NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

書けない、話せない。悲しい。 2017/04/08 3:33

私はいくつも文章などで発信する媒体を持っているけど、うまく使えていない。

 

昔、正直に言うと、自分は頭が良いほうだと思っていた。知能テストを受けたり、昔の私(昔ったって数カ月前くらいだが)の話、話し方などからすると確かに学力的な頭の良さはそこそこ高い。大学もまあまあハイレベルだ。

 

その認識を思い切りブチ壊された。友人である来未炳吾(来未炳吾さんのプロフィール - はてな)がトドメを刺したのだ。

 

他の人達にもプスプス突き刺されたり張り倒されたり蹴っ飛ばされたり(言葉でです)して来てはいたんだけど、根底からひっくり返されて起き上がれない状態にまでなったのは初めてだ。

 

ここの所、ある媒体に最近の彼について文句みたいの書いてばかりだったし、以前にも相当グチった(もう消したが)。結局、彼のほうが概ね正しいことに気づく。やり方はどうかと思うけど、やっぱりああするしかないのだろう。憶測ではあるが、何となく私でもああいうところに行き着きそうな気がするのだ。人生初期の経験のせいかも知れない。同じではないけれどどうやら似たような経験のようだし、それが違っても、何らかの親和性を感じることが多いのだ。発達障害者同士でもこういう経験は今のところない。一方的な感覚だが。

 

それでも今はあの記事おい、死んだぞ。発達障害仲間が精神治療薬に殺された。 - HyogoKurumi.Scribbleを読みたいとは思えない。彼はたぶん、私からすると物凄く先に立っているのだろう。

 

私達は現在、やり取り(話)をしていない。していないが、互いに更新をチェックしてはいる(全部見てるかわからないけど)。

 

そのうちお茶でもみたいなことを言ってはいるのだが、どんなツラして会えば良いかわからないのが正直なところである。

 

いくつも媒体を持っていると言ったけど、書けなくなった。来未や、彼を通して知った人達の力を見ていたら、書けなくなった。

 

何回も言っているのだが、私には自分というものがないのだ。40歳のこの歳でやっと気づくことが多くて、たまに頭が冴えて文章力を発揮することはあるけど、基本的には書こうにも何も浮かばなくなったりしている。自分をこれから作らねばならない。あんなに楽しかった書き物が、まるで楽しくない。やりがいを感じるようなものは当然書けない。書きたい、表現したいことがあるようでない。今、色んな経験を積みなおし始めているから、脳の処理がいっぱいいっぱいで発信どころじゃないのかも知れないが。

 

ついでに言えば、何回か来未から私が言っている言葉や思考におかしな所はなくなった、とか言われてはいるが、私自身ではやはりわからない。会話がなくなってから数カ月経つが、定着化も維持もできなくなって、以前のどうしようもない自分に戻ってしまったようにも思う。自分を肯定する感覚が育っていないことは大きな理由だとは思うが、まだ何かが違う。

 

誰かが私に物言いをつけて来たりした時に、今の私には返事ができない。しなくていいとかいう問題ではなくて、そういうのは「できるけどしない」のが恐らくスジなのだ。今の私は振り回されてできない、すればこてんぱんにやられるだろう。

 

1年前には考えられなかったことだ。

 

本当は、書くことは大好きなのだが。

ケミストリー 2017/04/06 20:10-21:15

地域活動支援センターという、主に精神障害者のための施設が各地域にある。私の家からかなり近い場所にあるため、最近行くように頑張り出した。そこで今日、気が合いそうな人達に会えたのだ。

 

chemistry (ケミストリー)

(人間同士の) 相性; 不思議な現象 [過程, 作用]

≫ There's good chemistry between us.

私たちは気が合う.

