだけでこんなに凄まじい症状が出るものなんだろうか。しつこくリンクを張っているアシュトンマニュアル(ベンゾジアゼピン薬をやめる手引書) http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf に色々書いてあるようなのだが、今私はほとんど文章が読めないので読んでいない。ほかにも資料はあるだろうがとても読めないので、ほとんど体感と憶測で言っていることは理解いただきたい。
 
ともあれ、「今が正常だ」ということを思うと症状が軽くなる。非常にわかりやすい。現状を認めて受け入れていると、自分とバトルをしなくて良い。何とかしようとして無理をするとどんどん具合は悪くなる。
 
記事を見て嫌な気持ちを思い出し、「フラッシュバック」が起きたのであれば、現実から逃げなければならず、記憶ができず思い出せない状態や現実を感じることを拒絶していた状態から、正常に近づいたと私は思ったのだ。私は当然正常になりたいのだから、受け入れられる。――今のところは。
 
今週はもう木曜日だが、月曜からずっと身体がキツい。主治医の見立て通りぴったり7日で最初に起きる激しい症状はいったん軽くなった。が、なまじ半端に軽くなったために、私は戦い出してしまった。症状が出ないためには、とか、気を紛らわすにはとか、外出しなければとか、誰かから助けを得るにはとか、今の私が支援と折り合えずにいることをどうにかしなければとか、現状をコントロールすることばかりに気持ちと行動が行ってしまった。試行錯誤をしていることは良いのだろうが、「負担にならないため」の工夫で余計負担になるようにしていた。ここに列挙しただけで自分でも酷いなと思う。こんなにあれもこれもできるわけがないじゃないか。
 
現状を受け入れられないというのは、自分を受け入れられないということだ。弱い自分、後ろ向きな自分、依存する自分を、私は受け入れられないでいる。もう自分を受容せずに罰する親はここにいないのに、今の環境はまるで実家にいるのと同じ状態だ。
 
せめて自分くらいは自分の本当の味方でいる方が、結局は幸福とか楽しさになるんだろうというのは、やっぱり身体が気づいて教えてくれているのだ。もっと自分に優しくて良いんじゃないのか。無理して褒めてもらったって何も続きはしない。身体が教えてくる速度と、何が自分には良くて何が毒なのかに、無理せずに従う方が得策だろう。
 
と、これから何度も気づき直すのだろうか。
 
「何とかなる」という感覚がない。いつも「何とかしなければ」だ。これまで生きて来れたのだから、何とかなるんだろうと思っていればいいんだろうね。
 
そうなれたら、ラクなんだろうな。
 
今は何もできないのだから、それを受け入れて淡々とできる最低限のことだけして、あとは寝てでもいれば。もう自分で自分をいじめるの、やめないか。

離脱症状について(手元の日記より)

※本当に日記を写しただけです。
 
記録なんかしていると症状が悪化するのはわかったが(言葉を扱うから)、現状で人的な心理的サポートがほとんどないに等しいため、自分がどういう経過を辿ったか一目瞭然にしておき、苦しくなった時にどう対処するのが良いかわかるようにしておく必要がある。
 
特に最初期が最も苦しい症状を呈するということのようだが、それすら私にははっきりしたことが不明である。
 
自助グループもなければ何らかの有効なホットライン的繋がりもない。知識がある人や同時に経験中で分かち合える人といつでも連絡できる、話せる状態でもないので(いつでも、というのは難しいにしても、通常想定し得る知り合い、友人のネットワークすらないのでは困るというのが正直な所である。そして知識があってもそのようなサポートに回ってくれる人はいない)、記憶があまりできない私は「少しであっても前の状態が」どうだったか記しておいて「現状」と比較するしかない。
 
記録があまり読み返せるわけでもないが、漫然と過ごせば意識しないから、ただ不安感や辛さが増すように感じる。書くこと、言語化しておくことが、これまでの経験上では理解や記憶、整理をするのには最も有効であった。
 
対処法が身につくか、サポートがあるか、症状の軽減があれば(症状の軽減についてはあまりわかることがないが)、記録は不要かも知れない。現状では例えばアシュトンマニュアル http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf を読むことも困難だ。そのマニュアルにさえ、サポーターの必要性がかなり強調して書かれているくらいだ。この孤独を意識してしまうとやはり参ってしまいそうにはなる。
 
その意味では工夫が必要だし、今のところ、強がりの部分は本当は大きい。自分に平気なフリをすることがどうなのかと言えば、これまで良い結果があったためしはない。が、他にできることはどうもないのが現状だ。仕方ないから、ウソではない範囲のポジティブな気持ちや発見などと、ただの記録をする。記録は負担だが「役に立つ」からしているのだという意識が支えになっている。実際、客観的記録はこれまでの数か月で効果があることが証明済みだ。あとでブログにするのも、今リアルタイムで記録しておけば、記憶だけを頼りにする時の苦痛は軽減する。ブログであれ何であれ、書いて誰かに見てもらうことは意味があると確信している。
 
同時に今さんの本を読み出したのは良いタイミングだったと思う。
 

 

生きちゃってるし、死なないし―リストカット&オーバードーズ依存症

生きちゃってるし、死なないし―リストカット&オーバードーズ依存症

 

 

「死ぬ自由」という名の救い----ネット心中と精神科医

「死ぬ自由」という名の救い----ネット心中と精神科医

 

 

遺失していたが買い直して良かった。昔の私ではあまり響かなかっただろう。特にこの数年は無理だったと思う。今だって読むこと自体はすごく大変だが、あまり考え過ぎずに感じ取るように読んでいる。
 
大体、本を1回で理解すること自体がそもそも無理なのだ。英語の読解でも日本語(国語)でも、最初の1文で引っかかってないで読み進めるのはセオリーだ(趣旨や結論を書いてから解説するのだから当たり前だ)。読むうちに先に読んだことが消えるから戻らざるを得ないが、あまりやり過ぎずにとりあえず読み進める。概ねブロックごとには読んでいるが、本の頭から順番には読んでいられない。恐らくこれは1回では理解や記憶ができないからだろうし、「今読みたい箇所」があるからだ。
 
