NIKITAのリハビリ的日記

心のお片づけをする発達障害系な人

心の休暇 2017/01/19 10:24-11:38

ゆるゆるな記事になりました。面倒だからサマリーとか作んない。サマリーって日本語あるっけ?

 

あ、要約だ_| ̄|○

 

このくらいな記事です。そういう感覚も思い出したよっていう報告を、ああもう、もう真面目に書きたくないから良いっすか。

 

だってテーマはタイトル通りだし。私今から寝るし(今昼です)。

 

出だしはマトモに書こうとしてました。うん。

 

――――――

 

最近は色々な感じに振り回されている。何度も言っているがとにかく、強固な現実感のなさで自己防衛しなくても良いように手伝ってもらったので、この世界の感覚にかなり戸惑っている。

 

医学用語的に言えば乖離や離人と呼ばれる状態が解けた、ということだ。解けたけど慣れていないので、というか体験がすごく少ない状態なので、どうしたら良いのかまでは言葉で教えてもらっても、腑に落ちたり定着するのは、私にとってはかなり難しく感じる。

 

不健全な習慣があることは言っているが、それでもあまりに自分にストイックなのはわかっていた。昨年、よく何事も起きずに済んだものだ。偶然ではなく、守ってくれていたのだと思っている。

 

最近の書き物の仕方を何記事か前に書いたが、当然滅茶苦茶に疲弊するやり方だ。更新後しばらく経つと死にたくなったりしていたが、当たり前だ。過労自殺する気か私は。

 

やっと今日、自分が大学生だった頃、もっと時間の使い方がマシだったことを記憶とともに思い出した。

私が思い出す過去すべての記憶には必ず耐えがたいものもくっついて来るから無視してみる。この、「必要な無視」ができなかった話をすると無視してないので(苦笑)こんど説明する。

ただ、その感覚がわかったことはとてつもなく嬉しいことだ。

 

時間の話。

 

私はいわゆる「引きこもり」に該当すると言えるので、非常に近視眼的だ。小さいことも視野いっぱいに見てしまい、心を占拠した状態にさせてしまう。ちょっと動くことにも過敏になったりする。寝込んでない人でも外が怖かったり、とても敷居が高いものに感じる。

 

この感覚で何か考えだしたらまあ悲劇である。離れられないし終わらせられないし、だが出口がない。ないのでなく見えない、見ないと言うことだけど、本人がそれに気づくのにはかなりの条件が必要だ。気づきたくないからね。それは自分を守る反応だから、あんまり自分で破れる人がいないのだ。すごく幸運か、正反対に、気づいてその状態を抜けないと生命の保証がないくらいの状況か、その両極端の気がする。

 

私は危険がないようにして脱出する手ほどきを受けたのだと思うのだが、まあ、ドアから出られるのは私が歩いて行ってどうやって開けるか実際にがちゃがちゃいじって、さらに開いたら今度は恐怖心があって戻っちゃったりする。いや、こういう感覚だとしかまだ言えないのだ。まだ私は脱出できていないのでよくわかっている訳ではないから。

 

先へ進めよう。全然時間の使い方の話に行かないじゃないか。

 

大学は授業数がそんなに多い訳ではないが、自分で勉強しなければ追いつけないからだ。

 

ヒマな訳でも遊ぶ時間が与えられているのでもありません。

 

私は実家が貧乏なのを無理して行かせてもらった。勉強がしたかったのに決まっている。なので、飲みに行くくらいはしたし不要と判断した講義はサボったが、いいオトナの入り口に立ってわざわざ学校に入って、で、遊ぶ、というのは実際に何をするのか実は知らない。カラオケとかスノボとかサーフィンとかですか。コンパ?って行ったことない。

 

あ、答え別にいらないです。そこじゃないから、もう。

 

時間割です。1日に入れても3コマ(1コマ90分)がホントに限界。バイトない日で。その他の時間?勉強するんだよ。でもずーっとギッチリやってる訳じゃないです。それは去年の私だ。病んでるからそれ。

 

先生の研究室に行って良い曜日と時間が決まってて行ったりしてましたけど、アレ日本の先生やってないな。ということは今もないのかな、オフィスアワー。ああいうの決めとけば先生もラクじゃんね。

 

こういうゆるい感覚でした。ゆるいって言ってもバイトもしたし色々活発にやってましたし、学生の本分はーとか言わんでも勉強楽しいに決まってるじゃん。高校までは強制されるからつまらないんです。先生も話す余裕ないし。

 

こんな感覚はホントに久しく思い出しませんでした。緩急をつけるというか、やる時にガッと集中して、あとは、何してたっけ。芝生で本でも読んだりしてたんですかね。私は誰に聞いてるんだ。答えられたら怖えよ。

 

余計なことばっか書いてるんで何だかわかんない記事になってそうだ。こんな色んな余談要らんがな。

 

頭使わずに書いたらこう、っていつもと同じですかどうしよう。

 

―――――

 

じゃあ、遅くても8時間後には起こして下さい。今、午前11時37分です。んだば。

 

 

 

何この記事。

なめてるのはどっちだろうね。 2017/01/18 21:53−23:55

はからずも日本人と日本社会の「悪意」 2017/01/18 2:55-4:59 - NIKITAのリハビリ的日記この続きを書く気になるような話を小田原市が提供してくれた。

 