 

普段から外の世界につながりがある人なら、そんなにものすごく珍しいことではないのかも知れない。

 

少し説明する。

 

私には、ただ外出することも困難を伴うし、そういった施設に出向くこともキツいことだった。いわゆる「引きこもり」ということになるが、それは私が選んだのでは断じてない。何度も記事にしてはいるが、刑事事件相当の被害を受けて動けなくなったことが最大の引き金である。5年ほど、体調も精神状態も悪化の一途だった。私は身体を起こしてもいられなくなり、痛みや消化器系などなどの症状が山のように出て、口を利くこともほとんどできなかった。文字でも言葉をつむぎだすのが著しく難しくなったりは、今でもしている。更新が連日のようにはできないのは、そのためだ。この状態でも、扱いは精神障害者であるから、あまり手厚く実態に沿った支援は受けられない。地域が違えばまるで別の待遇(介護の段階が全然違う)もあるらしいのだとか。だが私が引っ越すことは不可能だし、妙案もなく、PTSD発達障害に理解とか知識さえもない支援者・支援機関と、まるで闘いみたいな「交渉」(相談には乗ってくれないのだ)を続けて、衰弱も酷くなった。それでも必死にこういった文章を書いてやり取りするものだから、定型発達者(一般にいう「健常者」と思ってもらえれば良い)にとっては私が這いつくばりながら明日死ぬのだろうかなど思うような状態状況でいることは理解も想像もつかないのだろう。依存だとか甘えだとか「こずるい」とかはっきり言われたこともある。「姑息な芝居や訴えをしているが本当は元気なのだろう!」ということだ。

私の強すぎる人間不信感の原因はこの数年間の経験が大きい。

ちょうど今から1年ほど前から、私はなりふり構わず、色んな人に相談などしだした。本当に無茶苦茶な状態だったので、余計に関係を破壊することも多かったし、今もそう変わっている気はしない。が、ともかく現象として、周囲から良い意味で変わったと言われたり、何故か少しずつ身体が動くようになり出したりしている。そして、すぐには無謀だが、心底自立したくなった。何年も外の世界とのつながりを断たれて、現実世界のことがほとんどわからない状態なのに、どうして支援者達を欺こうなど思うだろう。依存も何も、私は正直にできることとできないことを述べて、助けてもらえないかとお願いや相談をして来たつもりだったが、相手がハナから私の能力値を高く見積もっていて、脅しまがいのことをして、できる支援をしてくれなかった。

恨みもあるが、人を信じる力が格段に落ちたし、頑張りが報われる「成功体験」も記憶から失せてしまい、絶望に覆われる状態がたやすく再現するようになった。とても辛いし、悲しい。

ここから自由になりたくて、誰か信頼できる人と繋がっていたくて、無茶をして来た。

 

そういう前段があるので、私には外界でのことはいちいち色んなことが大げさなくらい新鮮で、ほとんど奇跡だ。今日出会えたのは発達障害の人達で、現実の世界の中でこういう出会い方をした人達は、初めてなのだ。いや、初めてではないかも知れないが、記憶を吹っ飛ばされる経験をしたあとでは初めてだ。覚えていないのだから。

 

いっぺんに全部何もかもはできない、と言い聞かせないと自分に負担のかかるやり方で1度にやろうとして参ってしまう。それは「失敗体験」だらけの彼らも同じだった。

自分を優先して、自分を大事にすることを学びつつ、お互いフィードバックしあうような関係にでもなれたら最高だ。期待し過ぎず、でも、楽しみができた。

入院総括/入院26日目 2017/03/26 17:24

明日(2017年3月27日)退院するが、入院中通して、精神的にはこれまでにないくらいに不安定で困っていた。

やっと理由が見えた。私は初めて、自分が本当に一人だということを実感しているのだ。だから不安でたまらないのだ。
これまではどうしても「誰か人がやってくれるのが前提」という意識でいたと思われるので、そういうものじゃないとやっと理解したから何でも完璧じゃないと怖くなったのだと思う。人と話す時は脳がフル回転している感じで非常に疲れる。