こういう感覚も忘れていた。
 
今はただ言葉を考えることだけでも殊の外負担だから、書くより読む方が症状が出にくい。精読していないわけだができるわけがないし、試みたら吐きそうになったから(内容のせいではない 笑)、ダラダラ何度も読む。
 
昨夜も症状が強くて眠れないので読んでいたが、かなり笑ってしまった。普通、笑うところかかなり疑問な箇所ばかりだ。私は色々な経験者であり、マジメにも考察できるが、「痛い所をつかれた」というような箇所が別に痛くないのだ。面倒なので引用しないが、誰も否定もせず押しつけもしない書き方もあると思うし、まあその点は私にも変化はあるのだろう。本当、これ笑い飛ばす本なんだろうか。帯には「笑い飛ばし」ってあるけど。
 
眠れそうになったのは午前2時頃だったが、ほとんどの症状がない状態になっていたし、どうしても食べられなかった食事もさっさととれて、それで気分が悪くなることもなかった(他の時間帯だと吐き気が出る)。
 
症状としての眠気とは違うと思う。深夜しか「正常」にならないのは昔からだが、本当、それで何がいけないんだろう。昼間なんか緊張度が上がってろくなことにならない。今など強烈な眠気と過剰な緊張が同時に起きるから(何だかそういう症状の出方をするらしい)深夜2時から眠るまでだけが比較的ラク。
 
というわけで、何もオチはない。顔の神経痛とかたまらんのでいい加減やめよう。

減薬報告と色々混ざった。

減薬5日目である。(2017/04/26時点)

ずいぶんときつい症状が出ているのでネット上にはほぼ現れていないが、精神的にはさしたることもない。
薬を減らしたり断ったりして、「薬物が足りない状態になった」ために出る症状を離脱症状と言うが、これはどうせ待っていれば消えて行く。何より理由がわかっているなら不調と言っても慌てて不安がることもない。だから断薬自体を苦痛とは認識していない。むしろ楽しい。

(蛇足。禁断症状という言葉は完全に断った時に使う表現で、完全に断たずとも「不足」すれば症状が出ることから現在は離脱と言う。Wikipediaに詳しい)

どんな症状が出ているかというと(本当はもっと増えているがあまり断薬する人を脅しても何だし。グラグラの状態で書いたものなのでちょっと不正確でもある)、

「頭痛、悪心、胃痛、腹痛、強い眠気(1日続く)、めまい、耳鳴り、身体が動かせない、注意力散漫、思考力低下、緊張がとけない(頭が興奮してる感じで、座ったままだけど何かせずにいられない。眠気が凄いのに寝られない。夜遅めに疲れ果ててからやっと寝られる)→そのためか休んでいられない、すぐ体力が尽きる感じで考えたり目を開けてたり字を書いたりほんとに簡単なことができないです。
かなり長時間休んでやっと少し普通のことができますがすぐできなくなるし、何をするにもかなりしんどいです。入院してもいいと思い始めたくらいきついです。」
(減薬3日目に主治医に送ったFAXから一部転載)

主治医からすぐに返信が来た。これ。
f:id:shinovieshinovie:20170427154816j:image

いや、ちゃうねん。先生、ウチそういうつもりで書いたわけやあれへんねん。ええけど。

……苦しさのあまり、意図が伝わらない文章を送ってしまったのだ。(私からの全文は超長いので割愛)

今から思うと、私はこの状態が何なのか、もしかしたら離脱症状ではないかとやっと思いついたので、その特定ができるかということが聞きたかった。そして、この状態が何であるにせよ、支援機関とうまく行っていな過ぎるため「この状態では彼らに対応できないし、私が説明なんかできた状態でもなければしたって聞かないので先生から言って欲しい」ということが言いたかったのだが、頭が働か無さすぎてそこまで言葉が出なかった。(なお、支援関係者に主治医から説明なり行う段取りは既に組んである。それが来月半ばなので、今困った、と言いたかったのだった。嗚呼)

私は事前に離脱症状が起きる可能性を全く説明されていなかったし、
「リバウンド(断薬、減薬、治療中止などで病状が悪化すること。離脱症状と意味が同じかは調べたが見つけられなかった)を防ぐために少しずつです。(私がバカスカこの薬は減らせるか、あれはいらないのではないかと言いまくったので)少しずつ、急がないこと(笑)」
と念押しされていたので、何か症状が出るという予測をしていなかった。というか離脱症状とか失念してました。断薬にたどり着くまでの思索と模索と主治医に説明するまでの準備が必死すぎてそこまで頭回りませんでした。嗚呼
_| ̄|○

4月22日土曜日から減薬を開始したが、内容はFAXのように

リボトリール1mg→0.5mg
セパゾン4mg→2mg
柴朴湯→中止(これはあまり関係ないので切ることにした)

私は「え、これだけ?」と思ったくらいで、何か起きるとは思わなかったのだ。
先生、ひと言言っといてくれれば、その。ねえ。

ともあれ、意図せず主治医から激励のFAXを受信したのである。
思うに、こういう医者にかかっている人なんてほぼいないのだろう。

****
22日に診察に行ったが、私は開始早々「断薬することにした」といきなり告げた。誰かがやめろと言うんだけれどとか、やはり薬ない方がいいですよねとか、相談したのではない。もう決めたので断薬のために減薬する内容を話しましょうというわけだ。

主治医からは笑顔が返ってきた。
私は自分の考えを話したが、主治医が意見を挟んだりはせず、ほとんどニコニコして聞いていた。
プリントアウトした前回の記事も読んでもらった。

自分が自分のためだけに決めたから協力せいと言って嬉しがられるのは、それは私も嬉しい。が、やはり主治医には私が誰かを喜ばそうとか誰かの顔色をうかがって取った言動でもないし、そういう無理をしているわけではないことが即伝わったのだと思う。
****