ネットではとりあえず今日のところ騒ぎになっている。生活保護を担当する市職員の職員が「なめんな(HOGO NAMENNAだが)」等と書いたジャンパーを作って着用して勤務、受給者宅を訪問もしていた、という話。

 

ニュースや情報サイトのリンクは消えるから貼らないでおく。画像等も置かない。権利問題もあるが私が気分悪いので今見ていたくないのだ。

 

小難しい話をする気もないけど、わからない人はわからないか。なあんにも難しいことじゃないんだけど、これ以上説明する気にならん。

 

私は受給者である。そして6年前と5年前に担当職員から不正をしていると言いがかりをつけられた(その件は完全に言いがかりなので、実際に何かできた訳ではない。要は釘を刺す行為だったのだろうが、あの凄い威圧的な声音などは今も思い出して吐きそうになる。その通話が録音できていたら公開したいものだ)。それがエスカレートして行って違法行為(私は承諾する気がないと主張し続けたが威圧して強引に決定した事項があった)も含むし、医療機関受診や入院を妨害し続けたことについての話し合いにNPOの同席を認めないで通そうとしたり、といった過去のために冷静になれないのだ。その2年目、私の自治体では受給者が2人死亡した。担当者は左遷されたと聞いている。

 

くだんの小田原市のジャンパーは色々と指摘があるが、私はとりあえず入手した画像の英文を訳してみた。内容そのものはただ読めば非常にばかばかしいのだけどおぞましさを感じる類いのばかばかしさだった。

 

自分が働く自治体の人を守るのが彼らの仕事だ。書いてあったことは、「不正行為をした誰かを見つけ出すこと、その人達を追い回すこと、罰すること」、そんなことは彼らの職務内容ではない。別の機関がすることだ。本来ならね。

後半に書いてあったこと。

「もし自分達を騙して不正行為によって利益を得ようとするなら、敢えて言うが彼らはクズだ!」

 

へえー。「自分達を」騙すからカスだかクズなんだ。

最初に「我々が正義だし正義でなくてはならない」って言ってたもんね。

 

2点指摘する。

 

1 これがくだらない取るに足らない不正する方が悪い、元気なのに働く気がない人もいて困ってるから気持ちはわからんでもないという論調の人も多かったねえ、Twitterとかくらいしか見てないけど。

 

当人が困っているから敷居の高い生保なんかに相談しに行くのだけど、どんなものか実情がわかるのかすごいね。あなたは困っている当事者じゃないよね。まわりに絶対にわからないように隠してる困難もあるんだけど。または言っても信じないとかね。

 

2 「自分達を欺くからクズ」

これはこの人達だけの意識じゃないんだよ。

「自分が大変なんだからお前も我慢しろ」っていうのはやっとおかしいと言う人も出てきたけど、それです。

私も言われたもので。

不正を働いたら「不正をしたから」罰則があるんだけど。その意味わかるかね。あなたが仕事してんのに報われなかったからじゃないんですよ。違法行為だからです。法律はなんであるんでしょうね?少なくとも国民が等しく守られるためにあるんじゃないですかね。困窮して収入が得られる状態じゃなくなったら、皆でお金出し合って助けましょう、次は私かも知れないし、そういうのがそもそも生活保護法だって私は聞いたのね(できた経緯まで行くと別の問題も話すことになるんでちょっと置いといて)。それ、生活保護だけじゃなくて、国家と法律ってそのために、国民が幸福に暮らす基盤になるためになきゃ、国も法律も意味ないじゃん。その前提でないと成り立たないでしょ。

個人がそれぞれ幸福を追求するのはあったりまえで、福祉課の人もそうですけど、「あなた方を」騙して詐取したからその人がクズなんじゃないし、それは徒労で大変だろうけどそれを理由に勝手にクズ呼ばわりしたりバカにしたり威圧したりするのはね、別の悪い行為をあなた方がしてんですが。

 

受給者があなた方を幸福にするんじゃないんです(結果的になることはあるけど)。受給者は自分の権利のために義務とか果たすんです。あなたもいつかそっち側の人間になるんですよ。生活保護じゃなくてもいつか働くことはできない状態になって年金どうの介護がどうのってなる。その時、支援者からそのジャンパーに書いてあることが前提で接して来られ続けるとか想像してみなさいよ。

 

できないだろうね。そして自分が困ってから思い知るんだろう。

 

こんな酷い国に生まれてしまった自分は被害者だ、と。自分の悪意なんか記憶していない。悪意だと思ってないでしょう。全然。

日本人と日本社会の「悪意」 2017/01/18 2:55-4:59

少しは落ち着いて来て一応日本語でも書けるようになって来つつあるが、何かで怒りのスイッチが入れば日本語で書くことは続けられなくなる状態である。

 

前の記事2017/01/16 18:17 - NIKITAのリハビリ的日記は意外にアクセスを呼ぶひきがねになったようだ。

 

f:id:shinovieshinovie:20170118045648j:image

 

スマートフォンのアプリを主に使うので詳しい解析ではないが、あんな短文で何も話しておらず、ただ吐き捨てたような記事を更新した途端にアクセスが跳ね上がったのだ。

 

あの記事を更新するのは凄まじい苦行だった。反吐が出そうなんて書いたが本当に吐くのをこらえていた。

 

結果を見ていると、「みんな根の同じ苦しみを持って怒っているのだな」と実感する。

 

来未炳吾(ブログはHyogoKurumi.Scribble)の書いたKindle本を以前紹介した。

 

 