もう一つ、会話ができない。上の完璧でないと怖いというのと重なるのだが、自分では会話力、コミュニケーション力の低さにがく然としている。だが周囲からは逆に「コミュ力上がってるね」(ドクター)とか、「私もあなたのようにちゃんとしゃべれればこんな苦労しないのに」(患者さん)だなどと言われて辟易している。
私は真面目なことや相談する・されるようなことならどうやら以前より会話力が上がったらしいが、いわゆる雑談とかだとついて行けない。言っている言葉は聞こえてわかっていても、全体的に何がどうなっているのかわからない。知らない話も多いけれど、それがメインの理由とも思えない。知らないなら知らないなりの話し方があるだろう。


前者のことだが、自分でやるものだという意識にシフトしているのだろう。そうすると甘えみたいな邪魔な気持ちを捨てられ始めたのだと思う。だから心細いのだろう。

それなら、まあまあ健全な戸惑い方なのかも知れない。これまで自分がそういう人間だということや、自力でやるとはこういうことだ(まだこういう曖昧な書き方しかできないが)といった数々の「現実」を直視できなかった。一遍にそれらを直視するようになって困惑しているのだと思う。そしてまだ怯えているのだと思う。
そのうち慣れるかな、と思った。

会話力についてはどこかあまり強制的に通うのではない支援センターなどになるべく行くことを考えている。人に安全に混ざって、これも慣れたり、また、話が合う人もたまにはいたりするみたいなので、しゃべって発散することができればと思う。
自力で調べてみたが見つけるのは難しいようなので、訪問看護師や、地域活動支援センターに聞いてみるつもりだ。


いずれにしても、今は私の習慣から消えてしまったが、以前はある程度人に混ざってどこかに所属して通って生活していたのだ。そうできなくなった期間は長いし、いきなりできるようにならねばと思うから無理することになる。また、「普通に現実世界に居る」経験は40年生きて来て初めてなのだから、怖かったり、コツがわからなかったりして、難航して当たり前だと思った。体力もつけ直しだ。

自分をいちいち否定的に捉えず、ひとつずつゆっくりでもいいのではないかと思う。

寄生/入院23日目

どうも精神面が酷く不安定でコントロールできない。「入院中はいつも具合悪くなる」と入院先の主治医に言われたが、それにしてもこの状態ではやっていける気はしない。

やはり無理があるのだろうか。

私は40年後ろ向きで拗(す)ねた子どものような人間だった。今は前向きに思考することや、現実に沿ったものの見方などもできることはできるようにはなったけれど、相当気力を費やす。気力を削ることはそのまま体力も奪うし、逆もその通りで、結局いつも手を抜けず生真面目過ぎて鬱状態になることは同じだ。

SNSで私を見ている人は私が時々おかしくなるのを見ているかも知れないし、それが私の本性だと思って離れていく人もいる。どうも月イチペースのようなので生理とかPMS(月経前困難症)と無関係ではないと思うけど、本性かと言ったらそうとも思えない。女性ならこの時の精神状態を本性と言われては困ることもわかってもらえるかも知れない。

以前はブログを吐き出しの場にしようとしていたけれども、書き方に気が行ってうまく行かなかった。

それで数記事書いてみたが、あんな優等生的な記事を書いて自分を引っ張り上げようとしても限界がある。あれではまるで小論文みたいな「作文」だと思う。誰かに受けようとする、試験に受かろうとする、そういう文章だ。

これでは自分が真に言いたいことから遠ざかるし、本当に困っていることを人に訴える、説明する力もつかない。コミュニケーション力も当然低いままだ(あまりそういう評価は受ける機会がないが、そのためにこの1週間ほど思い詰めて、自殺も検討していた。今のところその気はないが)。

私はそういう点、つまり人に寄生するような生き方しかできない人間であるという点は、以前と何も変わっていないのだ。このままでは生きていける自信がない。変わりたくはあるが、疲れた。前向きだったり建設的だったりすることは、この病んだ状態から抜けて自分が楽しく生きて行くのにはどうしても必要なことだと思うけれど、そこへ行く前にこれでは保たない。