日々しんどい中でどうするか、自分で様々なコントロールをする感覚と力がついていくのが楽しい。こんなことだったのか。症状はつらいが何も頑張るとか気合いとか、そういうものは特にいらない。ずっと原因不明の体調不良に悩まされて来たのだ。理由がわかっていて、消失までのおおよその期間も見当があるのだから基本的に大したことではない。たださすがにきつい時もあるので、少しサポートになってくれる人達はどうしても必要だ。気をまぎらしたいだけだが。

今の私は本当の寝たきりに近く、1日の間で「使い物」になる時間もエネルギーも短く少ない。が、もう納得して決めてしまったことであるためか、減らした薬を元の量にしたいとか、そんなことは全く念頭になかった。なので、主治医のFAXには笑ってしまった。(どんな顔で打っていただろうかということも目に浮かぶので……形容しがたい笑顔なんだけど)

もちろん、気持ちはメチャクチャに嬉しい。こんな主治医にずっとおんぶに抱っこで来たのだけど、「自分で歩くから下ろして下さい」と言い出した訳だ。いきなりはできないので、徐々に二人三脚になって行くことだろう。

薬をやめることにしたというのは、私にとってはそういう象徴というか、印のようなものだ。

相談という相談は結局せずに1週間くらい考え続けて(本当、その期間はいつでもどこでもずっと筆記具に書きまくって考えまくりだった)前の記事ができたのだけど、あれを書き上げてから感覚が変わって来たことがある。

私は過去の記憶がほとんどなく、極めて断片的に思い出すことがあってもそんなに実感も伴わないし、すぐに頭から消えてしまう。だからあまり詳細に昔の話ができない。それ自体は今も同じだが、過去の自分と今の私が繋がった感じがするのだ。

それと同時に、「感じること」ができるようになりつつあって、理屈だけで物を言うこと考えることが気持ち悪くなった。正確には「元の感受性を取り戻しつつある」だろう。いくら何でも昔からあそこまで不自然な状態だったのではない。理屈屋ではあったが程度が全然違う。

長いが経緯を書いてみる。読みやすく構成する余力がないので、面倒であれば飛ばしてもらってもいい。

この状態が狂っていたことについては、数年前のトラウマ体験が引鉄だと断定する。5年間、私は現実からどうしても逃避せねばならなかった。

もちろん下地には虐待体験があるし(※WHOでも正式に認められるのは今秋らしいが、「複雑性PTSD」という状態である。病名に頼るとろくなことがないので普段あまり使わないのだが、名前がないと意味が伝わらない場合もある。この場合は言った方が正確に伝わるだろう。これも詳しくはWikipedia、できれば英語版で読まれたい。Google翻訳で読んでも元が硬い文章なので割合正確に訳される)、発達障害の特徴も強くかなり偏りが大きいらしいのでそちらも色々と邪魔をした。

何よりこうもガッツリとPTSDになってしまっては私から何があったかなど言えたものではないし、勇気を出して明かした人達の反応で、これがどれだけすさまじい状態を起こすものなのか全く伝わらないしわかろうとしないことがわかって、私から話したりはおろか、人も世界も何も余計に、全く信じられなくなった。克服した人達もいたが、その人達は既に別の世界の住人であった。

私は結局誰からも怒られているか脅されている感じしかなかった。支援機関と全然噛み合わないのはこういう背景だろうし、私は直後に支援機関から2年間恫喝としか言えない行為を受けていたから(違法行為だったがもう時効のはずだ)、寝込んで当たり前だった。

「魂の殺人」とはよく使われる言葉なのだが、いくら陳腐に聞こえようとも私がされたのはそれでしかない。それは私から見れば世界中の「共犯」なのだ。

私は世界から分断「された」。自分が自己防衛のためにしたのではあるが、はじめから私が何も行動しなかったなんてことはない。あちこちに相談したりしてはいたし、自分でどうにかできないか調べまくって考えて、だけどうまく行かなかった。
これが私のせいだとはとても思えない。誰がどう言ったって、あの状態であれだけ動いて誰も助けてくれなかったら誰も信じられなくて当たり前だし、それも含めて自分でした試みが全部失敗したら、いくら私に故意の攻撃を加えて来た相手の目的を阻止し逃げ出すことに成功した所で、そんなこと大したことではなくなる。自分が悪いのだと、自分は否定されるべきゴミくずか何かだと感じるのは、今思うと当たり前に過ぎる。その後も「故意の攻撃」を別の人が引き継いでくれれば完璧だ。

エネルギーには限度がある。日本語に拒絶反応が出始め、身体が動かなくなり、色んな症状に見舞われ、自力で解決なり行う気力は尽きた。周りの誰もが敵の状態になり、SNSで外国の人としかほとんど話せなくなった。そこが私の仮の居場所になった。日本人と日本語で話すよりはマシだった。私はその「世界」で、それまでの私とは全く違う人間になっていった。英語力がさして高くもなかったことも幸いしたのだと思う。日本語では私はしっかりしたように見えるから、余計に信じてほしいことこそを信じてもらえないのだ。こんなに具合が悪いことすら。見ればわかるようなことまで全部信じてもらえないなら私が信じる力だって損なわれ続ける。

この状態がいつまでも保つわけがない。
3回致死量の大量服薬をしたが何故か死ななかった。
今は実際に死にそうな状態でやっと救助を求めたあと何時間も放置された経験があるためか、希死念慮が起きることはかなり稀になり、起きてもまた失敗したら後が本当にきついのでどうも踏み切るに至らない。

それでもそんな経験だけで生き続ける気になんかなるほど簡単なわけでもない。生きていることにそもそも理由なんかない。生きる気になる気持ちは元々作らなければ存在しない感覚なのだ。
通常はそれが作られる条件が大体揃うので生きようと思うだけだ。そうでなければ、生き続けるなんてとても大変なことを続ける気になんかなれない。