夜行バスの人々

夜行バスの人々

 

 


 この本に「皆、社会に対して叫びたいことがある」(元の書き方とはいくぶん違う)という内容が書かれているのだが、私もご多分に漏れずその1人であったことになる。

以前から日本語には拒絶反応があったし、日本人も日本社会も大嫌いだった。その怒りの強さ大きさが本当に自覚できるようになったというわけだが、こんなに激怒が凄まじくて巨大では、そうは書いたり表現することができなかった。

 

理由はどうとも言えるが、英国出身の友人が何度か断じた言い方を借りると、「悪意」に満ちているからだ。これをどう言えば伝わるかなど考えていると激昂するに相応しい事例がいくらでも思い出されて、そのまま日本語で書くのは難しかった。この人はもう自分の言ったことは言い過ぎの失言だったと言っているようだが、私はその時の彼の怒りが理解できたし、私自身は彼の言った過激な発言を私の言葉として頂きたいくらいだ。私は日本から現実には出たことがないし、人は基本的には日本人な訳で、その状況ではっきり悪意しか感じない生を永く送って来たので、別に彼の台詞を言い過ぎだとも思わないままだ。

 

このまま何故かとかいった説明に入ると具体例が出て来るから、そのせいで日本語が書けなくなる。ひとまず今は概要にとどめようと思う。

 

私の言いたいことがあまりにも大量な訳だと思った。相手は1億を超えるし、その悪意にさらされた期間は40年だ。

同情が欲しいだの構って欲しいだのいう話だと思うならあなたはとても日本人らしい嫌らしさに無頓着なのではないか、としか、今のところ思えないし、それこそがただの悪意に過ぎない。

悪意はどこにだってあるが、こうもまあそれを当たり前のものでありそこからズレた人間を「本人が悪くてわがままだ」と言うのが当然で「常識」として通用する社会はそうそうない。

 

だから私にも悪意しかないかもね。何しろ善意を学習する機会は昨年までなかった。日本人からそれを感じろと言われても私は「とりあえずすべて悪意だと思う」ことで自分を守って来たので。今でも穏やかで明らかでわかりやすい善意を感じるのは日本人以外からがほとんどだ。

 

耐えられなくなってきた。

続きはまた書くつもりだ。

 

最後に、昨晩SNSに投稿したものを貼り付ける。悪いが日本語訳はできない。どうせ私の英語は英検3級が危ういくらいだから、読める人は多いと思うし、読まなくても死ぬわけでもない。翻訳サービスでは口語的過ぎてちゃんと訳せなかった。

 

... I still lose my mind so often.
In my head, past matters as disasters have kept on being alive. Sometimes they almost beat me down I feel, so I am shaken up for resolution because I was alone for too long years and I kept on pushed my heart, emotions, senses, and so on away.

All were past I know but they all suddenly strike me.
I feel like that I'm drowning alone and can't expect to get any help.

That's wrong, I know, however I don't know how can I save myself, how can I call helps, or how can I just help myself momentarily.

 

2017/01/16 18:17

こんなに激怒したのは生まれて初めてだ。
わたしは自分の怒りの対象がわかっていなかった。
日本人と日本社会だ。

今も日本語など使いたくない。

こうして日本語で考えて書いているだけで凄まじい怒りがこみ上げてくる。

昨日からずっとこの感情と向き合っていた。

今は多くを言いたくない。反吐が出そうだ。

日本語でここまでの憎悪を表現する語彙を知らない。日本語だらけの辞書なんか引きたくないのだ。

人間と関わって来た雑感 2017/01/14 3:00-4:11

つくづく、人の関わりは誤解がほとんどで成り立っていることを感じる。今ほどはっきりわかったのはやはり初めてだ。

人間のやり取りのほとんどは言語を介しているのだから、そこから感情を基準にした抽出の仕方をしたらそれはかなり恣意が働くし、言葉そのものを基準にしてみないと理解は遠のきそうだな。別の脳みそ持った同士がそれぞれの世界観や考え方で会話や何らかの合図でやり取りするのだから間違えるに決まっているのに。

要するに人間って思い込みしやすくできているし、思い込みのもたらす影響がとても大きいのだ。

私はまだ人間が好きとまでは言い切れないが、人間に生まれた上に、ここまで良し悪しはともかく、まあ小さいとは言いがたい経験を積んで来て、蓄積して来た物事が山ほどあるはずだ。それを活かすも殺すも私次第なのだが、そういうことをできそうなのは今のところ人間しか知らない。それを私に伝えてくれたのも人間だ。

昔から私は人間以外の生き物でありたかったりしたけれど、彼ら(犬くらいしかよく知らないが)は「友達」にはなれるだろうけど、支えにも師にもなるけれど、やっぱり人間が勝手に思い描く世界には生きていないんだよね。

人間に生まれたからには「人間で良かったなあ、人間で楽しかったわ」と思って死にたいわな。一生愚痴言い続けて誰かが助けてくれるの待って誰か恨んで仲間うちで慰めあってるだけでは、そんな終焉はなさそうだな。

昔ネット上のコミュニティで親友と思っていた人とは「死にたい思い」などを否定することなく、「当事者で作った当事者が運営する共同体を作れないか」と考えていた。私が簡単な発想をして、友人が具体的にはどうやれば実現するか調べたり考えたりして、私が現実的かどうかはともかく色々発案やら当事者が固有に持つ問題を挙げていき、友人がそれをまた現実に引き寄せるということをしていた。NPOまで考えにあったし、彼女は実際にどうすればそういう団体などが作れて運営できるかなど調べたりしていた。