退院はもうすぐだが、自宅に帰ってからでは今の精神状態を表すことが困難だろうと思ったので記録しておく。

「また怒られた!」2017/03/16 18:30

怒られたり私の何かを否定していると受け取れる言動を取られると恐怖感を覚えるらしい。過剰反応するのはそのためだ。怒りは恐怖を覚えるような状態でも湧く。防衛本能的なものだろう。

 

私は実家を出た途端、連絡しても親類縁者から応答されないのでほぼ絶縁状態にはある。私が実家を出てから少し状況を聞く機会もあるが、滅茶苦茶な状態らしい。

 

当たり前だ。私という「攻撃すべき問題児」がいたから、彼らは安心して連帯組んで私に集中砲火を浴びせることで家を、自分達を保てたのだから。

 

私が彼らにとっては問題児だということは認めるが、それは怒れば、けなせば、脅せばどうにかなるものじゃない。悪化するだけで、悪循環だ。

 

私を問題児として扱い続けたから問題児になったのだ。失敗したら学んで再挑戦なんてとんでもないと思うほど滅茶苦茶に怒られたし、私の意思に関係なく、まんべんなく何にでも最初から完璧を求められた。努力などしてもしても青天井で、更にできるだろうと怒られる。当然褒められもしないしねぎらいもへったくれもない。

 

私が今何か才能なりあるとしたら、すべて恐怖感から生まれたものだ。

 

そのくらいは怒られけなされ脅しを受け続けて育った。それと同じような感じを覚えることがあったら、普通想定しないような過剰な反応をしてしまうのだ。

 

どんな些細なことでも。今日はうまく行かないから寝てしまってリセットしよう。

「発達障害あるある」その後/入院13日目

クヨクヨしているというのかわからないが、先日のこと(前記事

「発達障害あるある」/入院8日目 2017/03/08 17:03 - NIKITAのリハビリ的日記

参照)を引きずってはいる。

 

英語をだいぶ忘れた。使っていなかったからで、使わないわけにも行かないから簡単な英語で日記を書いた。


英語が関係ある出来事だったので私が英語に拒絶反応を起こしているのだが、脳ミソはそんなに簡単にものごとを忘れないものだ。英語も、その件も。

嫌でも英語を使うと思い出しはするのだ。だから英語で何か書いたり考えたりが無理だった。苦痛だった。

無茶せず、というかできずに日本語での日記に移ったが、どうしても今書いた英語が引き金になって思い出したことが頭から離れない。怒り方は変化していたが。

突然、日記は途中から英文になった。

怒ると英語に切り替わる癖は健在だったのだ。日本語ではあまり怒れないものなんだというのも再認識したし、ある程度は英語も頭に残っていた。まあ、ここ5年くらいは文字でのやり取りに限られるものの英語での会話が途切れたわけではないから、そんなに簡単に消えもしなかったらしい。

 

嫌な記憶はいずれ風化するか、だんだん大きくないものになって行き、自分で記憶の意味を書き換える作業をする時が来て、全く平気になると思う。

 

まだピリピリしてはいるが、外語である英語でなら思い切り怒れる。また、ずっと苛ついている、あるいはモヤモヤしている理由はやはりこれだったとわかって多少はマシになると思う。希望的観測だが。

 

この記事の文章が少しおかしいことに気づかれただろうか。1文が長い(極力頑張ったが)。疲れてきちんと集中して書くことができないのだ。これが改善されると嬉しい。

「発達障害あるある」/入院8日目 2017/03/08 17:03

コミュニケーション障害の話だ。

話したことがない人からチャットメッセージが来た。
私は最後には誤解されて話が終わったのだが、それは

私が「話の終わりの合図」に気づけず、文字通りに相手のメッセージを読んで「まだ説明しないといけなかったかな?そんなにわかりにくいかな?」等と思って話を続けた

相手側は話を終わったつもりだったのに私が返事したので私が話すことがあると受け取った(と思われる)