絶望しないにはそれなりの条件が必要なのだ。
が、普通、難しいことではない。単純に言うと、いいことがあれば七面倒臭いことはいったん忘れるようにできている。問題はいいこと、気分が紛れることを継続的に起こす必要があることだ。
内容は色々だが、身体的な体験がいいと思う。思考というのはどういう方向にも行ってしまい、私のような悪条件が重なっている人間だとろくなことを考えない習慣が強固についているので、ずーっと嫌なことが頭を支配する傾向になる。絶望するための回路ができている感じだ。

【ここからはおまけだが、辛いのが嫌なら、あまり不健全な体験で快感を得るのを使うのはやめておいた方がいいだろう。悪いことだからやめろというのではないし、無理にやめる気になっても文字通り無理だ。
不健全なことというのはある意味では不自然だから不健全と言われるだけだ。時代や文化でどれが不健全かは細かく変わるが、明らかに身体に毒だということがわかっていることよりも、単純に運動することとかが良い。

不健全と言われることをわざわざ使うのをやめておいた方がいいと思う理由のひとつは、面倒くさいことになるからだ。否定されて感情を害されたりして余計に依存したり、反論を考えることになったり、自分を責めたりする。ものすごく面倒だ。
同じ依存するなら自傷行為やセックスや薬物やギャンブルや煙草よりはマラソンやらヨガやらのスポーツ(何でも良い。格闘技など発散には良いし)とか軽作業やらの方がその意味で「面倒じゃない」のはわかるだろう。
(第一、脳内物質の出方や脳内がどう機能しているかが全然違うのだが、「面倒くさい」のでもうちょっと元気になってからにする)】

で、だ。
最後の方がいきなり何言ってるのかと思ったかも知れないが、こういうことが「感触」でわかってきたし、昔の私が考えたり感じたりしていたことを思い返せたので書いてみた。

わかってきたと言うのか思い出せたと言うのか微妙だが、過去の自分と接続し直し始めた感じがある以上、まともな変化が起きているのではあると思う。

―――――

このくらいで今回は切り上げる。今回はさらに全然読みやすくないし要が何だかぼやけてしまったが、8割方離脱症状のせいなのでもう諦めた。

―――――

ついでに、こういうものが無料で配布されている。偶然拾ったのだが、(症状がすごくなってからだからあまり読み込めないが)通称「アシュトンマニュアル」と呼ばれる、ベンゾジアゼピン薬をやめるためのマニュアルPDFで、114ページある。
http://www.benzo.org.uk/amisc/japan.pdf

薬や医療がどうこう言う話は、どうも剣呑というか喧嘩腰になりがちである。感情を煽るような押しつけがましい表現で物を言う人が何と多いことか。
だから私はそういう手合いの話にはウンザリして来たし、脅迫しているようにも見えるし、何故わざわざケンカになるようなことを言い合うのか理解できないでいる。内容がどうあれアレでは不毛だと思う。不愉快過ぎて減薬前からストレス性と見られる不調を来たしていて、そのためもあってほとんどネットに行けないのだ。

そこでである。

何故このマニュアルがこんなに長いかというと、薬をやめる人のあらゆる不安を取り除く試み、理性的で優しさに満たされた知識の解説、患者自身が「主人公」であることを丁寧に説き、無理を強いるような表現をしないで、挫けないように勇気づけ励ます試みで書かれた文章だからだ。冗長なのではない。

さらに少し古いマニュアルなので少々情報を検索したうちの一記事を付す。

アシュトンマニュアルに信憑性はある?多くの批判が集まる理由
http://xn--bfv610btf455cba.net

「さああなたもこれで断薬しよう!」と言いたいのではない。それはあなたが選ぶことで、私があなたの人生にそこまで口出しできるわけではない。
(そもそも今そこまで頭が回らない)

私が平気な理由のひとつがこのPDFの文章なのだが、長いしちゃんと読める状態でもない。それでも、「感じること」ができる温かみが確実にある。その私とこの著者の「感受性」について、元気になって行った時に、また書けると良いと思う。

 

あああ。本当眠い。

薬とお別れして行く、という決断

断薬に舵を切ることにした。
週末の診察で主治医と話してくる。

私はそもそもあまり薬物療法が効果を上げていない。
主治医と私は精神科薬を時間稼ぎの道具と認識しており、いずれは薬をやめていくものと思っている。

が、私の場合は薬が効かないことが多すぎた。
それでも今まで生存できたのは、薬学も修めている主治医が本当に慎重に上手に、私の様子をチェックしつつ、薬物療法と現実的な助力を続けてくれたからであろう。

私自身にも何か力はあるかも知れないが、私はそれを認識できていない。

少し私の事情を話す。

私の実家では、私が主体性を持つことが絶対に許されなかった。私が何かしたがったり欲しがったりすると、母は全力で嘲笑した。父は必ず理由を求めた。ほんの子どもの私が大の大人を説得することが義務付けられたが、極めて客観的で高尚な理由でなければ聞く耳を持たれなかった。「面白そう」「やってみたい」では、嘲笑と黙殺か突然の意味不明な癇癪が返ってくるだけだった。

私が自分のために何かしたいとか、ただ楽しむことに罪悪を感じ、大義名分がなければ(主には他人の役に立つこと)生きている価値がないと感じるのはこれが原点だと確信している。わがままだの被害妄想だの出て行けだのはしょっちゅう言われたし、何度も放置されて死にかけたし、親が気に入ることをし、幸福を演じることが25歳で実家を出るまで私の義務だった。

転機になりかけたのが大学に行ったことだった。

大学に行くこと、志望校、志望学部学科をきめ、浪人中の予備校探しをし、大学生活を途中まででも送った時期は、私のここまでの人生でただ一時期だけ、私の意思で私が動いて成し遂げた成功体験を象徴する期間である。
その頃の私は病んではいたが、「したいことをして楽しく過ごす」ことをしていた。成績は、高校までだと「よくわからないのに良好」だったが、大学では自分の手応え通りの結果が出た(私は予備校までは勉強の仕方も勉強というものが何だかも理解できなかった)のでのめり込めた。
それまで全くできなかった友人ができ、周り中が私に負けず劣らず変人だったし、好きにしても誰もとがめず、いくらでも活発に動いた。寛容さ寛大さがいかに大事かよくわかる。
有名大学だから就職が安泰とかいう意味ではなく、将来を楽観していた。すぐそばに自分とよく似た特徴を持つ友人がおり、学生のうちから起業して生活していた。彼は今思えばアスペルガーとしか思えないが、私も何か手に職を持つことで生計を立てる気になったお手本だった。彼も私も上手く雇用されて働くことができなかったが、なら自分ができることで稼ぐのが自然の流れだと普通に思っていたのだ。