上記のような人ではなかったのだ。それが私とどう影響し合ったか、今では知る由もない。

彼女は唐突に世を去った。現実的でない部分を自由に担当していた私が事件被害にあった直後に。身近な人が亡くなって苦しんだのはそれが本当には初めてだった。

私はいっぺんにいくつも、色んな種類の、すべて大きなものを奪われた。そこから恢復する方法どころか、今にするとそこから6年その記憶を引きずったままどうやって生きて来たのかわからない。

私はそれまでの長い人生でも、そこから昨年までも自立できる気がしたことがなかったが、完全な人間不信にもなれなかった。

そして、やはりずっと怒りを抱えて来たのだと思う。自分であまり感じないように安全弁として抑え込んで来たのだろう。それが病むってことじゃないのか。今も健康ではないけれど(ずっと眠れずもう早朝だ)、見ないで来た現実、感じないで来た感覚の世界にやって来れた。あまり失いたくはない。もう、「自分が自力で生きて行けるかも知れない」と思っていたらサラッと破壊される経験はごめんだが、少なくとも、自力で、という部分は昔のような根拠の乏しいものではないから、今は何とかできると思う。

人間が素晴らしいとか何とかいう感覚は今のところ、私には理解できない。ただ、私が今こうしていられるようになったのは、やはり人間の力を借りているからだ。

誤解だらけでも、そんな未知の世界に生きてみようと思う。

それでも今は 2017/01/10 3:58-7:02

薄ら寝ぼけているからしっかりした記事は書けないのだが、前の記事

性被害を受けた話 2017/01/09 19:36-21:08 - NIKITAのリハビリ的日記

では書かなかった今の心境などを書いておこうかと思う。

 

記事でやたら疲れていると書いた。ぼんやりしていたとも。言っておくと私がぼんやりするというのは相当の事態である。いつも緊張度が高い。

 

わざわざ書くのも妙な気もするが、私は今、幸福なのだ。だから、大丈夫なのだ。

 

疲れ切っていたのは昼間泣き過ぎたからだ。1人、チャットで毎日ただ話しかけ続けてくれている人がいる。話と言っても会話が成立しているのかこれ、という感じだ。逆から言えば、なんの緊張感も気遣いもいらないのだ。かみ合ってもいるのかいないのか。ほとんど話題も記憶にない。たまにしか話題のある話もしていない。話題のない話って何だという感じだが、いや、だって会話が成立しているのかも怪しいのだから、話題もへったくれもない。

 

何か条件を満たす必要を全く感じない。そもそも、相手から毎日ただ何となく意味もなく話しかけてくるのだから。

 

条件を満たす必要もなく、私が何かするでもなく、ただ毎日連絡をくれる人、ってこれまでいただろうか。ちなみに大人の女性だが。

 

確かに先に声をかけたのは私だ。雑な言い方だが、この人は何だかすごく1人なのではないだろうか、と何か孤独感が見えて、私が主催するコミュニティが使えるかわからないが試しに参加してみませんかただし英語ですが、という話を持ちかけた。今私がそれどころではないのでコミュニティはとまった状態だが、そんなことと関係なく、毎日チャットが来るようになった。

 

理由がわからなかった。私は何も差し出していない。元気に振る舞うこともしていないし、こちらから話しかけたのは本当に最初のうちだけだし、私が何かしたのでもなく、相談事をしたのでもなく、もう正直に言って私のボキャブラリーでは何が起きているのか説明できないのだ。なんで何も引き換えに差し出していないのに、一切の気も遣っていないのに、頼んだのでもないのに、ただ話しかけ続けてくれるのか理解できなかった。

 

昨日、ちょっと愚痴っていいかと言って話をした。そういうことをしたことがないから、かなり神経を使ったが、相手からは「友達じゃないの」と不思議そうに言われた。

 

以前と違って、私は今なら騙す気があるような人がわかる。何かあれば対処もできる。それは前に書いた友達の来未炳吾のおかげなのだけど。

 

説教もされない、話が耐えられないからやめろとも言われない、何か明確な理由も見当たらない、何か私が努力する必要もない、それでいてお願いしてもないのにただ毎日メッセージをくれる人、なんて、そんな虫の良い人はいなかった。それは、私にもうまくコミュニケーションができないからとか事情をくめないとかいう責任もあるのだけど、今話している人とはメチャクチャにコミュ障の状態でなんとなく言葉をかわしているだけだ。それはさすがに本当にいなかった。どんなに気を遣ってくれる人であっても、私が気を抜いて大丈夫な上にあちらから毎日毎日メッセージをくれる人など、地球上にいるとは思ったこともない。暇な人でもないようだ。

 

あの、あなた地球上にいるんですか私信。

 

私にとって、人間とはこういう生き物ではなかった。他の人達にとってはこうなんだろうか。こんな都合の良い話があるのかと思うくらいだ。あるの?わからないんですけど。これ現実なの?