双方が「話しかけられた側のつもり」になってしまった

私(アスペルガーな人)→会話の目的が見えてこないので結論づけて終われないし、相手が納得したかわからない

相手→何か私が言いたいことがあるようだがはっきり言わないので推測

私は話が続いているから説明しているだけなので、相手が「目的がある」と思って推測したことは全部外れるために、相手の予想外の解釈にビックリする

相手は私がはっきり言わないで悟らせる困った人、などの誤解をする

 

こんな流れだ。


私は会話、意思疎通の能力が本当に低くて克服対象なのだけれど、発達障害の人はここで相手が悪いとキレたり、逆に自分が情けないと思って塞いでしまいそうだ。

私もものすごく落ち込みだしたので、病院(入院中である)から外出した。とにかく、歩いてみよう。行き詰まった時は、その場にいないで散歩でもするものだ。

歩いていたら頭が勝手に働いて、気づいたら上記みたいに、自分自身と相手方の双方に対して腹が立っていた。
このままただ怒っていても良くないと思い、言語化してノートに書きだした。

それで上のフローチャートができたのである。

 

私が今できることは

1. 怒りをうまくマネジメント(日本語だと処理、扱う、という感じ)すること、
2. 話しかけられたら慌てず、まず自分が会話ができる状態かどうか自分で確認すること(ぼんやりしている今の私だから起きた「事故」だからだ)、確認して頭がはっきりしていなかったら今話せないと言うか、チャットなどの場合は後で返事をすること、
3. コミュニケーション障害の克服法はいくつかアテがあるので片っ端からやってみること(このブログを書くのもその1つである)
4. 失敗をクヨクヨ引きずらないこと。その時間と労力は上記の3つに使うこと

だと思う。

したいこと。 2017/03/06 8:23

昨日意識がちゃんとはっきりしました
今日は入院6日目

 

特に何というわけではないのですが、入院するたびに初期は意識がほとんどなくなります
毎回のことで、検査でも異状があったことがないので逆に困る始末。

 

4歳でたらい回しの末引き受けてくれる病院が1ヶ所だけで、という経験を思い出すことがあります。

36年前にたらい回しになるくらいだから私は戻って来れない可能性がほとんどで、戻って来れても後遺症として一生動けもコミュニケーションもできない、重度の身体障害と知的障害者になるだろう、という宣告をされました。

40歳にいたる今まで、その時の後遺症らしきものが出たことはありません。

その時の話を思い出すと色んな意味でゾッとしますが、ともあれ、「障害者となるかこのままいってしまうかどちらかだから覚悟しておけ」という内容のことしか言われなかった私が目を覚まして、まさか発達障害以外何もない身体と脳で戻って来るとは誰1人、予想しなかったのです。

 

当時発達障害なんて概念はなかったですが、ひきつけという、脳が腫れ上がる状態で入院しましたから、知能テストを受けました。そうしたら、4歳で10歳相当の知能を持っていると出たんです。たらればですが、その頃それが「障害」であることがわかっていたら、もしかしたら、私の人生はこんな滅茶苦茶なものにされずに済んだのかも知れません。

虐待がもっと世間一般にきちんと知れ渡って法的整備もできていたら、私は自宅には退院せず、児童相談所へまず送られたはずです。

せっかく助かり、やっと最近自分の手に人生を取り戻したばかりですので、まだ何ができるわけでもないのですが…。


こういうケースが今も普通にあると思うので、予防と対策、起きてしまった場合の対処(本人の人生を本人が自分の力で普通に生きられる手伝いなど)をできるようなことをしたいですし、それが妨害される社会であることにも手をつけたい。

まず、自分を救済して「心の復興」をせねばなりませんが、ある程度それが進めば、上記の挑戦ができると思います。

 