それでも色々と邪魔が入って今に至る。

私の問題点はいくつかある。現実を認識できていなかったこと。自分の成功体験を実感できなかったこと。そのため、人生の支えになる満足感という大事な感覚が養われなかったこと。そのせいでずっと空虚感があること。それを自分が満たせるとは思っていないままだったこと。だから、他人に満たしてもらう感覚でいたこと。その空虚感が満たされない限り生きていける気がせずにいること。

他人に満たしてもらうというのは、私が自分を顧みず大事にせずに、人にとって価値ある存在であろうとすることを含む。それが主たる要素なのかも知れないが、つまり、他人に自分の存在価値を認めてもらって初めて自分が存在しても良いと思う感覚だ。これは親に仕込まれた通りの生き方である。要するに親の代わりに承認欲求を満たしてくれる人をずっと求め続けているのだ。

これは全く主体性を欠く感覚だ。純粋に自分の意思で自分のために行動して成功体験をして来れば満足とか達成感とか誇りとか自信というものを積み上げて来れただろうし、それは楽しいだろうし、くじけても踏み出せる希望の力になるだろう。

大学に限らず、いくつも成功体験の類いは経験したはずで、部分的には記憶がある。が、上記のような感覚にはならなかった。

妨害要素は数点あるが、周囲を見たり話したりするに、そういうものがあっても、生きて来てしまえばだんだんと前向きとか何とかしようとか、またはどうにかなるとかいう感覚になって行くことがどうも自然の流れのようだ。かなりの悲惨な体験があってもだ。

私の場合、主体性を育てることができなかったのが原因ではないかと思われる。

その原因を引き起こしたもののひとつが、薬だと考えるに至った。

述べたように、私は薬がろくに効かない。が、ある程度の状態にすることまでは可能だ。だから死ななかったのだが、実は自殺未遂は相当繰り返している。それで死ななかったのは「偶然」でしかないそうだ。

物心つく頃には死を理解しており、私は人生通して希死念慮がない時期がなかった。実家の環境から、私は基本的に絶望したまま生きていた。
通院開始は浪人中の18歳で、まだ実家にいた。そして私にとって投薬は最低限死なない程度の効果をもたらすに留まった。が、それだけに、服薬をやめることができなかった。死んでしまっては元も子もないからだ。

薬を時間稼ぎのものと考えていたが、それは薬効があって、成功体験を積むうちにいつの間にか薬を必要としなくなるという感覚だった。自分には大きな効果は出ていないが、何とか薬で精神状態などをコントロールしていた。これは薬効と言うには満たない水準でだ。

薬があって初めて成功体験がある、という状態だ。

薬がどれほど重要なのか考えてしまう事例がある。

数年前、私は10年以上続いたパニック障害を考えることで治した。症状が出る理由を考えて理解したら、消えたのだ。以来その時用の頓服薬はほとんどお守りと化して、滅多なことでは飲まなくなった。

今も過呼吸くらいは起きることがあるが、薬を飲むことは非常に珍しくなった。

更にこの話は私が何かおかしいと思われる内容にもなる。

この克服は普通の患者などにとっては大したことらしく驚かれるのだが、私はほとんど達成感とか自信とかいうものを感じていない。

そんなことは私にとって力や支えにならなかった。達成したのに、成功したのに。それが悲しくて絶望感を覚えることはあるというのに。

絶望までするようになったのは最近だが、このように、絶望までする理由がないことで希死念慮まで出る。確かに今の状況はキツいし、疲れのためかと思っていたが、大まかに見れば私の人生は好転し始めているし、この精神状態になることがあまりに頻繁すぎる。

薬でコントロールしているということは、自力ではないということを思った。
元々主体性、自分の意思がないところへ、ギリギリ死なないように薬で精神状態をコントロールして来た。無理矢理なのだ。私の手柄じゃないのだから私が成功した感覚なんかない。自分でどうこうしようとして頑張ってできたのでもない。これで何か気分よくなるだろうか?なるわけがない。
人生で1回だけ本当に満足したことがあるが、自分がやりたくて自分でやり切ったからだろう。大変強烈な体験で、あれが断続的にでもあれば、絶望する意味がわからないだろう。薬だってとっくに卒業しているはずだ。

そして私の処方は多種多剤である。ずいぶん減ったが、まだ多い。
これが脳にずっと影響していることは間違いないことで、ギリギリ死なない程度の効果なら、もういらないのではないか。さして効いていないのだから、ないほうがいいに決まっている。上に書いたようなことが実際にそうなら、主体性が育つのにも邪魔だし、それでは満足感を覚えることは難しく、だったらもう実家ではないここでも希死念慮に悩み続けることは別に突飛なことではない。

自分以外に検証材料がないから、ここまでにずいぶん時間や思考力を費やした。他の人の服薬がどうとか言えるほどの情報はない。

私は薬に向かないタイプだったのだ。でも、周りに誰もいなかった。いたのかも知れないが、ほとんど去って行った。残っている人には「私が欲しい優しさ」はない。誰が悪いとかいう話はあまり意味をなさないが、はっきり私を害した人間だけに、私だけは激怒していいはずだ。それはいつまでも恨むためではなく、自分のこれからのためだ。

ただそれだけだった。

――――

読みにくい文章だったことと思います。自分で整理するために数日かけて考えたのですが、まだ仮説に過ぎません。また、21〜22年間、薬に依存して来た状態だと言えますから、現状の環境があまり良いものではない今、正直に言えば薬をはっきりやめていく(まずは減らすわけですが)ことに懸念や不安がないと言えば嘘になります。