 

ここに書いたような話も正直にした。同情して欲しかったのでもないし、失礼だけど危険かも知れないと思わなくもなかった。ただ意味がわからなかった。私は何も提供していないのに。気も遣っていないのに。

 

話していて、ずっと涙が止まらなくて困った。ここへ来て、私は自分の境遇を本当に理解した。私は本当に独りだった。そうでなければならなかった。誰かが一緒に居てくれていることを実感したことは全くなかった。それが欲しければ、絶対に何か対価が必要だった。相手がそのつもりでなくても、私にはないものを普通に要求されていた。

支払うのに酷く骨が折れる代物だ――普通のフリ、元気なフリ、話を合わせること(皆の話は私にとってヴァーチャルなものでしかなかったし、私がわかる話は「重い」「ウザい」と嫌がられることしかないからだ)、自立しているフリ、相談に乗ること(これはちょっとしたことがある。大抵の人が悩んでいることは、私が10年は前に通過していたことが多かった。今もそうなのだが、現実に合わせて調整をかける必要がある)、機嫌を損ねないよう細心の注意を払うこと、通常の話題は理解しようがないから雑学的に知識をプレゼンすること、もうキリがない。ひと言で言えば嫌われやすいのでかなり無理しなければいけなかったのだが、そんな風にまとめられるものではない。私は私であってはならなかった。時には人間であってはならなかったのだけど、本当にキリがないからこの辺にしておく。あとは外語を使うこと。これは不快なわけではないが、語学が得意ではないから大変だ。

 

チャット中にこんな具体例は挙げなかったけど。実家のことも何も話してはいない。それどころではなかったのだ。

 

自分の感情を感じることに慣れていないので、1時間くらいだろうか、洪水とか土砂災害で押し流されているような感覚で、良い感情なのに強すぎて苦しいくらいで、何という感情なのかわからなかった。皆はこんな強烈なものに慣れているのかと信じがたい。赤ちゃんがよく大声で泣くわけだ。

 

「あ!これ、もしかして幸せなのかな!?」

ずっこけたスタンプが送られて来たが私は真剣であった。知らないものは知らないのだ。

 

私は間違いなく、酷い災害に見舞われたのだと自覚せざるを得ない。あんまりの落差だ。頑張れるに決まっている。私は大丈夫だ。

 

これでは、と思った。これでは、私達のような境遇でない人には全然わからないだろう。依存とか期待し過ぎとか甘えとか言われても、それはまともな環境で育った人の基準であって、「被災者」である私達に押しつけられても困る。ヘルパーと話して、一体依存なんてばかげた概念はいつどうして誕生したんだろうね、となった。モノなどへの依存症ではなく、親なりコミュニティなりに、大昔から人は当然依存して生きているじゃないか、それを奪われた人が人生のどこかで一度はビッタリ依存経験をせずに健やかに生きられるようになるわけないじゃないの、と。その機会もないのに生きる力なんかつくものか。常人には無理だ。そういう人が何かに依存症を引き起こすのを弱さだ甘えだというのは簡単だ、必要ない人なら。

 

実際、私はこんなに力づけられることを体験していなかった。すさまじい力だ。こんなものを普通に与えられている人から説教されても全然説得力がない。これではどうやってもこちらのことは理解できないだろうから、感覚がわからないのはしょうがないのかも知れない。だが、こうやって言葉にしているのだ、これを遮断してそちらの都合だけ押しつけるのは道理が通っているとはいえないのではないかと思う。

 

こんなに幸福なのだ。そしてこの感覚感情に耐えられないということもない。やって行けるし、やる。

性被害を受けた話 2017/01/09 19:36-21:08

寝ておらず、また非常に疲れている。

疲れているのはただ眠れなかったからだけではないが、ひとまず理由はおいておく。

 

問題はこれでも「何かしよう」としてしまうことなので、どうせならブログ記事を更新するのがいいか、と試している。

 

私は昔からさっさと眠れたり、寝落ちとかいうのを体験したりしたことがほとんどない。何でできるのか不思議なくらいだ。

 

1年ほど前から余計なことが増えた。前にも書いたと思うが、横になると強姦を受けているような感覚が即、起きる。眠れたものではない。

 

今日は疲れ切っていたのでぼんやりしていた。面倒なので放っておいたのだ。

 

私を犯そうとした男をふいに思い出した。

周到な男で、Facebookで私のフォロワーを1年くらい続けてから友達リクエストをして来た。きちんとした挨拶とともに。問題があるように見えなかったため、承認した。

 

その後1年か2年、「良いおじ様」といった役回りをこなした。素人合唱団の指揮者のせいか、私が記事をアップしていると非常にうまく褒めたり優しいコメントをやや控えめに寄越した。だから周囲にも見えていた。私のFacebookフレンドとか何とか、とにかく誰も変な人だとかいった評価をした人はいなかった。

 

きちんと段階を踏んでチャットもするようになった。後に会話の中身をすべてログに取った時に人に見せたが、そこで初めて「はっきりしたポイント」があった。見た人は「吐き気がする」といったが、私は全然わからなかった。チャットになるまでは本当に誰もが変な所がないと言った。

 

経緯は忘れてしまったが実際に会うことになった。その時も同時にチャットしていた人は怪しまなかった。後で中身を見せて驚かれた。本当におかしいと思わなかったのかと。思わなかった。その数年前に監禁脅迫被害にあっていたのに、私は自宅に来ることを許した。私が全然動けなかったからだ。

 

携帯電話とメールで連絡を取った。住所はしつこく訊いたがかわされて知ることができなかった。

 

直行で自宅、ではないが、もう他のことは忘れてしまった。正直、どうでも良い。とにかく男は自宅に来た。

 

ここまでだって大ポカに過ぎるが、当時はわからなかった。2014年1月末だと思うが。

 