#たらい回し #知能 #後遺症 #発達障害 #虐待 #やりたいこと #夢

 

SNSに掲載したものを少しだけ手直し】

現実世界/入院4日目 2017/03/04 18:26-19:05

入院して4日目だ。

先に断ると、私は不定期ながら年に2、3回入院して休養をとるので、何か突然に起きたのではない。ただ、普段からそれくらいギリギリな状態状況下で生きていることは言える。

私が入院して必ず日数カウントをするのには少しわけがある。まずは最初の数日間、私の病院生活は日がな1日爆睡して過ぎる。以前なら10日くらい、起こされて食事、入浴、自分から動くのはお手洗いで杖と手すりがあってやっと、という状態だった。ジリジリこの日数は短縮して行き、昨年9月に入院した時は5日で起き上がることができた。今回は新記録だ。

まだまとまった話ができるほど覚醒していない。スマホもほとんどいじっていない。

(呪わしいですね、スマホ(満面の笑みで))

 

今回は家の鍵を預かってもらっている人がいるが、ともかく忘れ物をしまくったため、その人に送ってもらっている、と思う(たぶん今日発送してくれたかと)。送料は後で返すような相手です残念ながら。

残念なものか。こういう経験は初めてだ。

この病院は家族の協力があるのがほとんど前提になっている。外泊(入院中に病院外に泊まる。普通自宅である)やら何やら、本人1人でやるのは無理だったり、病状が軽めであったりしないとできないことが多く、つまり私は本当は無理矢理入れてもらっているのだ。私にとって、誰か協力者がいるというのはすごいことだ。

 

まだ目があんまり醒めていないので、とりあえず、こんなに早く記事を書けるとは予想していなかったよという報告。

 

それと、入院時にずいぶん良くしてもらった。世界がそんな急に変わるもんじゃないし偶然かも知れないが、偶然でなければ、私が変わったのだとしか思えない。ただ少し気を遣うこと、何とか自分のできる範囲のことは積極的にしただけだ。それが以前はできなかった。今回が一番体調が悪い状態なのだけど、一度、自力で成し遂げた達成感を経験したからできたのだと思う。これまでは苦しさしかなかった。何ができてもまぐれ当たりとかそういう感覚だったので、周囲に助けて欲しいことしか頭になかった。何もかもが、恐怖や不安の連続だった。余計に具合悪くなる。

 

まあ、まだまだ課題や言いたいことなんかはいっぱいあるけれど、それはまた。

入院、この1か月、企て 2017/02/23 21:51

報告記事になる。

1. 3月1日から恐らく1か月くらい入院して来る。

2. 1月後半から昨日、2月22日でやっとひと段落ついたが、いっぺんにいくつかのトラブルがあった。かなり激しく体調を壊す羽目になった。終わってはいないがヤマは超えた。

facebook少々以外ほとんどネットに現れなかったが、それしか余裕がなかったし、まあ色々失ったり得たりした。

3. 具体的なことは未定だがザクザクした準備だけはしていることがある。未確定なことがほとんどだからどこかにはっきりした形で言うのは考えていたが、先に宣言してみるのもいいかも知れない。体調と精神状態が少し回復したら順次ここで報告する。

 

―――――

 

しばらく現れることができるかよくわからないので色々と言っておきたいのだが、2番目のことで免疫系がやられたようで、数週前から体調が無茶苦茶だ。

今脱力しかかっているので少しでも動くためにとにかく歯止めをかける意味でも更新することにした。

 

いちいち何かあるごとに慌てふためいて自分を見失って来たが、それでよく生きて来られたものだ。

 

理由の見当はついているが、今は時間切れだ。

 

私はだんだんめげたり挫けたりしにくくなり出した。理由は前の記事に書いたが、ずっと私を支えてくれている言葉のひとつを掲げておく。

 

あまり肯定されない私は、ただこの言葉のために正気づいたことも何度もあるのだ。



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