ただ、現実の世界での友達に言われました。
「そうやって生きて来なきゃならなかった状態で断薬って本当の『決断』だよね。できたらすごいことじゃん!きっとすごい自信になるよね!」

蛇足的に見えるかも知れない私の家庭事情と人生の話も書いたのは、私にとって薬をやめようという結論を出したことの重さや意味をきちんと確認したかったからです。

事情(ここに書いていないことも)をほぼすべて知った上で何の批判も否定もせずストレートに優しい言葉をくれて力になってくれている友達に感謝しています。

私には、そういう経験がほぼありませんから。

あっても、ほとんどの人と上手くやって行けず、去って行きました。繰り返しになりますが、私が自分を責めても意味がありません。過ぎてしまったことだし、誰が悪いとかいう話をしても仕方ないからです。

たった数人のために私の人生は40歳の今も確実に滅茶苦茶です。それは、私の中でケリをつけるまでは、許す気にはなれないのです。そのための取り組みのひとつが、薬に頼ることをやめていくことなのです。

【休養宣言】うつ病思っきし再発したもよう

うつ病思っきし再発したもよう。タイトルどおり。まあ病名は便宜上です。あと宣言しないと私実行しない。

最近おかしかったんだけど(絶望したり人とトラブりそうになったり)頭の使い過ぎ、1人で何とかしようと無理し過ぎたせいだ

18歳の浪人中、まあ浪人する前からおかしい状態だったんだけど、浪人して予備校生なった時点で既にかなり動き回ってあれこれあったんだわ

浪人の予備校生なわけだから勉強しかすることないんだけど、エネルギーが枯渇してたから学校行くので精一杯だったのね

頭全然働かないので勉強も手につかない状態だし、家を出かける時に何持ってきゃいいんだか思考力ないから判断つかないんでまあものすごい荷物だった

でも頭働かないから何もできずに帰るの
授業は出てるけど全然わからん
言われたことと板書の書き取り能力だけ異常に上がったけど、書いてるだけ

見てた人からお前おかしい、うつ病だから医者行け、て指摘されたので「は?」ってなって図書館でうつ病の本借りて読んだ(本はまだ読めた)んだけど、病名はともかくこれはヤバい状態だってのはわかった

また動いたですよ
まず本に保健所に聞くと病院教えてくれるとか助言くれるとかあったから電話して親に隠れて通院しだしたけど、どうもよくわからん

予備校に精神科医がついてて相談できたので、丁寧に話聞いてくれて、後輩の医者がそこにいるからかかると良い、て今の主治医に繋がって生きながらえているわけだ

今は「頭を休めて身体は動かすべし。この場合、運動の一番の効用は脳ミソ休める時間を作る事。で、身体が疲れて食べたり寝るのが理想で、脳ミソの酷使を極力やめること」がコツだと知ってるから次の受診予約までもつかなあ

極力放り出す。考えたら悪化する。

鬱ってこんな打撃力あったっけか、ってちょっとビックリしたのでまとめてみた。

このブログに合った書き方って何なのかと。

このブログは本当はこういう感じに書きたかったんだよね、と思ったブログがあった。

 

虐待後遺症に負けない!

 

読むには記事が膨大なのだが、私は書けなくなっている状態なので、「あ。」と思わされた。

 

私は短い記事でも1,500字くらいはある(この前の記事もそのくらいだ)。ギッシリです、ハイ。今は長く書く体力がないけれど、あれば4,000字くらい書いていたりした。

 

長短のどちらが良い悪いではない。私は「ちゃんと書こう」とし過ぎるあまりあれもこれも書かねばと思いつくことをひと記事に入れ込む。

 

ひと記事にいくつもバラバラな話題があったら自分でもわけがわからない。人が読んでわからないなら自分だってわかっていない。ということで、強引にもまとめるのに自分に負担がかかり、本来の吐き出し(て、整理して行く)の目的が果たせていないのだ(紹介したブログの目的はちょっと違うようだが)。

 

……と、考えるのに使うことになる。これはあんまり良い癖ではないなと思う。

考えること自体はいいのだが、ここはあまり考えるために書いているのではないのだ。ひたすら疲れる。入院中も分析力は凄いけどいちいちそれやってたら疲れちゃいませんか?と言われた。疲れます。スッキリしないですし。

 

何だか低能な脳ミソだなあとか思うがそれは別の記事に分けましょうね。

負担

3月27日に退院してから2週間程、これまでの退院後とはずいぶん心身の調子が違った。体力はないが体調が悪いとは言い難い状態で、リハビリ的に過ごすようにして行けばいいだろうという見通しがあった。それが先週後半から崩れて建て直すことが今のところできていない。

 

私の体調不良はほとんどが心因性だ。あまり強く症状が出るので数年間動くことができなかった。検査してもしても原因は特定できなかった。だからか、仮病のような扱いを受ける。苦しいのに症状はないことにされ、サポートが受けられない。仕方ないから無茶して色々と自力ですることになる。すると「できるじゃないか」ということで、依存だの甘えだのという話になる。そのためにストレスになって症状は悪化する。手助けして貰えれば済む話で、見兼ねた主治医のほうから支援機関にわざわざ連絡してくれて説明をしてくれたりしているが、結局は理解できない、する気もないため、何も解決に繋がらない。私の薬の処方はとんでもないことになっているが、症状が強すぎて出さざるを得ない。主治医も私も泣きそうになりながら薬の相談をする。主治医もこんな処方はしたくないし私だって飲みたいわけではない。依存が起きているとか耐性がどうとか言って処方されずにいたら、私はまず生活ができない。薬で無理矢理動いているのだ。が、一般人は薬の害や負担など知らない。先生の言うとおりちゃんと飲めとしか言わない。あるいは私や主治医が薬に頼り過ぎだの何のと説教する。どちらも他人事だから言えるのだ。精神科の修羅場を知らない。現場や真面目な医師達の苦悩を思いつきもしない。そして、患者にすべてのしわ寄せが来る。飲まなくても地獄、飲んでも地獄だが、長くよそから無責任なことを散々言われて来た私は、それならあなたは私の介護でもしてくれたり、支援者の意識を変えてでもくれるのかと怒鳴りつけたい。