抱きしめは何度もされた。全部その都度はっきり腕でどかし、やめるよう言った。

「やめて下さい。私は数年前、男性に騙されて3日間、監禁脅迫被害にあっているんです。読んだでしょう?だから男性と近づいたり触られたりするのが極端に怖いんです。やめて下さい」

そうしたら穏やかに言われた。

「それは君の頭の中にだけある」

私はブチ切れた。もうどのタイミングか思い出せないが、唇にキスまでされた。

私はしっかり目を見て言った。

「これは、セクハラです」

男はスッと表情をなくして立ち上がり、「セクハラとまで言われては云々」もう後半は記憶にないが、向こうも怒っていた。その時は大して恐ろしい感じもなくドアから出て行くのを見て鍵とチェーンをかけた。

 

私はその場で行動に移った。集められるだけのやり取りのコピーをEvernoteに入れ、私が同意していなかったことを記録するためにGmailからきっかり箇条書きで私側の立場を書き送った。返事など酔っ払いのわけのわからないものだ。Gmailクラウドサービスとして使えるので、私は今もそのアドレスをブロックしていない。

 

案の定、翌日には動けなくなり、少ないツテやらに助けを求めた。警視庁にも電話してもらったが私本人でないと話ができないとかいうことだった。

 

その場限りでは撃退したが、その後は結局何の結果も得られなかった。何も解決できなかった。

 

私はいわゆるセカンドレイプが恐ろしくて何もできなかったのだ。その前に監禁された時には自分で色んなところに相談したが、私がメチャクチャ怒られて終わってしまった経験があったからだ。

 

キスと抱擁、だけ、だ。自宅で。私が責められるに決まっている。これだけの内容で「セカンドレイプ」も何もファーストがないと言われそうだが、先日やっと調べた所、刑事告訴は可能ではあった。だが現実的に考えて勝てないと思うし、今でも心と身体が不自由な苦しい状態だったりするのに、そんな手間をかけて克明な話をして他人にジャッジされることですでに割に合わないし、量刑も納得しかねるし、相手を被告にしたら今度は復讐を恐れなければならない。強制わいせつが成立するとも思えないが、したとしてもあんなにすぐに出てこられたのでは何をされるかわかったものではない。この手の加害者の感情などよくわかっている。とにかく全力で何もかも私のせいにして自分の名誉を取り戻そうとする。見飽きている。落ち度だらけの私が守られることはない。もちろん民事訴訟などたわ言である。私には何の救いにも復讐にもならない。正義ともいえない。

 

こういうことは大体予期していたから何の行動も取れなかった。何かできることがあったかも知れなかった。でもできなかった。

 

ずっと自分を責めて自分を罰している理由がわからなかったが、今日やっと、淡々としていられたために、理解できたのである。

 

私はただ勝手な欲望からセックスするために何年もかけて手懐けられた。それだけのためにその後何年も「壊された」状態だ。

 

未遂ですまなかった友人は何人もいるからあまり無神経なことは言いたくないが、それでも私は少なくともはっきりした故意から「2回殺された」と感じている。少なくともだ。

 

いったん、ここまでにする。バッテリーがない。

過去への怒り 2017/01/07 22:55‐0:00

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「被災」から「復興」へ向かう道 2017/01/07 0:39 - NIKITAのリハビリ的日記

でやっと何かが始められる、という状態になったかと思う。

 

大体のことは悩みというより困りごとで、考えることになっている。習慣になっていないのでそうさくっと切り替えられた訳ではなく、「考えごと」まで持って行くのに労力と手間がかかるが、できるものはできる。

 

怒りがちだったり何だりして、しばらくノートに思い浮かぶことを書きつけていたら、やはり過去の記憶と対面することになった。

 

これまでは思い出さなかったことも丁寧に拾い上げてみたが、呆れて笑いさえ浮かんでしまった。

 

私が怒っているのは親と加害者2人だけではなかった。

 

学校に通っていた頃のことはどうもケリがついているらしく、思い出してもどうでも良かった。また私には妹がいるが、彼女も私の中では処理が済んでいるようだ。思い出すが何も思うことはない。

 

その他であるが、(告訴要件は満たさないが)2012年に私を3日間監禁して脅迫した男に放り出されたあとの支援機関の担当者が2年連続でヤクザかなにかのような人間だったのである。通院させてくれなかったりしたし、あの時に恐怖でいっぱいでなかったら私はさすがに動いたろう。後に違法行為だったと判明したが、私がもうそれどころの体調ではなかった。

 

他の機関にも、ネットで色々情報が入るようになって、相当酷いことをされ続けて来ていると裏付けが取れた。

 

当然というか、親戚などいないも同然である。

 

なんだこの人生は、と心底思った。

 

皆、私をいさめる。が、誰か私が遭った目を理解しているのか?知ってさえいないじゃないか。40歳になる年まで一切まともな助けはなかったのだ。今の激怒している私に何か言っても無駄だ。何時間もかけて思い起こしたのだ。

 

何故怒ってならないのか、膝つき合わせて話せるのか?何故我慢せねばならなかったのか。私の目を見て言えるか?

 

この記事はダイジェストだから、これだけでは伝わらないのは理解している。まだ書いていない人物もいる。

 

過去について、整理すらしていなかったのに平気になったり諦めたりできるわけがない、なかったのだ。

 

しばらく時間をとって考えていたのは、私がどうしたら気が済むかのシミュレーションだ。条件としては「手段が違っても私が強いられた苦痛を味わってもらうこと。つまり返上すること」。そう考えてみると気が済む感じがするのだ。もちろん私の主観だから他人が見ても釣り合うまい。

 

故意に私に危害を加えた2人をどうするかはもの凄く難しい。刑事罰が納得行くわけがなかったのだ。これを2時間くらい考えてくたびれた。

 

以降の記事から全部書くつもりだ。ことの経緯も私がどうしたら気が済むと思うかの内容も。

 

先にしつこく言ったがまた言っておく。これは考えているだけで、現実にできないようなことはしない。私の人生だ。また自分でブチ壊すほどバカでもないし、そこまで度を失っているわけでもない。ただ、私の中で終わるまでは許さない。許してはならない。もう他の関係ない人にあたったりしないためにも、私の怒りは私がきちんと始末をつける。

 

だから終わらせるために現実にはどうするかまでを丁寧に考えるだけである。そこは心配ない。

「被災」から「復興」へ向かう道 2017/01/07 0:39

 

夜行バスの人々

夜行バスの人々

 

 最近ちょくちょく開く本だ。著者当人がはてなでブログをやっていて記事を引用したこともある。発達障害精神疾患、その他何か抱えている人は読むといいと思う。特に何か考えたりしないで、ただ読めば良い。群像劇っぽいので(まあ群像劇なのだが)混乱しそうだが、追えなければそれはそのままで良い。ストーリーよりも言葉や個々のエピソードが大事にされている気がする。

 

私はこの本を発売後割合すぐに購入したが、ずっと読むことができなかった。元々、小説を読むことがかなり苦手だからでもあるが、抑うつ状態が酷くなってからは文字列を追うことも困難になっていた。その状態になってからもう6〜7年ほど経つ。その状態の人は多いだろうが、それでもというか、そういう人が読んで差し支えない。そもそもあまり小説を読めない人を想定して書いたそうだから。

 

 

著者は友人だし、昨年はずっと相談に乗ってもらっていた。

今年は全くやり取りしていない。こちらから連絡したが向こうからは何もない。

 

それだけ言えば別に普通のことだし、別に友人側に大した理由はないかも知れない。大体、そんなに暇な訳でもないのだし。

 

これまで何度もそういうことがあるたびに酷い不安にかられた。今もそうだ。

私が対人トラブルを起こしまくってきた、最大の理由がこの対人依存だ。さらに私は現実離れした感覚で生きて来たから、トラブルメーカーで当たり前だった。

 

こういった話を書くのは相当の苦痛が伴う。

済んだことよりも、今もってつらくなったり困ったりするとこの人ばかり浮かぶし、他に相談できる人をこれまでうまく持てなかったために、どう、何を言えばいいかがあまりわからないし、今も常にある心身の苦しい現象が強くなるからだ。今も息が苦しい。

正直に言えば今この本は苦しくなるので読めないし、ここに貼り付けただけでも「具合が悪く」なった。

 

連絡が取れない理由などよりもこの私の状態について考えるべきだと気づいたのはついさっきだ。

何回私はもう自力でもそうは問題を起こさない、できる、といった意味のことを言われたろう。そうは思えないで来た。

何かに際して「どうしたらいいか」といったことは山ほど教えてもらったが理解できなかった。

 

したくなかったのだ。

 

決してわかりやすい言葉を使う人とは言えないが、それ以前の問題だ。

私は自信があまりにもない、と他の人に言った途端理解した。何を言っているんだろう。私は誰にも理解されなくたって、過去にたくさんのことを乗り越えて来たり、克服したり、ここまで失敗や酷いことがほとんどだったけれど生き抜いて来て今も生きているじゃないか。それらはすべてが糧になる。

理解者が不要だったとは言えない。さすがにそれで生きられたとは思えない。私は主治医1人が理解者だった。もう1人、分かち合える人が現れた。十分だ。何も全部わかることもない。だけどここまで共有できたら十分だ。

 

ろくな過去はないが、基本的には自力で乗り切って来た。生きているだけでもその証だが、私は思い出したくなかったり、それらの意味をただの酷いこととだけしか考えられなかった。それは苦しいに決まっている。被害者としての証明に、病気にもなるし治れないだろう。

 

生きることに消極的にもなるし、恐怖を手放すこともない。

 

まだ済んではいない。私はすぐに忘却する。これまでの私で居たがるからだ。心はそうやって生命を維持しようとする性質がある。

 

だが、1回気づいて知ってしまったら戻れないのも心である。

 

これから「復興」するために、このことを忘れても思い出せるように、この記事を書いた。

 

できたら誰かの役に立って欲しい。

 

この記事の引き金になった、来未炳吾の言葉を置いておく。どちらでも書いている。

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「病んでる人は心のセーブポイントの作り方を知らないんだよね。辛い時でもあの日あの時の自分を思い出して、頑張れる秘訣だよ。」

脳の変化を起こすには 2017/01/03 18:04−20:45

私は特定の場所にいるとすぐにおかしくなる。アパートの自分の部屋である。このことにちゃんと気づいたので考えていた。それで出した結論が、ともかくもここから離脱することだった。

 

きちんと話そう。

 

うちは一間の居室に台所とユニットバスという造りである。以前から居室にいるとたくさんの症状が身体にも現れるし、精神状態が悪くなる。

 