 

腹の立つことが多いので薬の話に偏ったが、カウンセリングだろうが人生相談だろうが自助努力だろうが何も解決策が見つけられずに苦しんで来た私はまず死なないために、薬物治療で時間稼ぎをするしかなかった。外野からものを言うのは簡単だと言いたいのだ。

 

私の周囲の支援者のほぼ全員が「外野」だ。

 

逸れ過ぎたので現在の話に戻る。

 

入院中は私にとって非常に負担なことを無理にする必要がなく、保護された環境ではあるため、数日眠りっぱなしで自宅生活の疲労を除けば急に動けるようになる。また、普通の人のように眠れる。眠くなったら自然に眠りに落ちるという経験は、入院時しかできない。

 

そして帰宅すれば上記のような状況が戻ってくる。

 

私はこれまでずっと、不安で安心感がなく、緊張し続けることで無理矢理生き延びて来たのだと改めて思い知った。今回の入院でずいぶん自分が変わったのを感じたし、退院後もその自覚は強まる一方だが、いきなり自己肯定や自分を大事に優先したりする感覚に馴染むことは、これまでの自分の歴史からしてそうすぐにできるわけではないのだと思った。

 

散漫な記事になったが、最後に

 

以下に紹介するプロジェクトに、私は参加する。参加形態はいくつもあるので、ぜひ以下のリンク先を照覧されたい。

 

■虐待された方から「親への手紙」を 公募中!
http://letters-to-parents.blogspot.jp/

 

今一生さんという人が、1997年、『日本一醜い親への手紙』という本を編著して出版した。今、その新編を出版して世に出そうというプロジェクトを、今さんが立ち上げた。

 

私はその「手紙」を応募する。以下は考え抜いた紹介文だ(Twitter用に140文字)。

 

自分の苦しみを誰かと共有できるとは思っていなかった。人を信じることや自分を肯定することもさっぱり理解できなかった。そういう人間を生むのが虐待です。もう親達に命や心を殺させないため、まず読んでみて下さい。

http://letters-to-parents.blogspot.jp/

書けない、話せない。悲しい。 2017/04/08 3:33

私はいくつも文章などで発信する媒体を持っているけど、うまく使えていない。

 

昔、正直に言うと、自分は頭が良いほうだと思っていた。知能テストを受けたり、昔の私(昔ったって数カ月前くらいだが)の話、話し方などからすると確かに学力的な頭の良さはそこそこ高い。大学もまあまあハイレベルだ。

 

その認識を思い切りブチ壊された。友人である来未炳吾(来未炳吾さんのプロフィール - はてな)がトドメを刺したのだ。

 

他の人達にもプスプス突き刺されたり張り倒されたり蹴っ飛ばされたり(言葉でです)して来てはいたんだけど、根底からひっくり返されて起き上がれない状態にまでなったのは初めてだ。

 

ここの所、ある媒体に最近の彼について文句みたいの書いてばかりだったし、以前にも相当グチった(もう消したが)。結局、彼のほうが概ね正しいことに気づく。やり方はどうかと思うけど、やっぱりああするしかないのだろう。憶測ではあるが、何となく私でもああいうところに行き着きそうな気がするのだ。人生初期の経験のせいかも知れない。同じではないけれどどうやら似たような経験のようだし、それが違っても、何らかの親和性を感じることが多いのだ。発達障害者同士でもこういう経験は今のところない。一方的な感覚だが。

 

それでも今はあの記事おい、死んだぞ。発達障害仲間が精神治療薬に殺された。 - HyogoKurumi.Scribbleを読みたいとは思えない。彼はたぶん、私からすると物凄く先に立っているのだろう。

 

私達は現在、やり取り(話)をしていない。していないが、互いに更新をチェックしてはいる(全部見てるかわからないけど)。

 

そのうちお茶でもみたいなことを言ってはいるのだが、どんなツラして会えば良いかわからないのが正直なところである。

 

いくつも媒体を持っていると言ったけど、書けなくなった。来未や、彼を通して知った人達の力を見ていたら、書けなくなった。

 

何回も言っているのだが、私には自分というものがないのだ。40歳のこの歳でやっと気づくことが多くて、たまに頭が冴えて文章力を発揮することはあるけど、基本的には書こうにも何も浮かばなくなったりしている。自分をこれから作らねばならない。あんなに楽しかった書き物が、まるで楽しくない。やりがいを感じるようなものは当然書けない。書きたい、表現したいことがあるようでない。今、色んな経験を積みなおし始めているから、脳の処理がいっぱいいっぱいで発信どころじゃないのかも知れないが。

 

ついでに言えば、何回か来未から私が言っている言葉や思考におかしな所はなくなった、とか言われてはいるが、私自身ではやはりわからない。会話がなくなってから数カ月経つが、定着化も維持もできなくなって、以前のどうしようもない自分に戻ってしまったようにも思う。自分を肯定する感覚が育っていないことは大きな理由だとは思うが、まだ何かが違う。

 

誰かが私に物言いをつけて来たりした時に、今の私には返事ができない。しなくていいとかいう問題ではなくて、そういうのは「できるけどしない」のが恐らくスジなのだ。今の私は振り回されてできない、すればこてんぱんにやられるだろう。

 

1年前には考えられなかったことだ。

 

本当は、書くことは大好きなのだが。

ケミストリー 2017/04/06 20:10-21:15

地域活動支援センターという、主に精神障害者のための施設が各地域にある。私の家からかなり近い場所にあるため、最近行くように頑張り出した。そこで今日、気が合いそうな人達に会えたのだ。

 

chemistry (ケミストリー)

(人間同士の) 相性; 不思議な現象 [過程, 作用]

≫ There's good chemistry between us.

私たちは気が合う.