いわゆる「ごみ屋敷」みたいな状態だからとか「PTSD」の症状とか何とか、いくらでも説明でき得るため、そういったことへの対策ばかり、私も支援者も誰も彼もが考えた。そしてすべて失敗中である。

 

私は昨日今日「感覚が目覚めた」状態だ。しつこく過去数記事に書いたので説明は簡潔にさせてもらうが、初めは主に呼吸が苦しくなり、しばらくの期間が経過した後、心身に激しい現象がたくさん起き始めた。少々の刺激で感情的になる、様々な感覚に見舞われる、「精神疾患の症状」と思われる現象がたくさん出現する。

まあ、どうかしたかとは思った。が、かなり滅茶苦茶だったにも関わらず、私が相談したのは医療機関などではなかった。何のことはない。私は救急車を呼べない環境にいるし、主治医のところは完全予約制で平素は対応しない。そして他には信じられる人がいなかった。人としてもだし、この状態を理解できうる、もしかしたら経験済みの友人1人以外には聞ける人がいなかった。

言われたことのすべて的中している訳ではない部分もあったが、理由については日々正解であろうという思いを強めるしかない。

私の感覚が変化して、これまでほとんど使われていなかった脳のあちこちの部分が急に活性化したと言えば良いだろうか。

 

その調整をしたのは相談した相手本人だが、方法はずっと付き合ってもらっていても理解できない。ただ、脳の感覚を変えることは別に不可能でも何でもない。今詳しい解説ができるほど私の状態に余裕がないが、雑学レベルの脳の仕組みの本でも読んでみれば当たり前だとわかる。もっともかなり先入観や固定観念を取り払う必要もあるかも知れないが。そして、それができる能力や理屈は普通別のことに使われる。現実感のなかった人間が安全に現実に入って来れるようにナビゲートするなどということは通常できないだろうししないだろう。そもそもできると思っていないからだと思う。

 

ともかく私は過敏なくらい様々な刺激に反応するようになったが、危険だとは感じない。ただ「異常に鈍麻した」状態から「何かを感じる」ようになった。それがまあまあ現実に沿っているであろうという感じもある。

 

コントロールはまだできないが、少しは慣れて来たように思う。

 

そこで居室に入ったとたんにおかしくなることを「ちゃんと」感じる。これまで皆でああでもないこうでもないと言って来たことはほとんど的を外している。少なくとも本質からは遠い。

 

乱暴に書いた記事だが

依存を破壊するには 2017/01/02 20:41‐21:23 - NIKITAのリハビリ的日記

ここに書いたことが恐らくその本質に近いか、そのものだと思う。

 

私はいわゆるPTSDだが、そのメカニズムは覚えていない。ただ「脳に大きな変化をもたらす体験により感覚が変わる」経験を何度もしただけだ。

 

継続的な刺激(経験)で起きる変化と、通常知られる1回の強烈な刺激(経験)で起きる変化を両方、複数回経験している。それで脳に「癖」でも「パターン」でも「回路」でも良いが、そういうものが構築された状態だと認識している。

 

なら、仕組みは同じではないか。その構築された回路をブチ壊せば良い。そういう体験をすれば良いだけだろうと思いついた。

 

完全には「良く」ならないようだが、少なくとも2人、PTSDから「恢復(かいふく)」した人を知っている。この変な字だが、「回復」とは意味が違う。回復は元に戻ることだが、恢復は新しく作り直して「良い状態になる」といった意味だ。

 

怪我を想定して欲しい。切ったりすりむいたりなどがわかりやすいが、あれは損なわれた組織部分が新しく作られて補われるのだ。だから傷あとが残ったりする。痕にならなくても、元の体組織ではない。それとまあ同じだ。

 

脳には可塑性がある、という言い方があるが、つまり変えられる、変わる、ということだ。脳の伝達ネットワーク組織である神経回路というものがいつまでも新しく作れるからだ。脳の仕組みを完全に覚えて理解しているわけではないが、変わるものは変わるのだ。

 

この変化を遂げたい場合、新しい、未知の刺激を繰り返し与えることでシナプスというものを作る。やったことのないことを繰り返しやり続ける。やめると、シナプスはなくなるのだったと思う。少なくとも1回できたら永久に繋がっているものではないのは事実だ。それも変化だから可塑性という。

 

このことを雑にだが思い出したのは今日の未明だった。昼間本を取り出してみたら合っていた。

 

思い出すも何も、まず、気づけなかった。

何十歳の、平穏に暮らして来た人が、一発で脳の「回路」をブチ壊される。それがPTSDだ。

私には平穏無事で戻りたい過去の自分など存在しない。今は感情的だからそう思うのだと思うが、基本的には過去に必要なものはあまりない。元に戻る必要は、ない。

ただ具合が悪くて恐ろしくて苦痛で、なのにそんなものに支配され依存しているのだ。これを私の人生だと認めることはできない。いつか認めるかも知れないが、それは今ではない。

 

まだ私は必要な変化を起こしていない。直感だったが、何かの形で知らない体験をする必要が、やはりある。ここに居続けていてはそれができる気は到底しない。ずっと酷い具合をこらえているのだ。こんなのは嫌だといくら思ってもこれまで何もできなかった。

 

無力であろうとし続けて来たのだ。今は怒りを覚える。酷い頭痛やら吐き気やら何やらするのは、このままでは変わるまい。薬なんか効かないのだ。

 

どうすれば良いだろうか。何ならできるだろう。