 

普段から外の世界につながりがある人なら、そんなにものすごく珍しいことではないのかも知れない。

 

少し説明する。

 

私には、ただ外出することも困難を伴うし、そういった施設に出向くこともキツいことだった。いわゆる「引きこもり」ということになるが、それは私が選んだのでは断じてない。何度も記事にしてはいるが、刑事事件相当の被害を受けて動けなくなったことが最大の引き金である。5年ほど、体調も精神状態も悪化の一途だった。私は身体を起こしてもいられなくなり、痛みや消化器系などなどの症状が山のように出て、口を利くこともほとんどできなかった。文字でも言葉をつむぎだすのが著しく難しくなったりは、今でもしている。更新が連日のようにはできないのは、そのためだ。この状態でも、扱いは精神障害者であるから、あまり手厚く実態に沿った支援は受けられない。地域が違えばまるで別の待遇(介護の段階が全然違う)もあるらしいのだとか。だが私が引っ越すことは不可能だし、妙案もなく、PTSD発達障害に理解とか知識さえもない支援者・支援機関と、まるで闘いみたいな「交渉」(相談には乗ってくれないのだ)を続けて、衰弱も酷くなった。それでも必死にこういった文章を書いてやり取りするものだから、定型発達者(一般にいう「健常者」と思ってもらえれば良い)にとっては私が這いつくばりながら明日死ぬのだろうかなど思うような状態状況でいることは理解も想像もつかないのだろう。依存だとか甘えだとか「こずるい」とかはっきり言われたこともある。「姑息な芝居や訴えをしているが本当は元気なのだろう!」ということだ。

私の強すぎる人間不信感の原因はこの数年間の経験が大きい。

ちょうど今から1年ほど前から、私はなりふり構わず、色んな人に相談などしだした。本当に無茶苦茶な状態だったので、余計に関係を破壊することも多かったし、今もそう変わっている気はしない。が、ともかく現象として、周囲から良い意味で変わったと言われたり、何故か少しずつ身体が動くようになり出したりしている。そして、すぐには無謀だが、心底自立したくなった。何年も外の世界とのつながりを断たれて、現実世界のことがほとんどわからない状態なのに、どうして支援者達を欺こうなど思うだろう。依存も何も、私は正直にできることとできないことを述べて、助けてもらえないかとお願いや相談をして来たつもりだったが、相手がハナから私の能力値を高く見積もっていて、脅しまがいのことをして、できる支援をしてくれなかった。

恨みもあるが、人を信じる力が格段に落ちたし、頑張りが報われる「成功体験」も記憶から失せてしまい、絶望に覆われる状態がたやすく再現するようになった。とても辛いし、悲しい。

ここから自由になりたくて、誰か信頼できる人と繋がっていたくて、無茶をして来た。

 

そういう前段があるので、私には外界でのことはいちいち色んなことが大げさなくらい新鮮で、ほとんど奇跡だ。今日出会えたのは発達障害の人達で、現実の世界の中でこういう出会い方をした人達は、初めてなのだ。いや、初めてではないかも知れないが、記憶を吹っ飛ばされる経験をしたあとでは初めてだ。覚えていないのだから。

 

いっぺんに全部何もかもはできない、と言い聞かせないと自分に負担のかかるやり方で1度にやろうとして参ってしまう。それは「失敗体験」だらけの彼らも同じだった。

自分を優先して、自分を大事にすることを学びつつ、お互いフィードバックしあうような関係にでもなれたら最高だ。期待し過ぎず、でも、楽しみができた。

入院総括/入院26日目 2017/03/26 17:24

明日(2017年3月27日)退院するが、入院中通して、精神的にはこれまでにないくらいに不安定で困っていた。

やっと理由が見えた。私は初めて、自分が本当に一人だということを実感しているのだ。だから不安でたまらないのだ。
これまではどうしても「誰か人がやってくれるのが前提」という意識でいたと思われるので、そういうものじゃないとやっと理解したから何でも完璧じゃないと怖くなったのだと思う。人と話す時は脳がフル回転している感じで非常に疲れる。

もう一つ、会話ができない。上の完璧でないと怖いというのと重なるのだが、自分では会話力、コミュニケーション力の低さにがく然としている。だが周囲からは逆に「コミュ力上がってるね」(ドクター)とか、「私もあなたのようにちゃんとしゃべれればこんな苦労しないのに」(患者さん)だなどと言われて辟易している。
私は真面目なことや相談する・されるようなことならどうやら以前より会話力が上がったらしいが、いわゆる雑談とかだとついて行けない。言っている言葉は聞こえてわかっていても、全体的に何がどうなっているのかわからない。知らない話も多いけれど、それがメインの理由とも思えない。知らないなら知らないなりの話し方があるだろう。


前者のことだが、自分でやるものだという意識にシフトしているのだろう。そうすると甘えみたいな邪魔な気持ちを捨てられ始めたのだと思う。だから心細いのだろう。

それなら、まあまあ健全な戸惑い方なのかも知れない。これまで自分がそういう人間だということや、自力でやるとはこういうことだ(まだこういう曖昧な書き方しかできないが)といった数々の「現実」を直視できなかった。一遍にそれらを直視するようになって困惑しているのだと思う。そしてまだ怯えているのだと思う。
そのうち慣れるかな、と思った。

会話力についてはどこかあまり強制的に通うのではない支援センターなどになるべく行くことを考えている。人に安全に混ざって、これも慣れたり、また、話が合う人もたまにはいたりするみたいなので、しゃべって発散することができればと思う。
自力で調べてみたが見つけるのは難しいようなので、訪問看護師や、地域活動支援センターに聞いてみるつもりだ。


いずれにしても、今は私の習慣から消えてしまったが、以前はある程度人に混ざってどこかに所属して通って生活していたのだ。そうできなくなった期間は長いし、いきなりできるようにならねばと思うから無理することになる。また、「普通に現実世界に居る」経験は40年生きて来て初めてなのだから、怖かったり、コツがわからなかったりして、難航して当たり前だと思った。体力もつけ直しだ。

自分をいちいち否定的に捉えず、ひとつずつゆっくりでもいいのではないかと思う。